↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
外れた世界で少年は。  作者: 西山ナリタ
27/36

殺傷理由 Ⅰ

 混乱していたのだと思う。

 動乱していたのだと思う。

 狂乱していたのだと思う。

 今すぐにでもこの場から走り出して、全てを投げ捨てて、思考すらも放棄して、空っぽになった体で逃走して、身軽さがゆえに時に躓いたりしながら狼狽して、何もかもから目を背けつつ不格好に敗走するべきだった。

 だった、のだろう。

 専ら逃走することに固執して、生命に執着して、無様な醜態を見せつけながらも逃げ出すべきだったのだろう。


 それでも。

 それでも僕はしなかった――いや、できなかった。頭では理解していたのだ、そうするべきでそれ以外に選択肢はないと。何も殺人鬼に背を向けて逃走を試みる度胸がなかったわけではない。むしろ、失敗すれば殺されるだろうし、背中を見せた刹那に殺されることだろう。しかしそれでも、僕はそれができなかった。狼狽することはおろか、泣き喚くこともできなかった。

 どうしてだろう。

 こんなにもパニックに陥っているというのに。

 今にも変乱しそうだというのに。

 全てを投げ打って逃走を試みるということは、目を閉じた籠目ちゃんをこの場に放置する意味を含んでいる――それが気がかりだったのかもしれない。それに後ろめたさを感じているのかもしれない。ここで逃げ出せば、赦されることのない罪悪感を後生に抱えてしまうことになるだろう、それだけは避けたかったのかもしれない。けれど、そんなものは僕の勝手な都合だ。身勝手な言い訳にも捉えられる、責任転嫁と言っても過言でない理由だ。僕が走り出せない理由を単純に飾り気のない言葉で用いるなら、それこそ単純に足が動かなかっただけだろう。足が竦んで、腰が抜けたような感覚で、両脚に上手く力を伝達できないせいに違いない。


 もしくは。

 それ以外に何か理由があるとするのなら、或いは。

 僕はここで死んでもいいと半ば諦めていたのかもしれない。

 『神宮司』の正体を知り、その時点で目的の大半は達せられたと満足感に浸ったせいで、僕の思考をそんな泥沼で底なしの、まるで生きた死人のような気持ちにさせているのかもしれない。


 僕は死にたいのか。

 いや、そうではない、いつ自分が死んでもおかしくはないと常々認識しているけれど、よりにもよって得体の知れないやつに、それも殺人鬼に殺されたいわけではない。そう考えるのは当然だろうが、それに含まれた大きな矛盾が存在することを僕は否定することができない。

 人が死ぬ理由の全てが真っ当なものではないと認識している。

 理不尽に殺されることもあるだろう、不条理に死んでしまうこともあるだろう――だからこそ、人の死なんてものは日常生活にありふれている。なのに、なのにも拘らず、僕は自分の死を受け入れ切れていない。死という運命のような、生命と隣り合わせの鎖で固く結ばれたそれを甘受できない。それはきっと、『まだ死にたくない』とか『死ぬにはまだ早い』という現世への執着故なのだろうと思う。そう考えれば、その矛盾は常人の思考原理と比べて何ら特色がないようだ。僕が特別なわけでも、誰かが特殊なわけでも、彼(彼女)が特異でもない。たとえ死のあり方を理解していたとしても、それがつまり自分の死を甘んじて受け入れているということにはならないはずなのだから。


 だから、『神宮司』の言葉が思いもよらないものであっても、脳を活動させることができた。勿論、混乱している。しかし、そんな自覚は一瞬で、一過性だった。

 『神宮司兄妹』。

 神宮司蓮ニを兄とし、妹を甘奈とした二人の兄妹――それは都市伝説のような、噂話に過ぎないものだった。

 彼らは一人で――彼女はたった一人だった。

 たった一人の、兄妹だった。


「誰も、殺して、ない……?」


 にわかには信じ難い話で、むしろ当然、疑いを込めた反復だ。そんなことを突然言われて誰が信じるのか、どうやって信じろというのか、籠目ちゃんを含めた十五名もの死者を出しておきながら、今更になって無関係性を語るなど言語道断だろう。

 冗談が過ぎる、休み休み言え。

 嘯くな。

 けれど、そんな胸中を渦巻く憤りにも似た感情を知ってか知らずか、神宮司蓮ニはどこか楽しそうに薄ら笑みを浮かべながら、まるで殺人事件を目の当たりにしたときの八千代が浮かべる表情で返答した。

「そうだ、誰も殺してなんかねーよ。よく考えてみろよ、お兄さん。いつどこで、誰がどうやって、一連の事件を『神宮司』によるものだって決めたんだよ。そんな証拠なんてどこにもねーだろ。確かに、だからこそ俺様たちの犯行だって予想するのはアリだろうがよ、仮にも存在すら疑わしい都市伝説級の殺人鬼と称される俺様たちが、易々と証拠や疑問を現場に残したりはしねぇ」

