ある魔法使いの苦悩62 サラと白虎
サラが白虎の背中を撫で続けていると、やがて白虎が脚を折り、そのまま横になった。猫が眠るように丸くなり、琥珀の瞳も閉じられた。サラもそれに合わせてしゃがみ込む。
背を撫で終えたサラは、白虎の額に自分のそれを重ね合わせた。明るい琥珀色の光が額と額の間に煌めいた。
サラはスッと立ち上がり、こちらを振り返る。その瞳の色は——
「サラの瞳が琥珀色になってるよ!」
「ああ。これが白虎がサラの身体を借りている状態なのだろう」
琥珀の瞳で私、シンク、メルティを順に見て、サラの姿をした白虎はスタスタと私の元に歩み寄る。その足取りに迷うところは何もない。
「……人間よ。まずはわたしに協力してくれたことを感謝しよう」
流暢な言葉遣いで白虎が軽く頭を下げた。
「私はファーレンだ。失礼だが、あなたは伝説の白虎なのか?」
「如何にも。わたしはおまえたちの言う白虎で間違いない。もっとも、最早ほとんど力は残っていないがな」
白虎は自嘲する。サラの顔では見たことがない表情だ。
「おまえの子の姿を借りる形になり悪いことをした。こうしなければ人の言葉を話せないのでな。許せ」
「それはサラが自ら望んでやったことなので気にしないでほしい」
「ほぅ……道理で身体に力が満ちているわけだ。この器はわたしなどよりも余程神に近いな」
白虎は手を広げ、琥珀の瞳を向けて自らの手をグーパーと握ったり広げたりしている。力の具合を確かめているのか?
「エレメントは合わないが、動かしやすいので助かる」
「いきなり失礼なことを聞いてしまうが、あなたはサラの身体を借りているだけでいいんだろうね?」
「不安に思うのも仕方あるまい。乗っ取ったりなどせぬから安心せい」
「……神を疑うような真似をしてすまない。私はサラを失うのが怖いんだ」
「おまえは器の守護者としてかくありたいのだな」
「そんな大層な話じゃないさ。サラの保護者として、私がしっかりとサラを守ると決めたんだ。ただそれだけだよ」
「なるほどな……」
白虎は腕を組んで考えるようにスッと顔を伏せた。これもサラにはまるで似合わない仕草だ。
「おまえたちの行いは間違っていない。器は器としてわたしたちの魂を救済し、おまえは器の守護者として行動を共にしそれを護る。救われようとするわたしが言うのだから間違いない。青龍もそう言うておる」
「青龍とも話ができるのか!?」
「わたしは四神のひと柱だ。そして青龍も同じだ。通じることができぬ道理がない」
「青龍も白虎もそう言うのなら、それはそうなのかもしれない」
「自信がないようだな」
サラの顔をした白虎はその琥珀色の瞳をスッと細めた。猫科を思わせる細長い瞳孔が私の心の奥底を覗き込んでくるようだ。
しばらく見られたまま、確実に時間だけが進んでいく。白虎に見据えられて私は動くこともままならない。
「ファーレンと言ったか」
「……ああ」
「少し心を覗かせてもらった。おまえが自信を持てない理由はわからんでもない。だが、過去のことなど些末なこと。今を生きるのが人というものではないのか?」
「過去にも縛られるし、未来に希望を見出すこともできる。人は今だけに生きているわけではないよ」
「そうだろうか? 時の流れに過去も未来もない。今があるだけだ。過去とは人が意味を持たせた過ぎた時であり、未来とは人が意味を持たせた未だ来ぬ時である。過ぎた時にも未だ来ぬ時に行くことなど叶わん。今だけがすべてだ。違うか?」
白虎は自信に漲る強い視線で私を射抜く。その言葉は私の心の深いところに突き刺さるようだった。
「……あなたの言うことは少し難しい。たとえ今しかなくても、やはり人は過去にも未来にも影響を受けてしまうものだ。少なくとも私は私だった時間をいきなりなかったことにはできない」
「……ふむ。そうであれば無理に刹那を生きろとは言えんな。時に縛られるのもまた人の定めか」
私の答えに満足したわけではないだろうが納得はしたようだ。白虎はひとつ小さく頷くと、先ほどの厳しい視線から一転して優しさを感じる目を私に向けてきた。
「おまえにはおまえの生き方がある。それは否定もせぬし、肯定もせぬ。だが、何かを選択しなければならない時には、その刹那における魂の声に耳を傾けてみるがいい。あれこれと余計に考えることのない、自分の思うままの素直な心の声をな」
「……うしろ向きな私もサラと出会って前を向くことができた。刹那に生きることは難しい気がするけど、その瞬間瞬間を大切に生きることは意識して心がけようと思う」
「それで良い。私は四神のひと柱だ。神がそう言うのだからもっと信用するといい。むしろ、もっと信用してくれてもいいのではないか?」
「別に信用していないわけじゃないよ。人はそんなに早く変われないだけだ。私だって変わりたいわけじゃないし、前へ進めるのなら変わっていきたい。少しずつでも、確実に」
私はそう宣言し、ようやく緊張していた顔に笑みを浮かべることができた。
「なんだ、いい顔ができるではないか」
白虎もニヤッと笑った。これもサラがあまりしない顔だ。
「そうだ! 白虎、あなたに聞いておきたいことがあったんだ」
「なんだ?」
「この大森林で現れたトレントと幻影の魔獣、あれはあなたの試練だったのだろうか?」
「如何にも。なかなか趣向を凝らしたものであったろう?」
白虎はニヤリとした笑いを強める。サラの顔ではあまり見たくない底意地の悪い表情だ。神のくせになんて顔をするんだ。
「どちらもとても危険なものだった。そこまでして私たちを試す必要はあったのか?」
「別に試練など課す必要はない。だが無条件で会うのも憚られる。結果的には試練を課して良かったと思っておる」
「……良かった。もしトレントが自然発生するのだとしたら、この森はすでに安全なところではなくなってしまうところだった。あなたの試練であれば今後は出て来ないのだろう?」
「自然発生しなければな」
白虎は笑みを消して真顔になる。
「わたしが呼び出したトレントは自然発生しかけていたものだ。放っておいても近い内に魔物化していただろう。せっかくなのでおまえたちに討伐してもらおうと思って召喚したのだ。もっとも、おまえたちは倒さずに凌ぐことを選んだから私はその選択を尊重することにした。私がトレントを自然に還すつもりだったが、結局はそこの娘に鎮められてしまったようだが」
「えっ、急にボクの話?」
「トレントを精霊に戻すような輩が現在にいるとは思わなんだ。少なくともあの精霊たちがまた森の中で生きられるようになった。わたしもトレントを倒すつもりでいたから、救うことができるとは思っていなかった。感謝する」
「まぁ……ボクは元々スゴイ精霊使いだからね。これで白虎が認めるような存在になれたってわけだ!」
「おまえは恐ろしく前向きだな。ファーレンに分けてやるといい」
「イヤだよ。ボクにメリットないじゃん」
「その刹那的な生き方も堂に入っているな。やはり人は面白いな」
白虎とメルティは顔を見合わせてふたりでニヤリと笑った。なんだか意思疎通が完了したみたいな感じだ。私もメルティくらいの気持ちの強さが必要なんだろうな。
果たして私はこれから先、自分をもっと変えていくことができるのだろうか。





