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第4節 魔女再現

 少し加減を忘れてしまいました。

 グロテスクが苦手な方は注意です。

「出たよ、この偽善者……っ!」


 詩凪の台詞に反発し苛立たしげに声を張り上げたノエを、柾は手をあげて押し留める。


「この人は自分の父親を殺すような男だ。その上、〈異録〉を悪用しようとしていた。兄さんが父さんやおじさんたちを殺したという物証は何もないから、然るべきところで裁いてもらうこともできないし、かといって、ただ追放するだけじゃ、何をしでかすかも分からない。ついでに僕の気も収まらないしね」


 他にどうすることもできないと思うんだけど、と眉根を寄せながら言い、それから柾は首を傾げた。


「詩凪は赦せるの? 君の両親を殺した男を」

「赦せない……けど!」


 詩凪は頭を振った。


「それでも、マサくんが人を殺すのは嫌!」


 確かに榊は詩凪の両親の仇だ。両親を手にかけたことを、許すことなんてできるはずがない。憎悪だってしっかり感じている。責め立ててやれたらどれほど良いだろう、とも思う。この怒りや虚しさや悲しさの矛先は、間違いなく榊へと向けられるものだった。

 だが、柾から榊を殺すと聴いたとき、頭から水を被ったときのように、全身が凍りつくような冷たさを覚えた。

 柾に手を汚させるなんてそんなことさせられないと反射的に思った。明確な理由などないが、それは駄目だ、と。柾に罪を犯して欲しくなかった。

 何よりそれは、柾が詩凪から離れていく行為に他ならない。兄を殺した後の柾が、それでもなお詩凪の傍に居てくれるとは思えなかった。何かしらの理由を並び立てて離れていく、そんな予感があった。

 もう誰も失いたくはなかった。


 ――でも、ノエの言うとおり。詩凪の要求は偽善的で、何の解決にもならない。

 詩凪は、急いで頭を回転させた。


「とにかく、ちょっと待って。何か良い方法がないか考えてみるから」


 柾はちらっと凌時に目を向けた。凌時は肩を竦めるだけで何も言わなかったが、視線から何かを感じ取ったらしい。


「……全く、しょうがない子だ」


 口元を緩めて鋏を下ろす。柔らかい柾の笑みに直面して、詩凪は少し安堵した。

 ……が。


「……このっ!」


 詩凪の要求の所為で柾も気を緩めてしまったのだろうか、榊は柾の拘束から逃れると、弟の身体を突き飛ばして立ち上がり、さらに呆然としていたフランセットも突き飛ばして、部屋の隅へと逃げ出した。

 部屋の奥まったところで固まった詩凪たちと、入口に陣取る〈グランギニョール〉と、その間の位置に。


「こんなところで……。これ以上お前らに……屈してたまるか!」


 想定外と思い通りにならない苛立ちに顔を歪めに歪めた榊は、フランセットから奪い取った〈異録〉の箱を振り上げると、ソファーの木枠に叩きつけた。結界の効力が切れていたのか、木箱は衝撃に身を守ることができず、木目に沿って割れる。

 はらり、と箱の中からページが溢れた。

 榊がそこに手を翳すと、風もないのに紙が巻き上がった。榊を取り巻くように渦を作りあげていく。


「示せ、〝第七章、第三節〟!」


 榊の声に応じて、二百枚に及ぶ紙葉のうちの十数枚が青白く輝きだした。


「今ここに甦り、その姿を晒せ。ルルーに君臨せし震恐の魔女ナディア!」


 ページの渦が、内側から弾け飛ぶように離散した。中に居た術者である榊と、彼に喚び出された魔女が、姿を現す。


 それは、まだ幼い少女の顔貌を持っていた。瞳孔を失った眼は、くすんだ青色。鼻は高く、唇は小さく、頬はふっくらとして輪郭はまだ丸い。

 そんな成長期を迎える直前の少女の頭部を支えるのは、四つの石灰の掌だった。互いの付け根を付き合わせ、計二十本の指で包み込むようにして少女の頭部を支えている。

 蔦のように腕を捻った首の下――胴体は、深い紫色のローブに包まれてよく分からない。知らないほうが良い気がした。頭部もさることながら、ローブ袖や裾から覗く四肢もまた、奇怪であるからだ。

