準備
レインのお屋敷の廊下を、カイに連れられて歩いた。今度は手を繋がずにひとりで、カイの後ろをついて行く。
一度外へ出て、塀に囲まれた敷地の中を抜けて、別のお屋敷に入る。ここが別館、ということらしい。わたしは椅子と机がたくさんある大きな部屋に案内されて、ご飯を食べさせてもらった。
カイも一緒のテーブルで、わたしの三倍も四倍も食べていた。ふかふかのパンと、豚肉のソテー。それにシャキシャキのサラダ。こんなに美味しいものがまだあったなんて!
ルーナにも食べさせてあげたいと言ったら、カイは意地悪な顔をして「だったらここに住むか?」なんて言って笑った。
「やめてよ。嫌だって言ってるでしょ」
「へいへい、わかってらぁ」
カイは木のジョッキからぐいっと中身を呷ると、今度は別の部屋にわたしを連れて行った。
そこにはお姉さんがひとりで作業をしていた。机の上にはたくさんの布、そして紙。服を着ている頭や腕のない人形のようなものもあった。
「あら、いらっしゃい。はじめましての子よね? 私はトネリ、よろしくね」
ふうわりと笑うお姉さんは、なまえをトネリといった。茶色い長袖ワンピースは首元も手首もカッチリしていて、わたしのとはぜんぜん違って見える。わたしはそっと、カイの足の後ろに隠れた。
「ここに住むわけじゃねえが、しばらく面倒見ないといけなくてな。トネリ、コイツ、いくつくらいに見える? 自分じゃ何もわからないらしくてなぁ」
カイはニヤニヤと変な顔をして、トネリの側に立って話しかけている。鼻の下が伸びてる。トネリさんはそれを嫌がる素振りもなく相槌を打つと、少し頭を下げてわたしに目線を合わせてきた。
「おなまえは?」
「……アウロラ」
「そう、素敵ね。お顔をよく見せてもらってもいいかしら? あら、その服、大きさが合っていないみたいね……」
「触らないで!」
伸ばされた手を、わたしは思わず振り払っていた。パシンと鋭い音が鳴った。
「おいこらチビ!」
「いいの! カイさん、いいの。ごめんなさいね、アウロラ。私が悪かったわ」
わたしが悪いのに、トネリさんはすぐに謝ってくれた。にこにこした笑顔に、わたしはすぐに後悔する。今のわたしを見たら、ルーナはどう思うだろう。わたしはカイの後ろから出て、トネリさんに謝った。
「この服は、ルーナが買ってくれたものなの。 すごく大切で取り上げられると思ったら手が出ちゃったの。ごめんなさい」
「そうだったのね。私こそ、びっくりさせてしまってごめんなさいね。この服だけど、あなたが成長することを見越して、少し大きめなのね。ちょっと手直ししたらとても着やすくなると思うのだけど、どうかしら」
トネリさんの優しい声が、チクチクしていた心を撫でる。わたしは自分の体を見下ろして、それからまたトネリさんを見た。
「私が手を入れても、服はダメになったりしないわ。あなたが大きくなったら糸を切って、また調整すればいいの。ねぇ、アウロラ、私に任せてみてくれないかしら」
「うん……お願いします」
わたしが頭を下げると、トネリさんは嬉しそうに笑った。
「それじゃ、さっそく取りかかるわね。その間は別の服を着ておいてちょうだい。これなんか、どうかしら。大きさもちょうどいいわ」
トネリさんが渡してくれた丸襟のワンピースは、丈は合っていたけれど袖の手首のところがブカブカだった。それを見てカイが笑う。
「お前もガリガリの痩せっぽちだもんなぁ。たくさん食ってもっと肥えろよ!」
「うるさいなぁ。髪の毛をぐしゃぐしゃにしないでよ」
「へいへい。それにしても、いくつくらいなんだろうなあ、お前は。八つか、九つか?」
わたしは首を横に振った。そんなこと聞かれても、わからないんだもん。誰も教えてくれなかったから、生まれた月もわからない。
「ん〜、もっと下かもなぁ。まさか六つってわけじゃないだろ?」
「確かに痩せているけれど、そこまで幼いわけではないと思うわ。ちゃんと食事と運動をしていけば、すぐに年相応になるわよ」
「そういうもんかねぇ」
カイは頭をひねりながら、わたしに部屋を出るように言った。トネリさんに手を振って、わたしはカイを追いかけて廊下を歩いた。
「勉強って、何をするの?」
「そうだなぁ。読み書き、計算、それにやっぱり一般常識かねぇ」
「文字が、読めるようになるの?」
「ああ。それに、書けるようにもなる。計算ができれば金勘定ができるし、そしたら、まじない屋が寝ちまってるときも店を開けるようになるだろ?」
カイの提案はとても魅力的だった。ルーナとわたしは今から新しい薬を作るところだった。上手く薬ができたら、後は売るだけだもの、ルーナの手を煩わせずにそれができるなら、わたしが役に立つっていうことがはっきりする。
「わたし、やる。教えて、カイ。お願い!」
「いいぜ。その代わり、オレは厳しいから覚悟しろよ」
「うん!」




