はじめてのお店
ルーナの目が覚めるまでの間、わたしは洗い物をしたり洗濯物を取り込んで畳んだりしていた。ルーナは結局、ごはんを食べなかったみたい。
わたしは料理ができないし、勝手にお買い物に行くわけにもいかないから、悩んだけれどルーナを待った。
ルーナは細くて真っ白で、目を閉じて静かに寝ていると、本当に生きているのか心配になる。
「アウロラ……」
「ルーナ! 大丈夫?」
「ああ、すまない。私は、一日の半分を寝て過ごしているんだ。何も問題ない」
ルーナはそう言って、荷物をまとめて支度を始めた。外に出かけるためにあの骨を被ったルーナはちょっぴり怖かったけど、差し出された手を取ると、ぎゅっと握ってくれた。
市場には毎日通っていたけれど、初めて誰にもぶつからずに歩くことができた。みんながルーナを避けていく。けど、それはいい意味じゃない。気味が悪そうにされたり、睨みつけられたり……。
見上げたルーナの顔は骨に隠れていて、何を考えているのか知ることはできなかったけど、わたしが手に力を込めると、きゅっと握り返してくれた。
こんなふうに嫌な顔をされて、平気なわけないよね。食材を届けてくれたお婆ちゃんも、隣の家のおばさんたちも、みんなみんな、ルーナのことを変な目で見てた。
骨を被っていて、お薬のニオイがして、黒ずくめだから? しゃべらないから? 家に怖い人が来るから?
でも、ルーナはルーナだよ。ルーナのことを知らないから……。わたしは、ハッと気がついた。そうだ、わたしが間に立って、みんなの誤解をとけばいいんだ!
お隣さんたちも、言えばわかってくれたもん。いつか、街の人たちが、ルーナを見ても嫌な顔をしなくなればいい。そしたら、ルーナもきっと、今より笑顔になれるよね。
そんなことを考えながらしばらく歩いていると、美味しそうな匂いのする屋台の前でルーナが立ち止まった。
「ルーナ?」
「ここに、店を出すんだ」
ルーナは屋台の隣の空いた場所に、壁に立てかけてあったゴザを敷いて、持ってきたラグを広げて、そこに座った。鞄から売り物を出して並べていく。わたしは慌てて手伝った。
「ありがとう、アウロラ。隣の屋台で、ふたり分の食べ物を買ってくれないか。店主、いつものを」
お財布を持って屋台の前に行くと、おじさんは黙ってパンを網の上に載せて温め始めた。平たくて大きなパンに、野菜とお肉を挟んだものはアツアツで、ちょっぴり辛いソースが美味しかった。
わたしがルーナの隣で「薬いりませんか」と声をかけると、色んな人がやってきて、ルーナの薬を買っていく。まるでみんな、ルーナが来るのを待っていたみたいに。
「薬売り、ようやく来たなぁ。塗り薬をふたつつくれ。髪油はないのかい」
「……あれは、あと少しだ。また、持ってくる」
「頼んだぞ」
威勢のいいおじさんはそう言って、忙しそうに行ってしまった。歩いていたときみたいな、意地悪な反応ばっかりじゃないことは嬉しかったけど、それでも嫌そうにしている人はいた。
そして、塗り薬はあっという間になくなったのに、お守りはぜんぜん売れなかった。
「せっかく作ったのに!」
「うん、まぁ、仕方がないよ。なかなか売れないものだから……」
ルーナの声も少しだけしょんぼりして聞こえる。わたしが作ったものだけじゃなくて、前から売れ残ってるお守りがたくさんあるもんね。
「アウロラ、そろそろ店を畳んで、買い物をして帰ろうか」
「えっ、もう帰っちゃうの?」
「薬はなくなってしまったし、アウロラは寝ないといけないだろう」
「…………!」
まだ、帰りたくない。だって、お守りがひとつも売れてない。でも、ルーナに迷惑をかけるわけにはいかないし……。
「じゃあ、服を買ったら、またここへ戻ってこようか。この場所は、朝までは私が使っていい場所だから」
「いいの?」
「今日だけ、特別だ」
「ありがとう、ルーナ!」
ルーナが「帰ろう」と言ったのは正しくて、その後もお守りはひとつも売れなかったし、わたしは眠くなってしまって帰るのもつらかったけど、納得行くまでお店を続けさせてくれたことがわたしはとても嬉しかった。
薬を売り切って、たくさんのお金が手に入ったけれど、問題はまだ山積みだった。わたしがそれに気づいたのは、手遅れになってから。なぜかって、それは、次の薬を仕込むための油を買った後に、お金がほとんど残っていないことがわかったからだった。
「どうして! お薬はぜんぶ売れたのに、お金がないの!」
テーブルの上に積んだ硬貨を数え終えたわたしは叫んだ。反対側に座るルーナは、首をすくめてしょんぼりしている。
「どうしてなの、ルーナ。わたし、わかんないよ……」
「泣かないで、アウロラ。大丈夫だ、ちゃんと考えてあるから」
「でも、もう売れるものは残ってるお守りだけで、薬草オイルも髪油も、今から仕込むんでしょう? 残ってるお金は生活するのに必要なんじゃないの? 容れ物はどうするの?」
わたしの質問に、ルーナは首を横に振った。
「アウロラは、心配しなくていい。こういうことは、私に任せるんだ。今までだってやってきたんだから」
「今までとは違うでしょ! わたしがいるから……わたしのせいで!」
「アウロラ」
「……わたしが、いけないんだ。わたしさえいなければ、ルーナはこんな大変な目になんてあってないもん!」
「アウロラ!」
ガタンと椅子が倒れる音がして、次の瞬間には、わたしはルーナに抱きしめられていた。
「そんなことを言うな。アウロラは頑張ってくれたじゃないか。薬がすべて売り切れたのだって、アウロラのおかげだ」
「だって……!」
「それに、アウロラが来てくれて、私は嬉しいんだ」
ルーナの腕の力が強くなって、わたしはもっとぎゅっとされた。ひんやりしているルーナの体だけど、心臓がドクドクと大きな音を立てている。
「前に、言ったじゃないか。ここにいてくれると嬉しい、って。アウロラのおかげで、私はもうひとりじゃない。寂しさはどこかへ行ってしまったよ。あなたは私の光だよ、アウロラ。不意に差し込んできた陽光の煌めきよ、あなたの訪れはまさに、歓びだった……」
「ルーナ……!」
なまえのなかったわたしに、ルーナがくれたドラゴンのなまえ。『歓びを告げる曙の光』って。ルーナ、そんなふうに思ってくれていたの? 涙があふれて止まらなかった。抱きしめられて、ぬぐえずにルーナの胸を濡らしながら、わたしはルーナを抱きしめ返すことしかできなかった。