さらわれたルーナ
思い切り泣いて、涙が止まったら、ルーナはわたしを離してくれた。優しいルーナ。どうやったら、ルーナにもらった温かいものを返せるんだろう。
「ごめんなさい、ルーナ。わたし、もうあんなこと言わない、ルーナを悲しませたりしない。わたし、がんばるから!」
「アウロラ」
ルーナは詰まったような声でわたしのなまえを呼んで、もう一度抱きしめてくれた。
「アウロラがいてくれたら大丈夫だよ。私も頑張ろう。あなたにすべてを教え、導こう。それが人間の営みの在り方なのだから。あなたがひとりでも生きていけるよう、私は尽力する。約束だ、アウロラ」
「ルーナ……?」
ルーナの言うことは難しくてよくわからない。でも、いつかルーナと別れなくちゃいけない日が来るってこと? そんなの……嫌だよ、ルーナ。
「アウロラ、私は私の仕事をしてこようと思う。だから今夜は、ひとりで眠れるだろうか」
「どこへ、行くの……?」
その質問に、ルーナは答えをくれなかった。わたしは冷たいベッドにもぐって、ひとりルーナを待った。絶対に寝ないって決めたのに、いつの間にか朝になっていて、それなのにルーナはいなかった。
代わりにのっぽがいて、ツルツルの頭をポリポリかいて、起きたわたしにパンを見せた。
「食うか?」
「ルーナは? ルーナはどこ?」
「んー、まぁ、まずはメシにしようぜ。何もねぇんでびっくりしたわ」
「ルーナ!」
ベッドを出て、のっぽの脇を走り抜けようとして捕まった。持ち上げられて、天井に頭がくっつくかと思った。
「はなして!」
「落ち着け。まじない屋は兄貴のところだ。オレは迎えに来たんだよ」
「どうして! あんな、こわいひとのところに……!」
「とりあえず、あの女に会いたいならオレについてこい。ほら、パン食え。肉もあるし、卵もあるぞ。水、飲むだろ?」
わたしは黙ってうなずいた。さらわれたルーナを取り返すためには、のっぽについていくしかない。悔しいけど今は言うことをきかなくちゃいけない、そう思った。
朝の街は、夕方よりも人が多かった。特に、市場にお店を出す人でいっぱい。のっぽは私をつまみあげて、肩車してくれた。他のひとより頭ひとつ分もふたつ分も高いのっぽの肩にいると、ときどき洗濯物を干す紐にひっかかりそうになった。
「わっぷ! 気をつけてよ!」
「あぁ? あー、悪ぃ悪ぃ。チビなら大丈夫かと思ってたわ」
「わたしはチビじゃない!」
のっぽはわたしの足を軽く叩いて笑う。連れて行かれたのは大きな建物で、普段だったら絶対に近づかないような場所だった。だって、そこだけ誰もいないんだもの。
暗い雰囲気で、静かで、のしかかってくるみたいに高い建物。門の内側には武器を持った怖いおじさんが立っていて、わたしをジロジロ見てきた。
「ここなの……?」
「おう。ここは街を支える中央部だぞ、普通の人間は入れもしねぇ。お前は運がいいな、チビ」
ここが、あの悪いヤツの家……。
「ルーナ……」
「あんま心配すんな。大した怪我じゃねぇし」
「怪我!? ルーナ、怪我したの!?」
「あ、やべ」
「おろして! 下ろしてったら!」
「いてて、騒ぐな! 兄貴に叱られちまう!」
わたしはのっぽの肩の上から下りようとしたけれど、のっぽの手が邪魔してくる。
「ルーナ! ルーナ、どこぉ!?」
「やめろ、叫ぶな!」
小さくのっぽが叫ぶ。わたしは飛び降りて、ルーナを探して走った。
「ルーナ! ルーナぁ!」
お屋敷の中は薄暗かった。いくつもある窓にはカーテンがかかっていて、隙間からしか光が漏れてこない。ランプの明かりが広い廊下を照らす。ふかふかの足元は走りにくかった。
開いていないドアをぜんぶ開けていたら、のっぽに捕まっちゃうから、わたしは階段を駆け上がった。
「ルーナ!」
「やかましいガキだな。街からつまみ出してやろうか」
「!」
振り向くとそこに、のっぽが兄貴と呼んでいた、ルーナがレインと呼んでいた、あの悪いヤツが立っていた。顔に薄い色付きガラスを載せている。とても派手な格好の、怖い顔の男。
きっとコイツがルーナに暴力を振るったんだ……!
「すまねぇ、兄貴。手からすり抜けちまって……」
「フン。まぁいい、あの女に会わせてやれ。その後はガキ共のところへでも放り込んでおけ」
「はい、兄貴」
「やだぁ! 離して! わたしはルーナと一緒に帰るんだからぁ!」
「こら、暴れんなっての!」
わたしに背中を向けて部屋に入ろうとしていたレインが、足を止めてわたしを見下ろしてきた。冷たい、ナイフみたいな目。わたしは慌てて口を閉じた。
「一緒に帰る? そんなことさせるわけないだろう。お前の存在はあいつにとっての足枷だ。いっそこのまま消えてほしいところだが、そうなるとまた面倒だ。顔だけ見たら、言われたとおりの場所で待っていろ」
わたしは、何も言い返せなかった。あの声音には覚えがある。お父さんが、わたしを追い払うときと同じだ。心の底から、わたしを「いらない」と思っているときの声だ。
ドアが閉まる音がして、辺りは静かになった。あのレインというひとの世界から、わたしは、締め出されたんだ。
「おい、大丈夫か、チビ。こっちだ、来いよ」
「……うん」
高い位置からのっぽの声がする。わたしは静かにうなずいて、でも、足が動かなかった。
「ほら、来い」
のっぽの大きな手が、わたしの手を取った。ゴツゴツした、熱い手。わたしは、のっぽに手を引かれて歩き出す。ルーナのいる部屋は、すぐそこだった。




