ある魔法使いの苦悩54 シンク
「白虎様がいるのは大森林のほうだ。妖精の森を出る必要がある」
「私とサラは白虎の導きでいつの間にか妖精に森に移動していた。だから来た方法も出る方法もわからないんだ」
「それに関しては問題ない。むしろ簡単に出入りされても困る。私が白虎様と逆のことをする。つまり、おまえたちを…………ファーレンとサラを大森林に連れ出してやろう」
シンクさんは私たちと仲間になったことで、おまえたち、という表現を改めてくれた。そのままでも良かったけど、シンクさんにとってはそれが仲間になったことの現れなのだろう。
「私にとって移動自体は造作のないことだが、あいにく妖精の森からは出たことがない。エルフが森で迷うことはないから問題ないとは思うが、大森林にはそれほど明るくはない」
「迷わないなんて凄いな。さすがエルフだ。それだけでも充分な武器だと思うよ」
「……褒めても何も出んぞ」
「いや、純粋に凄いと思っただけさ。エルフが森で迷わないっていうのは本には書いてなかったから」
私は書籍だけでは事実のすべてを知ることはできないことを改めて感じた。確かに知への欲求を満たしてくれるし、読むことで新たな知識を得ることができるのが本の魅力だ。先人の遺した数々の記録は人間を豊かにしている。ある程度豊かになればこそ人は貪欲に知恵を求めるものなのだ。
それでもすべては賄い切れない。漏れや間違いもある。大事なのは書籍の情報をすべて真実だと思うことではなく、研究や検証をしていくことだ。魔法の研究開発もそうやって発祥したと聞く。
「ファーレンたちが来たという場所に出ると、もしかしたらまだトレントがいるかもしれないな。違う場所を出口にしようと思うが問題ないか?」
「どうだろう……白虎に出会ったのも偶然だ。同じ場所に出たらいるとも限らないけど、あまり違う場所に出てしまうともう出会うのが難しくならないかい?」
「それに関してもそんなに懸念しなくていい。改めて言うまでもないが私はエルフだ。森の中にいれば感覚が鋭くなる。白虎様の居場所を探ることも難しくはないだろう」
「そいつは頼もしいな。シンクさんがいれば、サラと白虎を再会させるのも時間の問題だね」
私がそう言うと、シンクさんは思案顔になった。立ち止まり、腕を軽く組み合わせる。
「シンクでいい」
「ん?」
「私のことはシンクと呼んでくれ。行動を共にするのに他人行儀すぎやしないか?」
「エルフだから年上だと思ったからね。呼び捨てでいいなら、そうさせてもらおうかな」
「年齢には触れるな」
「……そこは禁断の領域なんだね。気を付けるよ、シンク」
シンクはやはり年齢に触れられることを極端に嫌っているな。エルフは見た目では実際の年齢がわからない。見た目そのままかもしれないし、数百歳を超えていることもある。シンクは比較的若そうな感じはあるが、それでも人間と比べたら年上である可能性が高い。呼び捨てにしても、年下扱いはしないほうがいいかな。
「サラも私のことはシンクと呼んでくれ」
「シンクお姉ちゃんでもいい?」
「…………そう呼ばれるとなんだかむず痒いな。けど構わない。そう呼んでくれ」
「じゃあ、そうするね。シンクお姉ちゃん」
サラに呼ばれる度に本当にピクッと反応するシンクがちょっと可愛い。確実に呼び慣れていない。
エルフの長の感じだと、シンクはエルフの中ではかなりの年少なのだろう。ずっと妹扱いどころか、娘や孫、ひ孫とか玄孫として扱われていたとしてもおかしくない。もっともエルフ自体は子をあまり成さないから、百年間も新たな生命が宿らないこともあるようだ。
「……雑談はそろそろ終わりにしよう。では、妖精の森を出るぞ」
「よろしく頼むよ」
「意識をしっかりと持っておいてくれ。私を視界から外さないようにしていればそれでいい。場合によっては時空の狭間に引き寄せられてしまうかもしれない。こちらに来れたから大丈夫だとは思うが、念には念を入れておいて損はない」
「わかった。サラ、私と手を繋いでおこう」
「うん」
私とサラは手を握る。もしかしたらシンクともそうしたほうが確実なんじゃないかと思ったが、昨日の今日でいきなり初見の女性の手を握るというのもおかしな話だ。そもそもシンクに拒否されるような気しかしない。……サラなら握れるかも。
「シンクお姉ちゃんも手を繋ぐ?」
「…………それもいいかもな」
おや? サラがうまいことシンクの気を引いてくれたぞ。これなら間接的に私もシンクと繋がっているので、時空の狭間に引き寄せられることなく大森林に出られそうだ。
サラは空いていたほうの手をシンクに差し出す。シンクはその手をしばらくじっと見て、やがて意を決したように勢いよく掴んだ。あー、シンクのあの慣れていない感じがちょっと懐かしい気がする。私も人との付き合い方は不器用だからな。
「手を繋ぐのは悪くない案だ。私がいいと言うまでは離さないようにな」
シンクに言われて私とサラは頷いた。





