朝
窓の雨よけを叩く音がして目が覚めた。同じように起こされたのか、横に寝ていたルーナも伸びをしている。
また、ドンドンと今度は強く叩かれて、わたしはベッドのすぐ脇の窓へ飛びついた。
「あ、アウロラ、待って」
ルーナはなぜか玄関の方へ向かっていた。わたしは、こっちの方が早いのにと思いながら、背伸びをして雨よけを開ける。
「まぁ、誰だい、アンタぁ」
そこには目つきのキツイ皺くちゃのお婆さんがいた。野菜の入ったカゴを片手に提げていて、わたしのことを疑わしそうな目で睨んでいる。
「アンタ見ない顔だね。いつからここにいる?」
「き、昨日から」
「アンタ、ここがどこかわかってんのかい? 化け物が住んでるんだよ。化け物はどこに行った」
怖い顔をするおばあさん。わたしは一瞬、何を言われているのかわからなくて、わかった途端に叫んでいた。
「ルーナは化け物じゃない! ひどいこと言わないで!」
「こら、アウロラ!」
「だって!」
ルーナに叱られた。
悪いのは、このおばあさんなのに!
「アンタ、人間だったのかい……」
窓際に慌ててやってきていたルーナは、あの骨を被りそこねていた。おばあさんはびっくりした顔をしていて、わたしは心がストンと落ち着いた。この人はきっと、ルーナの本当の姿を知らなかっただけなんだ。
「すまない、まだ子どもなんだ、許してやってほしい」
「あたしゃ別に……」
ルーナが謝る必要はないと思う。それなのに、どうして?
わたしが何も言えずにいるうちに、おばあさんは小さな手押し車から幾つかのお芋や人参、卵、野菜を取り出していた。ルーナはそれを窓越しに受け取って、代わりにお金を支払う。
わたしはその手元を覗き込んで、びっくりした。お野菜が少なすぎる! 市場に行けば、同じ量が半分の半銅貨五枚で買える。
「たったこれだけで?」
ルーナはまた、「こら」と言ってわたしをたしなめた。でも、黙っていられなかったんだもの。
「ふん、これでいいんだろ」
おばあさんはムッとして、不貞腐れたように言うと、小さなお芋を二個足して、ルーナの手から銅貨を毟り取って行ってしまった。
「なぁに、あれ」
嫌な人だ。あの野菜売りのおばあさん。
あんな人から買うくらいなら、わたしが朝市に行って、もっと安いのを買ってくるのに。それか、同じ銅貨でもっとたくさん、鮮度のいい野菜を買ってこられる。
「ねぇ、ルーナ。どうしてあの人から野菜を買ってるの? よかったら、わたしがお買い物してくるよ。大丈夫、お買い物はいつもわたしの役目だったんだから」
わたしがそう言うと、ルーナは困ったように笑った。薄いカーテンを閉めて朝の日の光を取り入れながら、買った野菜をカゴに詰めていく。
「……私は、あなたをひとりで外へ出したくないんだ。ひとりで行かせれば、父親の様子を見に行くかもしれない」
「それは……!」
絶対にない、なんて言えなかった。
だって、わたし、本当はずっと気になっていたもの。お父さんは今、どうしてるんだろうって。ひとりで起きてお仕事に行けているかな、ちゃんとご飯食べたのかな、って。お掃除は、お洗濯は。……わたしがいなくなって、さびしくは、ないのかな、って。
黙っているわたしに、ルーナは続けた。
「気になるだろうけれど、それでも今は会いに行ってほしくない」
「ルーナがダメだって言うなら、うちには絶対に行きません。約束します! だから、だから……」
見捨てないで。
わたし、きっと役に立ってみせるから……だから、わたしを嫌いにならないで。わたしを必要として。いらないって、言わないで……。
言えない言葉が、まるで石みたいに冷たく重くお腹に溜まっていく。鼻がツンとして涙が出そう。泣いちゃいけない。困らせちゃうから。
「それにね、アウロラ。私はあなたに彼女の仕事を奪ってほしくないんだ」
「仕事を奪う? あのおばあさんの? でも、あの人はルーナを騙していたのに!」
「私は満足していたよ、アウロラ」
わたしは思わず聞き返していた。どうしてルーナは、あのおばあさんの味方をするの?
ルーナは屈んでわたしの目と同じ高さに顔を持ってきて言う。
「つい昨日まで、あなたは弱い立場の人間だったね、アウロラ。弱いというのは、力もない、お金もないということだよ。それがどういうことか、同じ立場のあなたなら、わかるだろう?」
「じゃあ、もしかして、あのおばあさんも……」
「ああ。売り物の芋をやりくりすることで何とか生活しているんだ」
「でも、でも……」
「正しいことがすべて、善いことではない。それに、私は彼女に感謝しているんだよ、アウロラ。金を払うと言っても誰も届けに来てくれない、一度か二度来て次はやってこない者たちがいる中で、彼女だけが私の窓に食べ物を運んできてくれた。こんなに続いた者は他にいない。何も口にするものがなくて、飢えたまま寝床に丸くなっていた日もある……そのつらさ、アウロラも知っているんじゃないのか」
わたしは、何も言えなかった。
ルーナの肌はあまりにも青白くて、ひび割れていて、日の光に当たるのは痛そうだった。初めて会ったときも骨の仮面と長く引きずるローブを着ていた。
ルーナはきっと、昼間に外に出られる身体じゃないんだ。そんなルーナが生き延びるためには、あのおばあさんの売ってくれる食べ物が必要だったんだ。
「わたし……ごめんなさい……」
「アウロラが謝ることではないよ。でも、理解してくれたら嬉しいな」
「うん」
ルーナはゆっくり腕を伸ばして、そっとわたしの肩に触った。そして背中にも。もしかして、抱きしめようとしているのかな。……抱きしめてもらっても、いいのかな。
わたしも腕を上げて、ルーナに手を伸ばした。そっとそっと。わたしたちは抱きしめあった。
そのとき、すごい音がして、部屋にひとつしかない外へのドアが倒れてきた。