ほんとはかわいいお姫様。
おい。
近いぞ。
長椅子に並んで座っていただけだった王子が、詰め寄ってきて、なんなら上からのしかかろうとしている。
利き手の肘をすっと引くと、ヴィクトル王子に手を強く握り直された。
「掌底はなかなか効いた。やめてくれないか」
でしょうね、苦しそうにげほげほ咳き込んでましたもんね。
「なら離れて下さいよ」
「ああ、すまない。ついな」
「つい?」
「レオの美しさに、つい誘われて」
「……気持ち悪っ!」
王子は上品に口元に拳を持っていって、どうにか堪えようとしていたのに、それも限界がきて吹き出して笑い始めた。
さすが私の適当な所作とは違って、王子は芯から叩き込まれて、鍛えられただけのことはある。
無意識で、自然に優雅な振る舞いをする。
「……こんな姿が見られるなら、もっと早くからレオとこうして話していれば良かった」
「そうですね……無駄に取り繕っていた時間が返ってくればよろしいのに」
「……今から取り戻そう……ふたりで」
「嫌味が通じない!」
「通じてるさ。心配しなくても、レオの意を汲んだ上で無視しているだけだ」
「……半分になれ」
「何がだ!」
腹が痛いから勘弁してくれと、声を上げて笑っているヴィクトル王子を初めて見た。
そのまま体が捩れて千切れてしまえばよろしいのにと、思ったけど口には出せなかった。
だって本当に楽しそうなんだもの。
ああ。
本当に。
どうしたら良いのでしょう。
きっと王子は折れない。
というか、簡単に折れられる立場ではない。
やっぱやーめた、とか、やめたのやーめた、なんて、思っても口には出来ないでしょう。
でも私も折れない。
この人が運命の人だと、他の候補姫たちのようには考えられない。悪いけど。
どこか別の所に私の運命の人が、とも思えない。
恋とか愛とかは無しなら、人を好きにはなれる。反対に嫌いにも。
人の気持ちに共感もできる。全てを解るのは無理だけど、ああ、そうなのね、程度には感じることができる。
でも心の底から信頼できて、好きで好きで堪らない、と思える人はいない。
自分のことですら、そう思えない。
そもそも私も愛だの恋だのと浮つける立場でもないので、これについては随分と前に考えないことにした。
だから余計に思う。
姫たちは王子のことをそれなりに想っているんだから、それに報いてあげれば良いのに。
候補に前向きじゃない私ではなくて。
他の候補姫たちのように、素直に王子のことだけを考えて、王子の為に何でもできていたら、もっと楽だった?
王太子妃にすると言われて、嬉しくなれた?
「ああ……そんな顔をしないでくれ、レオ」
「……どんな顔をしていますか?」
「辛くて苦しそうだ」
「あら。思ったままが顔に出てますのね。……これでは、王太子妃は失格ですね」
「……レオノワト」
「……はい、ヴィクトル王子」
「そんなに王太子妃になりたくないのか」
「 私 を少しでも想って下さるなら、その証に候補から外して下さいませ」
にひひ。
やったやった!
言ったよ!
言ってやったんだもんねー!
ヴィクトル王子のあの『傷付いた!』って顔……ふふふ。
今まで私が、ていうか他の候補姫たちが、どれだけ苦労して、どんなに大変だったか。
頑張った自分に少しでも報いたかったんだ!
まぁ、私はほぼ適当にしかしてないけど!
いいぞ、いいぞ!
何も起こさず、起こさせず。
無事に部屋から出てきた私、優秀。お妃教育を適当にしていた割に、優秀。
……と、ここで浮かれて調子に乗ったら痛い目に遭うから気を付けて。
さっさと部屋に戻りましょう。
ひとりで。
ひとりで。
これ重要。
さあ、見てみんな!
王子と個室に入って行ったのは、見ていたでしょう?
そんなに時間も経ってないのに、私、部屋を出て来ました!
そして、ひとりでこの場を去るからね!
見て見て!
物凄く怒った感じなのに、澄ました顔してるでしょ!!
こらこら、そこの候補姫たち!
あなた達はぼんやり見ていないで、王子の元に行きなさい、今が好機中の好機!!
特にジュリシテ! 貴女、いつも慰めてもらっているんだから、こんな時に王子の側に居なくてどうするの!
