第5節 ヴィジブル
「お前誰だよ!」
ノエを追い玄関のほうへ行くと、ちょうど帰ってきたらしい凌時ががなっていた。その先にいるのは侵入者。どうやら慌てて逃げた先で、ばったりと彼に出くわしてしまったらしい。
「貴方……〈グランギニョール〉の!」
「驚いた。まさか家に入り込んでいるなんて」
停電と玄関の騒ぎを聞きつけてか、詩凪と柾が二階から姿を現した。遅れて間宮も顔を出す。
こっそりと侵入して人知れず誰かの影を奪うはずが、大勢の人間に見つかったので、ノエも慌て出している。
「だいぶお粗末ね。……あれだけ大見栄切ってみせたくせに」
あまりに呆れて姿を現してみれば、凌時以外の人間がぎょっとしてキキを見た。唯一キキの行方不明を知らない凌時は、いったい何をそんなに驚いているのか、と訝しげにしている。
「キキ!?」
詩凪の甲高い声。やっぱり見えているんだな、と魔術の無効化を再確認する。
「え、見えてんの? どうして」
状況が飲み込めていない元凶は、自らのズボンのポケットをごそごそと弄ってみせた。ノエの手の中に、黒くて薄っぺらいものが現れる。
「影は、僕のところにあるのに」
「さて、どうしてでしょうね」
応じながら、そんなところにしまってあるのか、とキキはまた呆れてしまった。丁寧に折り畳まれてポケットに突っ込まれていたらしいが、戻ったときに影響はないのだろうか。
何となく不安になってきたキキに、詩凪がすがるような声を掛けてきた。
「キキ……今まで何処に居たの? みんな捜してたんだよ」
敵を目前にして、それでも仲間を気にかける詩凪の言動。当然というべきか、無視された敵は過敏に反応し、嫌悪の眼差しを少女に向ける。
だが、キキの受ける印象はノエとは違っていた。立場の違いというのもあるのだろうが……場違いさを覚えてしまう以上に、彼女の優しさが胸にじわりと来て。
「貴女も?」
なんて問いかけたら、彼女は少し傷ついた顔をした。後ろめたさとでも言うべきか。
「私は……まだ捜してなかったけれど」
でも捜すつもりだったのだ、とは言わない。余計な言い訳をしない彼女の実直さに、キキは笑った。
「ありがとう」
え、と詩凪の目が丸くなる。
「心配してくれたんでしょう?」
「それはもちろん!」
反射的に返ってくる答え。それでもう満足だった。
下らない心配だったのだ。詩凪がキキを忘れるかも、だなんて。長年培ってきた友情と、それからキキが見てきた詩凪をただ信じれば良かっただけのこと。
ずいぶんとまあ、この少年に振り回されたものである。
だが、それももう、いい加減終わらせる。
「さあ、観念しなさい」
箒の柄を少年に向けて、宣言する。ノエは悪態吐いて、エンブレムを振りかざした。前に進み出る最中に飛んでくる剣を身を翻して躱す。
ふと顔を上げると、大きな瞳と目が合った。階段のところで身を乗り出しつつ、動向を見守っている我が主。真剣な眼差しでキキを見返してくる。
キキの口元が綻んだ。それから玄関の方へと目を移す。詩凪の視線もそちらに続いた。サルビアの赤が暗がりにも良く映えている。
ノエがいるのは、その隣に伸びる窓際の廊下で、外からはまだ薄惚けた光が入り込んでいた。当然、足元には淡いが影がある。
その場所に立てば、また姿を失う。しかし、キキは躊躇うことなく、微かな光の中へと足を踏み入れた。
「消えた!?」
驚嘆の声。右前方で、凌時が呆気に取られた表情でキキの背後を凝視している。その様子をちら、と確認した後、ノエは訳が分からないとばかりにキキを見た。
「また見えてないってこと? ……ホントにどうなってんだよっ」
答えないまま、箒を振り下ろす。答える義理はない。むしろ敵に親切にするはずもない。いっそ簡単に終わるので、そのまま混乱していればいいとも思う。
が、さすがにノエもそこまで甘くはないようだ。すぐに気を取り直し、キキの方に集中した。
