約束のとき
それからは忙しい毎日だった。
レインに渡した薬の余りを市場に持っていって売ることを繰り返した。お勉強をして、お洗濯をして、レインの雇っている女の人の子どもたちと遊んだ。
カイに釣りを教えてもらったり、ルーナと薬草を摘みに行ったり、野菜売りのお婆さんに料理を教わった。お隣さんたちにお試しでクリームを使って、少しずつを安い値段でわけてあげたりもした。
ルーナは相変わらず、一日のうち半分は寝ている。元気でいてほしいのだけれど、こればっかりは仕方がないのだとルーナは笑っていた。
「魔力のせいなんだ。私は魔法を使っても、使わなくても、生きている限りはこうなんだ」
「魔力の、せい……。捨てることは、できないの?」
わたしが聞くと、ルーナは少し微笑んで首を横に振った。
「捨てるための方法は知らないし、知っていたとしても私は、きっとそれを選ばない」
わたしにはわからないけれど、ルーナにとってはとても大事なものみたい。こんなに苦しそうなのに。魔法を捨てないのは、それが便利だからなのかなと思ったりもしたけれど、ルーナは魔法を使わない。わたしは結局、一度も見ていないもの。
ルーナに何もしてあげられないことがつらい。と、そうカイに愚痴をこぼしたら笑い飛ばされた。
「ったく、大人みたいなこと言いやがる! 背もこんなにちっこかったのに、今じゃまじない屋と同じくらいまで伸びちまって。女ってぇのはすーぐ大人になっちまうよなぁ。オレたち男はいつだって置いてきぼりだ」
「ちょっと、カイ! わたしは本気なの。からかわないでよ」
わたしは頭の上に置かれた手を無理やりどけて、カイを睨みつけた。
「そう噛みつくなって。お前はよくやってるよ」
「そうかなぁ」
「おう! お前が来てからまじない屋はよくしゃべるようになったし、以前の暮らしは知らないが、それでもちゃんと食べるようになったおかげで体調が良さそうだぜ」
「そう?」
「そうそう。お前のおかげだよ」
「そっか……!」
もう一度、カイがわたしの頭をくしゃくしゃにする。でも、今度は嫌じゃなかった。
「さてと。オレはもう行くぜ。また今夜、兄貴と一緒にそっちに行くからな。支度しておけよ」
「うん! この日のために頑張ってきたんだもん。ようやく……、ようやくルーナが自由になれるんだから」
「ああ、本当によくやったな」
そう言って、カイはにかっと笑った。わたしは誇らしい気持ちで頷く。ギリギリだったけど、ちゃんと目標額まで貯まったの。レインは無理難題をふっかけて、ルーナから家を取り上げようとしてるわけじゃなかったんだって、わかったんだ。
「じゃあね、カイ! 待ってるからね!」
「おうよ!」
カイを見送った後、わたしは洗濯物を取り込んですぐに家の中に入った。今日はさっさと家事を済ませて、後はレインたちを出迎えるだけにしたかった。
ルーナも、わたしと同じ気持ちだったのかもしれない。簡素な家の中は完璧に片付いていて、やるべきことはこの洗濯物を畳むことと、夕飯作りくらいしかない。家の中に、何もないっていうことでもあるけどね。
「おかえり、アウロラ。洗濯物、ありがとう」
「うん。すぐに片付けちゃうね」
「一緒にやろう」
ルーナは少ない洗濯物を手に取った。ほんの少ししかないから、ふたりでやったら一瞬で終わってしまう。
「ルーナ、緊張してるの?」
「……ああ、そうかもしれない」
ルーナは真っ白な細い指で洗濯物の皺を伸ばしながら答えた。伏せられた睫毛が血の気のない頬に影を落としている。
「無理してるんじゃない? 夕飯が出来上がるまで寝ていたらどう?」
「大丈夫だよ、ありがとう。そして今日までたくさん頑張ってくれてありがとう。これでもう、アウロラが気に病むことは何もなくなるな。これまでずっと、私の借金のことを負い目に思っていただろう?」
わたしは何も答えられずにルーナを見つめた。血の気のない白い顔の中に、宝石みたいな黒い瞳がキラキラしている。わたしの気持ちなんてお見通しだと言うように、ルーナは微笑んでいた。
「ルーナには、わかってたんだね」
「ああ、そうだな。わかっていたよ。いつも一生懸命なアウロラを見て、すまないと思っていた。うちは貧乏だし、苦労ばかりかけてしまうし。もっと、いい人に助けてもらえていれば良かったと……」
「そんな!」
わたしのせいで無茶な借金を背負うことになったのに、ルーナが謝ることなんてない! 見ず知らずの、何の縁もないわたしを、見るに見かねて助けてくれたんだから。感謝してもし足りないくらい! 恨みに思うなんてとんでもない!
カイと話したり勉強を教えてもらううちに気づいたことがある。わたしは、虐待されていたんだ……。
ルーナと出会って三ヶ月、急に背が伸びたのは今までの栄養状態が悪かったせい。物の名前も数も、ほとんど知らなかった。男の人の大きな声が怖い。暴力的な人が怖い。いつも他人の顔色を窺っているとも言われた。
「謝らないで、ルーナ! わたしはルーナに助けてもらったんだよ? わたし、いつも殴られたり怒鳴られたりしてた……。それは、わたしが悪いんだと思ってたけど、それが違うってわかったのもルーナのおかげなの。ルーナはわたしにとって恩人なんだよ!」
「アウロラ……」
「だから、そんな風に言わないで。もっといい人がいたって、その人が助けてくれるわけじゃない。わたしを助けてくれたのは、ルーナでしょ?」
思いを視線に込めてルーナを見つめると、ルーナは小さく頷いてわたしを抱きしめてくれた。
「ありがとう、アウロラ。でも、これだけは覚えておいてくれ。アウロラはいつでも、自分で好きな道を選べること。好きな場所へ行けることを」
「ルーナ……!」
「さぁ、食事を作ろう。レインが来る前に」
ルーナはそう言って話を終わらせた。