まあ、いじめてる私が言うのもなんだけどね。
あ、もう。
別の姫が行ってしまったじゃない。
……どうでもいいけど。
さあ、私は一足先に戻らせていただきます。
お疲れ様でした。
「……何かご用かしら、ジュリシテ様?」
いえ、その……なんて、もじもじしている姿がかわいいわね。
この可愛らしさをもっと愛でようと、王子はどうしてそう思わないのかしら。
「疲れています、ご用が無いなら、失礼してよろしいかしら」
うん?
今なんて言った。
「……あら。 私 が貴女に心配されるなんて……軽く見られたものですこと」
本当にこの子は良い子だなぁ。
「人の心配をしていられる余裕があるのは結構ですけど、他の候補姫を見習われたらどうかしら」
だからこそ。
いつも世話になってる王子に、こういう時こそ、力になって差し上げるっていう方に気を回して欲しい。
私の心配をしている場合ではないのよ、ジュリシテ。
「……お話はそれだけ? 私に構う前に、ご自身のやるべきことをなさい……では、ごきげんよう。ジュリシテ様」
ふう。
参ったな。
午後の素敵な昼下がりが……。
私の大事な時間と場所が……。
「これは……なんでしょうか、ヴィクトル様」
「花だよ」
「それは見ればわかります」
「私が用意した」
いやいや、だからそれをわざわざ人に命じて用意させるなんて、浅慮だこと。
「お金と人を使うと君は嫌がるだろうからね、私が摘んできた。王宮の庭から」
「……王子のすることではありません」
「休憩の時間くらい好きにさせてくれ」
「それならその時間は休憩に充てられたらいかがかしら」
「花は好きじゃない?」
「……切られた花は嫌いです」
「では、庭に出よう」
「私は私の時間を自由に過ごしたいのです」
「私もだ、気が合うな」
分かっててワザと、か。
嫌味を丁寧に届けても、きれいに受け取られて、そっと横に置かれると言った方が疲れるものなのね。
「大事な本に虫が付くので、そういったものはこちらに持ってこないでいただけませんか?」
「……そうだね、悪かった」
書庫の外に控えている護衛にでも渡しにいったのか、扉の外で何やら話をしている。
扉の横に真っ直ぐ立った、花束を抱えた騎士様の姿はちょっと見てみたい気がする。
「庭は今度にしよう、そのうち使いをやるよ」
くそぅ。
正式にちゃんとした時間に使いなんて出されたら、行かない訳にはいかないじゃないか。
「やめて下さい、面倒です」
「それをこなすのが候補の務めだよ」
「その候補から外して欲しいと……」
「外さないよ。諦めなさい」
力任せに本を閉じて、座っていた窓辺から立ち上がる。
王子を無視して書棚の方に歩くと、その後ろを付いてくる。
「まだ何か話がありますか」
「いいや、一緒にいたいだけ」
「私はひとりになりたいのですが?」
「ふたりで我慢してくれ」
「……つまずいてコケろ」
おっと、と声がしたから振り返ると、そのまま背中を書棚に押し付けられた。
「レオがそんなことを言うから、本当につまずいたよ」
むぎゅむぎゅ抱きしめられても、疲れしか感じない。
他の候補姫ならきっと大喜びだろうに、なぜ私を。
「嫌がりもしないし、嫌味も出ないんだな」
「……なにが王子に不都合になるか、考えがつきませんので」
「一生懸命に考えているのか? ……かわいいな」
「……大変!」
もごもご動くと王子の拘束から逃れられたので、急いで出入り口に向かう。
すぐに腕を掴まれて引き戻されたけど。
「どうした」
「王子の頭が心配なので、お医者様を呼ぼうかなって……誰か!」
大声を上げると、王子が負けないくらいの大声で、何でもないと扉の向こう側に言う。
「……レオノワト……どうしてこう、やることなすこと……」
「腹が立つなら……」
「違う! ……いちいち全部に私の心が奪われる思いだ。レオを閉じ込めてどこにも行けないようにしてもいいか?」
全身に寒気が走って、鳥肌が止まらない。
袖を捲って王子に腕を見せつけると、余計に嬉しそうに私をむぎゅむぎゅと抱きしめた。
王子というのは、それはそれは大変な立場なのでしょうよ。
肉体的な疲労に加えて、精神的な抑圧も多い。
心を病むのも、当然…………で済むか!!
もー!!
やだ、キモい、怖い!!
離せー!!
「むぎゃーだって……ふふふ。レオったら」
いーやーだー!!!
王子の摘んだ花束は、レオたその部屋に飾られ、それを目にしたレオたそは疲れが倍増すのでした。