箒を躱し、隙を見て剣を繰り出し。端から見ると、独りで躍り回っているようにしか見えないだろう。キキが見えていない所為でその動きが予想しづらいのか、凌時は手を出すことなく沈黙し、玄関前から離れて、階段の詩凪たちのところまで引き下がった。……はっきり言って、そちらの方がありがたい。巻き込んだり巻き込まれたりするのを考えると、彼には手出ししないでいてもらったほうが良かった。
詩凪も柾も、それで手を出してこない。
「……そうか、影」
ふと、詩凪が声をあげた。見えない敵と戦っているノエを見て、何か閃くものがあったらしい。
「確か〈異録〉で、魔女が影を切り離すって」
「姿が見えないのは、その関係?」
「たぶんそうだと思う……どうすればいいのか、分からないけど……」
眉を顰ませる詩凪の様子を察して、苛立たしげに力を振るっていた少年が、好機とばかりに嬉々として食らいついた。
「なーんだ、何もできないんだ。お嬢様」
魔力を伴うキキの攻撃を裁きつつ、詩凪に嘲りの目を向ける。
「僕が何したか分かったところで、助けられなきゃ意味ないじゃん」
ノエの口から発せられる罵詈雑言を、キキは無に近い境地で聴いていた。もはや構うべくもない。ただ、少年に対し、次々と攻撃を加えていく。
「しかも、召使の姿が見えていないから、手の出しようもないときた。不様だよねー、ホント。結局何もできないんだ、アンタたちは」
「ずいぶんと余裕ね」
人の攻撃そっちのけで外野を嘲るノエに一言放つと、キキは柄の先を持って箒を大きく振りかぶり、粗い穂先を振り下ろした。風の力を纏わせた一撃である。手に持った剣で箒を受けた少年は、風圧に押し負け、たたらを踏んで玄関前まで後退した。
「それでもって、甘いわ」
「はあ? 何を偉そうに――」
言ってんだよ、と前に踏み出そうとした少年の身体が、見えない壁に阻まれた。
「なんで……」
ぺたぺた、とパントマイムのように見えない壁を探る。その顔には完全に予想外と描かれていた。
「見えてなかったんじゃ……」
「見えなくても、キキがどういう行動をするかくらいは、分かるよ。ずっと一緒だったんだもの」
影の中から微光の中へ踏み出す直前。キキは詩凪に目配せをした。玄関の前に追い詰める、その瞬間を狙えと促したのだ。そのときはまだキキの状況を正しく飲み込んでいなかった詩凪も、意図はきちんと理解した。そしてキキがノエを玄関の方に追いやったタイミングを見計らって、結界を張ったのだ。
扉の脇に置いてあった花瓶を、魔術の起点にして。
「詩凪はただ守られているだけのお姫様じゃない。それに、ここは穂稀の家よ?」
詩凪もまた、キキと同じように家の中の物を幾つか結界術の触媒として使えるようにしてあった。こういう侵入者があったときに、捕らえられるようにするためだ。
キキの守る家。そして、詩凪が過ごす家。魔術師にとって家は自分の陣地で、拠点ともなり、なにより自らの秘儀を隠す場所。
敵の侵入を阻み、守るの仕掛けなどがあらゆる場所に施してあるのは当然で、まず基本、勝手を知った自分の家で魔術師が負けることなどない。
「侮るの大概にすることね」
少年は、正直に言って無謀以外の何物でもなかった。きっと詩凪の甘さに突け込めば、勝機はあるとでも思ったのかもしれないが、結果はこの通り。詩凪がなにもかもを他人任せにしていると思い込んだことが、何よりの敗因だろう。
「ゲームは終了だよ、ノエ」
す、と鋏を抜いた柾は、その切っ先をノエに向けて突き付けた。
「大人しく影を返すといいよ。僕の鋏は、結界ごと君を切れる」
「……くそっ」
ノエはポケットをまさぐると、苛立たし気に影を放り投げた。投げられた途中で独りでに開かれた影は、床に接触した瞬間に地に潜り、キキの下に戻っていく。
足元に、暗い影が横たわった。
