悲劇、喜劇の描き方
こんにちは、エッセイストのmaterialismです。
今回は悲劇、もしくは、喜劇の描き方です。
皆さんは喜劇はお好きでしょうか?
なろうにもたくさんギャグ小説があって、私はよく読みます。
笑って笑って、時々、ホロリと泣いたり……
ああ、面白かったと、翌日友達に話すと全然面白くない……
そんな経験をなさった方も多いのではないでしょうか?
私も、なろうで面白いギャグ小説を見つけてレビューを書こうとして気づきました。
あれ?
これ、面白さが全然伝わらないぞ、と。
笑ってしまう面白さとは、つまりは何なのでしょうか?
その面白さを解説してしまおうというのが、このエッセイの主旨です。
いつもの通り、素人の解説ですので、絶対とは言いませんが私なりに考えた結果をお伝えします。
もったいぶらず、結論ファーストで行きますと、面白さの根本は段差ですね。
いわゆるギャップ萌えというのがありますが、そういった外面と内面の差が、面白さ、そして、悲しさの根源です。
例えば、夕鶴という有名な悲劇がありますね。
表の物語として、女性が押し掛け女房になって反物を織り旦那を助けるというストーリーがあり、
その裏の物語として、女性は実は鶴で自分の羽根で反物を織っていて、その光景を覗かれると一緒に暮らせなくなるという設定があるわけです。
この段差ですね。一見、幸せに暮らす2人。だが、反物を織るたびに女性が痩せ細るという描写があり、それとなく悲劇を暗示しながら、ラストの離別まで一直線です。
もう、あらすじを書くだけで泣きそうです……
さて、これでは悲劇の描き方じゃないか?
喜劇はどう描くんだ?
という方もいるかも知れませんが、実は悲劇と喜劇は表裏一体なのです。
表のストーリーをシリアスにして、裏のストーリーをハートウォーミングにすれば、ほっこりする喜劇になります。
例を挙げるなら、落語の芝浜でしょう。
腕は良いが酒ばかり呑んで真面目に働かない魚屋が、海浜で財布を拾った夢をみて、その金があると思って、思いっきり散財してしまい女房の着物さえ質に入れることになる。そこで一念発起して真面目に働き使用人が雇えるほど魚屋になる。これが表のストーリー。
財布を海浜で拾ったのは実は本当で、拾った金で散財を続けると旦那のためにならないと思い、女房が財布を隠していたというのが、裏のストーリー。
ラストシーンでは、女房が隠していて悪かったと泣いて謝り、謝られた魚屋も涙で感謝、客も涙涙ではありますが、これは明らかに喜劇でありましょう。
なろうでは、いわゆる勘違い物というのがありますが、意外と悲劇や喜劇の本質を突いたものだったのかもしれませんね。
いつも通り、異論反論も大歓迎いたしますので、喜劇や悲劇に一家言ある方は是非是非、感想欄に何か書いていただけると幸いであります。よろしくお願いします。