 両腕は、肩から袖口に向かうに従って膨らんでいた。露になった掌は、思いの外正常。球体関節の人形のものとさほど変わらない。ただし、指先は槍の穂先のように尖っており、拳を握りこめば人の下半身を覆えるほどに大きかった。材質は艶やかで白く、まるで骨のよう。

 対して両脚は細かった。恐竜や鳥を連想させる逆関節。肉付きは正常といえる範囲内だが、水膨れでむくんだ足先に向けて腐っていったかのように色を黒くしていった。とても歩けるとは思えないが、移動はおそらく背の翼が担うのだろう。鷲のそれに似た翼。天使を連想させるその部位が、ますます歪さに拍車を掛ける。

 そんな人の姿とも呼べぬ魔女が、背後から榊に覆い被さるようにして踞っていた。猿がしゃがみこんだような体勢で、頭がこの部屋の天井に届くほどもある。


「――これが、魔女……?」


 およそ人間とは程遠い姿に、〈異録〉の内容を知らない者たちは絶句しているようだった。詩凪は一度読んでいて、特に印象的な場面であるから覚えていた。“弟”が背徳の末に手に入れたものが、これまでの罪を具現化させたような忌まわしい姿の姉であることに、と紙面に書かれた出来事ながら、虚しく思ってしまったものだ。

 果たして、“姉”は、“弟”は、こんな復活を望んだのだろうか、と。


 しかし、そんな悲しい姿を目にして、喜悦の声を上げる者が一人いた。


「ああ、これは本当に最高潮ですね!」


 今回もまた〈異録〉の気配を嗅ぎ付けて、何処からともなく現れた(アオイ)は、姿を見せるなり感極まった様子で魔女の姿を見上げた。


「弟が甦らせた魔女。人間の身体を寄せ集めて作った化物の具現! ページが引き起こす怪異などとは比べ物にならない、人間の手による完璧な再現をこの眼で見ることができるなんて……」


 いつも無機質な光を宿す藍玉(アクアマリン)の瞳に恍惚の色を宿らせて、興奮ぎみに語る。うっとりとした藍のその表情に、頬をひきつらせた者が果たして何人いたか。


「――ああ、本当にもう、貴方たちに干渉して良かった」


 ざわり、と身の内を撫でられたような嫌悪感が詩凪の体内を走る。その言葉の意味を深く吟味する余裕はなかったが、思わず毛が逆立つような怒りを覚えた。問い質してやりたいのを、拳を握り閉めてぐっと堪える。危機を前にして、今はそれどころではないのだから。


「素晴らしい終幕を期待しておりますよ」


 それでは、と畏まって帽子を胸の前に持って礼をして、来たときと同じように唐突に、藍はこの場から消えた。見えぬ場所で高みの見物とでも決め込んだのだろう。


 彼の退場を待っていたかのように、魔女が大きな両手を振り上げる。だん、と床をひと叩き。衝撃波と一緒に、方々に紫電が走り抜けた。

 横に跳び、あるいは床に伏せて、その場にいた者たちは、魔女の攻撃をやり過ごす。


「ほら見ろ! お姫様が余計なことする所為で厄介なことになった!」


 魔女の攻撃を受けてショック状態から復帰したのか、床に伏せた状態から顔を上げたノエが、癇癪を起こしたように叫んだ。切羽詰まった様子で魔女を指差し、詩凪を睨み付ける。


「どうするのさ、これ! あんな化物、どうにかできるの!?」

「……するしかないよ」


 詩凪はぐっと唇を引き結んだ。今の魔女の一撃で、談話室は大荒れだ。背の低いテーブルは割れ、ソファーの布は焦げて破れている。

 たった一撃でこの有り様。榊がどの程度制御できているかは分からないが、魔女が外に出る危険性がある以上、尻尾を巻いて逃げ出すというわけにはいかないだろう。〈異録〉が関わっている以上、穂稀にも多少なりと責任もある。


「……大丈夫。ここは私の家、魔書を扱うルリユールの工房。ここで私が扱えない本はない」


 〈ルルー異録〉から出たものである以上、あの魔女の存在は、触媒である魔書によって左右される。藍は〝ページの怪異とは違う〟ようなことを言っていたから、おそらく凌時が使う招魔と同じようなものなのだろう。

