ある魔法使いの苦悩4 少女の名前は
洞窟の中は思ったよりも明るかった。
誰が設置したのか、それとも自然発生なのか、そこかしこにヒカリゴケが群生している。ひとつひとつに蓄えられた光はほのかに明るい程度だが、たくさんあればいい道標になる。
そういえば、この洞窟について事前の情報収集が足りなかった気がする。
私はアイテム類の用意には万全を期したが、肝心の洞窟について調べることを忘れていた。
――お宝がある。
――そのお宝は魔物の可能性がある。
――この洞窟から帰って来ない者がいる。
最後が恐ろしいワードであることは間違いないが、ある冒険者が魔法で判別した限りでは魔物を示していたお宝があることぐらいしか情報がない。それも今もまだあるかすらわからない状況だ。
徒労に終わるかもしれないし、私もここから帰れない内のひとりになる可能性もある。
だが、今回はそうあってはいけない。
私ひとりならまだしも、私の傍には少女がいる。何かあった場合は必然的にこの少女も運命共同体になってしまう。私はいい。でも、この少女は守らないといけない。
そこで私ははたと思う。
この少女の名前を聞いていなかった。呼びかける時に困るから聞いておいたほうがいいな。
「そういえば聞くのを忘れていたんだけど、お嬢ちゃんの名前は何?」
「……なまえ?」
「そう、名前」
「なまえ……?」
おや? また会話が成立しないぞ。
「自分の名前、わからない?」
「……」
うーん、困った。少女は私をただ見上げて首をちょこんと傾げているだけだ。
……まさか、名前がないとかそんなオチか!?
「もしかして、お嬢ちゃんの名前って決まっていなかったりする? なんて、そんなことないか。あはは」
「なまえって……何?」
そう来たか!
「えっと、名前っていうのはね、自分自身のことであって、お互いに相手のことをどう呼べばいいかのって決めごとのようなものなんだ」
合ってるか!? 名前の定義とか考えたことがないから怪しいかもしれない。
「私の名前はファーレンっていうんだけど、キミが私のことを『ファーレン』って呼んだら、私は『なに?』と返すと思う」
「……ファーレン」
「なに? ……そう、そういうこと」
少女はファーレン、ファーレンと何度も繰り返しつぶやいている。連呼されても困るが、名前というものが何なのかをわかってもらうには必要なステップだろう。
「ファーレン」
「なに?」
「……わたし、なまえ、ない」
まさかと思ったがやっぱりか。しかし、名前がないなんて、今どきほとんど聞かないけど。
そもそも私のところへ急に現れたこの少女は、その存在そのものがどこか希薄な印象を受ける。着ているのは淡紅色のワンピースで、真っ黒な髪の毛は腰くらいまで伸ばされている。まるで物語に登場する薄幸の美少女のようだ。
肌の色素も薄く、ほぼ無表情なので元気な印象はあまりない。ただそのへんですれ違ったら、存在に気が付かなかった可能性も否定できない。
「名前ないのかぁ」
私は少し考える。どうせふたりしかいないのだし、ずっと「お嬢ちゃん」と呼んでも差し支えはないだろう。でも、もし洞窟を攻略後に村に戻ったり、そのまま王都にまで連れて行くことになったりしたら、さすがにこの年齢差で「お嬢ちゃん」と呼んでいたら怪しまれそうだ。私は決して誘拐犯ではないぞ!
「……」
無言で少女が見つめてくる。くいくいっと白衣の袖を引っ張って先へ行こうと促しているようだ。
「……」
私も少女を見つめ返す。
――名前つけちゃっていいのかな?
ペットじゃないんだから勝手に名前を決めることはできないけど、本当の名前が何であれ、私が決めた呼び方で呼ぶのはアダ名と同じだから問題ないんじゃないかな?
いいよね? うん、問題ない……はず!
そうと決めた途端、なんだか急にパッと少女にふさわしい名前が天から降って来たように感じた。
そうだな。うんうん、ピッタリだ。
「サラ」
「……サラ?」
「そう……サラ! キミの名前はサラ!」
やっぱりしっくり来る。よくここまでこの少女にピッタリの名前を考えついたと自分を褒めたい。
「わたしは……サラ?」
少女――サラの顔にわずかに光が差したように感じた。うれしそうな顔、と言ったらいいのか?
「サラ……サラ……」
うんうんとうなずいている。良かった、気に入ってくれたみたいだ。
「よしっ! じゃあ、行こうか、サラ」
「うん……」
私はサラの手を引き、先へ進んでいく。
なぜか、体に魔力とは違ったものが湧き上がってくるような感覚を覚えたが、それが何なのかは良くわからない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
洞窟の中は広大なフロアがひとつあり、奥に進むと曲がり角の向こうからさらに大きなフロアが出現した。
こちらのフロアは最初に比べるとヒカリゴケの数が少ないので若干薄暗くなっている。
私は火の魔法を転用した照明装置を持っているが、まだ使うようなタイミングではなさそうだと考え、若干視界は悪いものの、そのまま気にせず進むことにした。
「サラ、暗くないか?」
隣を歩くサラに声をかけようとして、私は一瞬我が目を疑った。
サラが――サラの全身がほんのちょっとだけ発光しているように見えたのだ。ちょうどヒカリゴケのように、わずかだが光を発している。
「なに?」
サラは私の顔を見上げると、不思議そうに首を傾げた。どうやら自分の体が発光していることには気がついていないようだ。
「なんだか、サラの体が光ってるんだけど、わかる?」
「光ってる……?」
サラは顔を下に向けて自分の体を見ていた。空いている左手を顔の前に持ってくる。私からはその手もほんのりと淡く光っているように見える。
「……?」
ぶんぶんと首を横に振って否定する。
「そっか」
ヒカリゴケの残滓が目に残ってしまったのだろうか? 暗い中では淡い光といえど網膜に焼き付いてしまうという可能性があるのかもしれない。
このまま考えても答えが出そうもないので、私はサラの手を引き、ひとまず奥へと進むためにまた歩き始めた。