キキ自身はそれ以外の変化は感じなかったのだが、周囲はそうでもないらしい。
「キキ……良かった!」
右側から少女の高い声が聞こえたかと思うと、次の瞬間には押し倒されんばかりの勢いで飛びつかれていた。
「心配かけたわね」
ポンポン、と詩凪の頭を叩きながらも、視線はやや上の方に向かう。
そこには、階段の半ばのところで、キキを見下ろす父の姿。
「……父さんも」
間宮は何も言わず、なんとも言えない表情でキキを見下ろしていた。素直に表立って喜びを表せないのが、使用人である父の堅物さ加減を示している。あとで叱責されるか、それとも詩凪のように泣き付かれるか、どちらだろうな、とキキは思う。叱責のほうが有り得そうだと思ったのだが、それはそれで良い、と思えた。心配されるのは有難い。
さて。
キキの復活による感動の波が引いてきたのか、詩凪はキキから身体を離すと身体を反転し、今度はノエから庇わんばかりにキキの前へと躍り出る。
「〈グランギニョール〉……キキを酷い目に遭わせて……許さない!」
自分のオリジナルの魔書を携え、びしり、と言い放つ様は凛々しさそのもの。
だが、ノエには詩凪のその態度がかえって鼻に付くようだ。
「何が許さないだよ。この人がどんな状況にあったか、気付いてもいなかったくせに」
忌々しそうに唾棄すると、すっかりとやさぐれた、投げやりな態度で続ける。
「ホントお笑い草だよ。まるで周囲は自分の味方、自分は正義、みたいな顔してさ。自分の隣にいるのが誰か、知りもしないくせに」
ピタリ、とその場の空気が凍った。
「……どういう意味?」
「さあね。自分で考えてみたら?」
にべもなく返すと、ノエは剣を一本取り出して、
「あ……っ」
陶器の花瓶に向けて振り下ろした。
ぱりん、と涼やかな音が鳴る。サルビアの赤と、サルスベリとグラジオラスの白が床に散った。
陶器の割れた音で、全員が我に返った。少年の言葉を吟味している場合ではない。
詩凪は慌てて手を前に翳した。歪みだした結界をなんとか維持しようとしたのだが、触媒に頼って作り出した結界はひび割れたガラスのように脆い。振り回されたノエの剣を前に、呆気なく崩れてしまった。
反動を受ける詩凪の前に出て、キキはノエに追い縋る。凌時も遅れて飛び出したが、そのときにはノエはもう、工房へと繋がる廊下のほうへと駆け出していて。
「じゃあね」
少年は廊下の窓ガラスを割って外へ飛び出した。
「……どうして」
キキは驚愕する。さっきから何度か言っているように、邸のあらゆる場所には結界が張られている。侵入者を防ぐのが第一目的であるが、侵入を果たした彼らが逃げ出すのを妨げ、家のなかに閉じ込める目的もあった。だからこそ、ノエを外に逃がすことなど早々ないと思っていた詩凪やキキたちは、油断してしまっていたわけではあるのだが。
彼はいとも容易く、邸からの脱出を果たしてしまった。
割られた窓に飛び付く。ちら、と見ただけで、その場所だけ結界に綻びが出ているのが判った。
ノエはすでに、門を飛び越え、敷地の外へと出てしまっている。
「ちくしょう、逃がした!」
凌時が窓枠に拳を振り下ろす。キキは詩凪と柾のほうを振り返り、首を振った。詩凪は困った表情で俯き、柾はやれやれといった様子で肩を竦める。
キキはもう一度窓を見上げた。本来、窓に覆い被せるように張られているはずの板状の結界が、そこだけきれいに取り去られている。あっさりと外に飛び出したことを考えると、ノエが今さっき強引に破った、とは考えにくかった。
であるならば、はじめから破られていた、と考えるのが妥当だろうか。
誰がキキに気づかれず、そこを破ったのか。何故、そんなことをしたのか。
どうしてノエは、その事を知っていたのか。
ノエの言い残した言葉が頭を過る。
停電した邸内は、その翳をいっそう色濃くしていた。