 魔書が関わるのなら、ルリユールである詩凪に勝機はあるはず。


「また大きく出たね」


 柾は苦笑しながら魔女の攻撃を切り伏せ、詩凪の傍に寄った。


「まあ、そう簡単にはいかないんだろうけどね」


 ふう、と嘆息すると、柾は真横に手を突き出し、しゃきん、と鋏で宙を切った。柾の両側を微風が駆け抜ける。

 鬱陶しそうに柾が向けた視線の先では、榊がペーパーナイフを構えていた。紙を切るくらいしか能のない木製の模造品(レプリカ)も、霧沢の魔術であれば立派な凶器になる。


「抵抗する気だよ、あの愚兄」

「そりゃあな」


 やれやれ、と肩を落とした柾に、凌時が呆れた目を向けた。そうでなければ、そもそも魔女を喚び出すはずもない。


「……ちょっと予定外」

「……あ?」

「なんでもない」


 もう一度、魔女が床を叩く。今度は氷の矢が飛んできて、一同は手近な物の陰に隠れた。伏せたまま移動し、榊たちから一番遠くに離れたソファーの背の裏で互いの顔を付き合わせる。


「で、どうするんだ?」


 物陰から様子を窺いながら、凌時は尋ねる。


「魔女を止めるには〈異録〉が必要なの」


 だが、〈異録〉は榊がページをばらまいた所為で部屋のあちこちに散らばっている。魔女と榊の攻撃を掻い潜りながらページを拾い集めるのは、至難の技だ。

 ふむ、としばし考え込んだ柾は、顔を上げると三本の指を立てた。


「兄さんを止める役と、魔女を引き付ける役と、ページの回収」

「三つに分かれる、ということですか」


 詩凪たちは互いに目配せし合った。


「愚兄は僕が相手をするよ」

「では、私と凌時さんで魔女の相手を」


 キキの目配せに凌時は頷くが、二人と魔女を見比べていた柾が眉根を寄せた。


「少し心許ないね。――ノエ」


 柾が目を向けた先で、ノエの顔がひきつった。


「……まさか」

「二人と一緒に、あれの相手を頼むよ」

「えぇっ! なんでこいつとっ」


 ビシッ、と凌時を指差した。指されたほうは不快げに顔を顰めるが、何も言わずにむっつりと黙り込む。


「君以上に向いてる奴がいない」


 柾は短くそう答えると、フランセットを呼んだ。彼女の方はすでに柾の考えを汲み取っているようで、ノエのように文句を言うことなくすぐに頷いた。


「詩凪さまを援護します」


 頼むよ、と言い残して、柾はソファーの陰から出ていく。その瞳は榊だけを見据えていて、詩凪が声を掛ける隙もなかった。

 漠然とした不安が、詩凪の中にまだあった。柾の気性は良く知っている。さっきは詩凪の言葉を聞いて止めてくれたけれど、兄との対決の中で気が変わらないとも限らない。

 だが、柾を信じるしかない。詩凪ができることなど何もないのだから。


「詩凪、結界頼むわよ」


 キキはそう言って、ソファーの縁から顔を出して魔女を睨み上げた。身体の前に抱えたモップを、ぎりぎりと音が鳴るほど強く握りしめている。

 妙な気迫が漂ってきて、詩凪と凌時が身動ぎした。


「これ以上……この部屋を壊されてたまるものですか!」


 だ、と床を踏みしめ、ソファーを飛び越えた。突然かつ大胆な行動に、凌時がぎょっと目を剥き、慌ててその背を追いかける。それをぼんやりと見ていたノエが、フランセットに背を押され、さらに続いていった。


「さあ、詩凪さま」


 フランセットに促され、詩凪は小箱を取り出した。力を込めて、部屋全体に結界を張る。狭い部屋の中、キキたちがあれほど大きな存在と大立ち回りできるはずもないと思って、今回はいつもと違って応用を利かせ、部屋の中が少し広くする。

 隔離された世界で、詩凪は魔女を見上げた。おおよそ人間のものとは言い難い、その姿。


「――榊さん。本当にこれで、霧沢を変えるの……?」


 ――こんな、悲しくおぞましい存在を創り上げるような魔書で。


 まさかこの目で真に見ることになるとは思わなかった魔女の姿に思わず溢した詩凪の呟きは、自暴自棄になった榊には届かない。

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