ある女商人の苦労話13 商人ジェリカの今日は始まったばかり
「ジェリカ先輩。今回の仕入れ、このくらいでいいですかね?」
「それはあなたが決めていいのよ。私はあなたの上司じゃないもの」
「そう言われても…………どうですかね?」
「ダメよ、それはあなたがちゃんとやらないと」
私は元部下である上司の情けない笑顔を見て肩を竦めた。私がいない間に少しは成長していると思ったら……まだまだみたいね。昔から運だけは良かったし、それで乗り切ってこれたのかもしれないわね。
「しかし、ジェリカ先輩がまさかまた商人をやろうだなんて、俺、ちょっと感動してます」
「大袈裟ね。……ちょっと思うところがあってね。親にはまた心配かけちゃうけど、やっぱり私はまだ未練があったみたいなの」
「先輩のご両親は……?」
「お父さんは怒っていたわ。また失敗するぞ! ってね」
「厳しいですね……」
「でもね、お母さんがお父さんを説得してくれたの。私の借金のせいで大きなお金を失ったのに。それもまだ返せていないのに」
「優しいお母さんですよね」
「……甘いのよ」
私は母の満面の笑みを思い出した。正直私は全力で反対されるものと思っていた。街の金融屋に借りたお金で首が回らなくなって親に泣きついてきた娘が、まだそれをしっかりと返してもいないのにまた商売がやりたいだなんて、自分でもわがままが過ぎていると思う。
父が怒るのも無理はない。私が商人として活躍している間は諦めていたみたいだけど、やっぱり実家に帰ってきたのはどんな理由であっても嬉しかったみたい。たとえ莫大な借金の肩代わりで貯金を減らしたとしても。
でも、私が肩身狭く生きていることも薄々感じてくれていたのかもしれない。私を怒っていたのはおそらく覚悟を確かめるため。きっとそうだと思う。母の説得に耳を貸さないという頑なな態度でもなく、理詰めで私がまた失敗するかもしれない理由をひとつずつ責めてきた。
母のフォローもあったが、私もそのひとつひとつに真摯に答えたつもり。父は真剣な顔で私の話を聞いていた。甘いところがあれば鋭く突いてくるのは父も商売人歴が長いからだ。私と父はある意味で真剣勝負をしていた。
私もいつかは商人に戻って今後こそうまくいくように、って考えていなかったわけでもない。さすがに無責任が過ぎるので表に出すことはなかったけど。父には見透かされていたんだと思う。じゃなきゃ、あそこまで私に対して真剣になってくれない。呆れるでもなく、諦めるでもなく、ひとりの商売人としてちゃんと見てくれていた。私はそれがとても嬉しかった。
最後は父親は無言で大きくひとつだけうなずき、私の背中をありえないくらい強い力で引っ叩いた。しばらく痛みが引かなかったけど、父の優しさが魂の奥底にまで刻みつけられたようで心に火が灯った。
「私が再起できたきっかけはミユと勇者のおかげ。でもやっぱり両親の応援は力強いわ」
「良い親でうらやましいです。……ところで先輩、今勇者って言いましたけど、その勇者ってあの勇者ですか?」
「あ、うん。……そうよ、その勇者よ」
「伝説の中でしか聞いたことないですけど、先輩、勇者に会ったことあるんですか?」
「どうだろう? ……夢の中の出来事だったのかも」
私は言葉を濁した。
居酒屋『冒険者ギルド』に行った日のことは鮮明に覚えている。ミユに勇者、戦士風の男に妖艶な美女。それと若くて元気で可愛い女店員さんを含んだ居酒屋の店員たちとマスターも。
結局あの1回しか行くことはなく、ミユから住所をなんとか聞き出して家まで送り届けたのが最後だ。私をパーティーに誘ってくれたこともあったから、連絡先のメモだけ残しておいたけど、とても酔っていたし勇者に夢中になっていたから私のことはあまり覚えていないかもね。
「先輩の歳でも勇者の夢なんか見るんですね」
「……ちょっと、それどういう意味?」
「あっ! すいません、失言でした!」
「失言ってことは普段から思ってるってことでしょ? ……まったく、うっかりも変わっていないのね」
「……ジェリカ先輩の前だからですよ」
ちょっと甘えたような口ぶりで言う。私は怒ったような顔をしたまま、その実ちょっと笑っていた。ホント、なにもかもあの頃と変わらないわね。
「部下だったときから遠慮なかったものね。まぁ、それがあなたのいいところよ。危なっかしいけど、伸ばしていい長所だと思っていいんじゃないかしら」
「先輩に言われると自信付きます!」
グッとガッツポーズを決め込むなんて、そんなにいいこと言っていないわよ?
「なにはともあれ、俺としては先輩が俺の店を手伝ってくれることになったってだけで勇者様様ですよ」
「期待に応えられるといいけど。私、前科持ちだし」
「前科だなんて。ジェリカ先輩はちゃんとやっていましたよ。あいつらが、あんな陰湿な手を使ってくるなんて誰も思わなかった……本当、あの日の自分をぶん殴ってやりたいところです!」
怒りを堪えているのか、抑えめの声には悔しさが多分に滲み出していた。私も当時をちょっと思い出して切なくなってきたけど、それはもう割り切るしかない。
終わった過去は変えられない。その過去があって、今があって、これからがある。大丈夫。私ならやれる。書物の中だけだった勇者が実在したんだ。勇者のほうがよっぽど多くの困難を乗り越えてきていた。私の苦労なんてたいしたことじゃない。まだまだやり直せる時間はたっぷりある。今度こそちゃんと長く成功して、両親に恩返しして、ミユとも連絡を取りながら第二の冒険者人生を始めるの。
不本意な形で解散した部下や同僚とも、また一緒に仕事ができたらどんなに幸せなことだろう。
「ほら、終わったことを言っても仕方がないわ。仕事は待ってくれないわよ。あなたは私の上司なんだから、どんどん私をこき使っていいのよ。私はもっとちゃんと苦労をしなくちゃいけないの。そしてそれを乗り越えることでやっと前に進めるんだから」
「そんなこと言ったら、本当に先輩のことこき使っちゃいますよ?」
「構わないわ。新人の――ただのジェリカとして、ビシバシ厳しくよろしくね」
「ジェリカ先輩……いえ、ジェリカ。じゃあ、さっそくこの仕入れ表が問題ないかを確認してくれないか?」
してやったりの顔で書類を私の前に差し出してくる。そして、急に誤魔化すように真顔になる。
「……はい、任せてください」
私も真顔で返す。新たな上司と部下として真顔で指示をやり取りし、まもなく盛大に吹き出した。
あー、もしまた居酒屋『冒険者ギルド』に行く日が来たら、そのときは私の自慢の武勇伝でも大部屋で語り尽くそう。トークの練習もしないといけないかしらね?
さぁ、これからどんどん忙しくなるわ。私の胸は溢れんばかりの期待で大きく膨らんだ。
ある女商人の苦労話 ー了ー
ここまでで『ある女商人の苦労話』は終わりとなります。
次の74部からは改めて『ある魔法使いの苦悩』後編が再開します。
引き続きおたのしみください。





