ある魔法使いの苦悩47 トレント
異変は突然起こった。
「ファーレン!」
「サラ、危ないから離れているんだ」
まさかこう来るとは……。
私の目の前に、いわゆる『化け物』がいきなり現れた。さすがに想定外だ。
「トレントだな。擬態していたのか」
見た目は木なのでパッと見で気付くことは難しい。その木が根を足のようにして動いている。細い枝を手のように扱い、頭上の葉っぱは攻撃に使われることもある。木のウロが顔のようになっている。タレ目に愛嬌があるが、見た目と凶暴さに繋がりはない。
「参ったな……私は戦士ではないんだよ」
トレントの腕に相当する枝からツルが伸びている。推定するに、もし攻撃される場合は鞭による攻撃に近いだろう。トレントは種族特性で素早さが低い。逆にこの様態で素早く動かれたら怖い。
「さて、撒くか倒すか…………私で倒せるのか?」
サラを下がらせ様子を見る。距離は充分取ってあるが、あのツルは伸びる。油断はできない。
トレントは根を細かく動かしてワサワサとしている。虫みたいで気味が悪いが、いきなり襲い掛かってこなかっただけありがたい。トレントは完全に木に擬態できるので、森の中で遭遇する場合は危険度が高い。わざわざ向こうから姿を現してくれたのは幸運と言えよう。
しかし、こういうときにストーク君がいてくれたらとても助かるな。彼の剣技ならトレントをあっという間に細断してしまうだろう。森の中で樹人を倒すのも気が引けるが。
「ファーレン、わたしも手伝う」
「いや、サラに何かあったら困る。木の陰に隠れているんだ」
サラを連れて走って逃げるという手もある。その間はマップを描けないので高確率で迷うことになるが、トレントにやられてしまうよりは遥かにマシだ。幸いスタート地点に戻ることはできる。
トレントはツルを鞭のようにしならせてビュンビュンと振り回している。いつあれがこちらに飛んでくるかが読めない。このトレントは何がしたいんだ?
トレントは樹齢によって再生力が違うから、攻撃しても無駄になる場合があるのが厄介だ。今目の前にいるトレントはそれほど大きくない。若木の部類だ。つまり、再生力が高い。あのツルを切り落としてもすぐに再生するからやるなら一気にやるのが最適解だ。
「ひさびさに私の剣技の出番か」
と言ってもストーク君のような長剣は持っていないし、持っていても扱えない。私には小剣ですら微妙なくらいだ。トレントから視線は切らずに鞄からナイフを取り出す。攻撃用ではないが、ツルの攻撃を捌くことくらいはできるだろう。
「さて、来ないようならこのまま退かせてもらうぞ。後ろからの狙い撃ちはやめてくれよ」
本当にこのトレントは何がしたいんだ? 私はナイフを油断なく構えているのだが、一向に動きがないままだ。ツルがひゅんひゅんしているから近付けないし、逃げられない。
私は少しずつ後退り、サラが隠れている木の陰に近付く。困ったことに、トレントも同じペースでこちらに近付いてくる。私が足を止めると向こうも止める。一定の距離が常に保たれる。
「どうしろと」
思わず愚痴りたくなる。まさとは思うが走って逃げたら走って追い掛けてこないだろうな? やめてくれよ、そんな目に遭った日には何日も夢に出て来そうだ。
「ファーレン、やっぱり手伝う」
「そう言ってくれるのはありがたいんだけど、私でもどうしようもない状況だ。サラも手を焼くぞ」
「困った……」
「困ったね……」
ここは思い切って切りかかってみるか? とてもリスキーだし、私はこのトレントから攻撃を受けたわけじゃない。戦士じゃないし攻撃魔法が使えるわけでもない。専守防衛に徹したいところだ。
「時間が解決してくれるならこのまま待つけど……無理だろうな」
トレントは樹人という精霊に近い存在だ。凶暴化すれば魔物となるし、何もしなければそのまま精霊という扱いになる。何百年と生きるのがあたりまえの木が存在の源泉なだけに、時間の経過に鈍感だ。人間とは耐えられる時間の絶対値が違いすぎる。我慢比べならまるで歯が立たない存在だ。
「……よし、やはり逃げよう」
ここは戦術的撤退だ。トレントは魔物の中では比較的強くないほうだが、それは戦闘員にとっての話だ。私のような非戦闘員ではそうも言っていられない。出会った時点でかなりの劣勢だ。獣ならまだしも、魔物では余計にそうなる。
「サラ、私がトレントの気を引いておくからあの大きな木に向かってゆっくりと進んでくれ」
「あの木ね。わかった」
サラは木の陰を離れ、大きな木へ向かおうと歩き出す。
「ファーレンもすぐに来てね」
「そうするつもりだ。トレントを引っ掛けるのにちょうどいい場所がある。そこまで引きつけてから一気に走るから、サラも私に合わせて走る準備をしておいてくれ」
「わかった。先に行ってるね」
サラはほとんど歩いているのと変わらない小走りで大きな木へ向かって進み出した。
さて、これからは私のターンだな。トレントが同じ距離をキープするなら、あの溝に嵌めることができる。私は背後にある抉れた地面をチラと見る。自然でできた森林だからこそ、地面にはそれなりの起伏がある。ほとんどは歩く上でちょっと大変なくらいの凸凹だ。ところが、ときどきジャンプしないといけないくらいの段差になっていたり、溝になっていたりする。
トレントの足は木の根でできているとは言え、自分の重さの影響でかなり平たく広がっている。つまり縦の動きに弱い。時間をかければ根を引っ掛けるようにして登ることができる。そう時間をかければ。
サラがある程度離れたことを確認し、私はジリジリと後退する。やはりトレントは一定の距離を保って付いてくる。
「よーし、いい子だ、そのままこっちに来いよ」
私は目星を付けていた場所に来たことを確認して後ろを振り返った。背中が無防備になるが、後ろ向きで走ることはできない。一気にダッシュをし、溝をジャンプで飛び越える。案の定を後ろではトレントが高さが足りずにうまく進めないでいる。ようやく距離が一定じゃなくなった。
トレントを置き去りにサラが待つ大きな木へ走り向かう。モタモタしていたらトレントが這い上がってきてしまう。サラと合流してもっと遠くへ離れないと。
「サラ、すぐにそっちに行くよ!」
「……ファーレン!」
サラの声は私を迎え入れる喜び――ではない。緊迫した声だ。
私の視界にそれはすぐに入り込んだ。サラが目標としていた大きな木。それも――トレントだった。