 彼女は――彼は饒舌に。

 流暢にぺらぺらと講釈を垂れた。

「そもそも、お兄さんは今まさに目の前にしてるわけだろ。この教室で起きた殺人事件の犯人を――」

「…………っ!」

 そうだ。

 そうなのだ。

 この教室で殺害された森巻友香という女生徒を殺害したのは籠目ちゃんだった。それを裏付ける証拠が被害者の身体から、籠目ちゃんの部屋から検出されている。

 そして――

 そして――籠目ちゃんは『神宮司』ではなかったのだ。今僕が眼前にしている『彼』こそが『神宮司』であり、神宮司蓮ニを名乗り、僕に殺意を向けた彼女はただの平凡な女子高生に過ぎなかった。

 それがつまり、意味するのは。

「お、何か気付いたって顔してんな! そうそう、その通りだぜ! コイツは、この『神宮司』もどきは偽物だったってわけだ、ぎゃはっははっ!」

 そう言って、彼は命の気配がない籠目ちゃんを顎で指すように笑った。

「まるで『神宮司』の犯行かのように書置きまで残して殺人を犯したコイツは偽物だった」

 なら。

 なら――と。

「大学内教授殺人事件で残されたメッセージと縁起の悪ぃ花束は一体誰がやったことだったんだろうな? ぎゃはっ」

 大学内殺人事件――現場に残されたものは殴り書きの英文と黒いの花束だった。

「俺様は詳しい現場について知らねーけど、聞く話によると、一つ目は無様な体たらくを晒して金髪の姉ちゃんに捕まったやつがやったことでじゃねーかよ」

「……あの彼女は、『神宮司』ではなかった――」

「そりゃそうだろ! 俺様が簡単に捕まるわけねーだろ! 一番ダメなのは俺様の物真似をしながらも暢気に連行されたアイツと、そこの女だ……ったく」

 神宮司蓮ニは心底呆れたように、残念そうに言って、口惜しい様子で眉を下げた。

「自殺した男は評価に値するけどなー。死ぬまで『神宮司』を貫いたんだ、よくやるぜ。自己犠牲を厭わないほどの崇拝精神だってことだろうけど、生憎、俺様は全能な神でも何でもない。殺人に生きる死神に祈ったところで何にも見返りはねぇのに。って言うか、見返りも何も、そのせいで自殺に追いやられてるってのにな、笑えるぜ、ぎゃはっ」

 公園で襲われた僕を救出した雪間さんが連行した彼女は『神宮司』ではなかった。そして、会社ビル内で自殺し、事件をより混沌とさせた彼もまた『神宮司』を真似ただけに過ぎなかった。

 さらに――『神宮司』に憧憬を抱き、成り代わろうと真似た籠目ちゃん。

 それは、つまり――


「今までの事件は全部、『神宮司』によるものじゃなかったってことだ……」


 僕は思考をそのまま独白するように呟く。そのせいか、まるで精力を搾り取られた生物のように全身の脱力を感じた。力が足に伝わらないどころではない、強張った両肩が脱臼したかのように落ち、可動しなくなる。心臓が胃袋の辺りまでに降下したような錯覚も覚えた。口も開いていただろう、呼吸すら停止していたかもしれない。足先から指先、頭先まで、末端から末端まで届く神経回路が絶たれたような気分だ。けれど、どことなしか気分は優れていた。晴れ晴れしいとはさすがに言えないけれど、それでも気持ちが軽やかになったことは確かだった。


 今までの不可解が全て理解できた。

 今までの奇奇怪怪が全て明瞭になった。

 真相も。

 意図も。

 実態も。

 内情も。

 全てが繋がって、合致して、合点がいった。


 僕は――僕たちはどうしようもないほどに、悔やむことすらできないほどに『神宮司』に陥れられ、陥っていた。そして、それと同様に名前も知らない彼女も円賀井伊春も籠目紫も『神宮司』に憧れ崇拝し、陥っていたのだろう。

 罪を咎めるつもりも、責めるつもりも露ほどない。

 そんな気はとうに失せてしまった。

 『神宮司』という名はそれほど僕の心に重く圧し掛かっていたのだろう。

 それなら。

 それなら通り魔事件もまた同じように――

「なら、通り魔事件は――」

 と、僕がほとんど関わらなかったもう一方の事件の真相を問おうとしたところで、教室内に絶叫が響いた。

 いや、絶叫ではない。

 それは、悲鳴だった。

 哭声の慟哭だった。


「……ううぅ、ああああああぁぁぁぁぁああああああっ!」


 その声は。

 僕の腕の中で目を閉じていた籠目ちゃんのものだった。

 籠目ちゃんが奇声を発しながら、床に落とした刃渡りの長い包丁を握り締めた。

・登場人物紹介

南名衛利……僕

八千代真伊……弁護士

神宮司甘奈……殺人鬼

神宮司蓮二……殺人鬼

旗桐林檎……少女

籠目紫……女子高生

雪間麻由紀……公安

三間弦義……警部

志木式栞……看護師

・六月八日被害者……南名衛利

・六月十一日犠牲者……樋野瞳 籾月慶志

・六月十二日犠牲者……円賀井伊春 鳴尾伊吹、守名三上 津乃大城 大道浩史

・六月十四日犠牲者……森巻友香

・六月十六日……大倉雅俊、里香子、英知、沙奈

・六月十七日……楽代絵美、喜多川徹

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。