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外れた世界で少年は。  作者: 西山ナリタ
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殺人教唆 Ⅰ

 八千代が言ったように、社員証を兼ねたカードとそれが担うセキュリティは僕の想像を軽く超越するものだった。エレベーターを使用する際にも、それを通さなければならないとは一体誰が想像できただろう。少なくとも、僕にはそこまで徹底する必要性が理解できなかった。確かに高度で安全が約束されたセキュリティなのかもしれないが、その手間を犠牲にして利便性を求める方がいいのではないかと思ってしまう。

 まぁ、会社の事情に平凡な大学生である僕が顔を突っ込むなどやぶさかだろう。それに、そんなセキュリティの中で二人も殺害されているのだから、意味なんてまるでなしていない。とは言え、最高の安全性が確約されたように思えるセキュリティの内側で二人も殺害された事実は確かであるのだから、どこかに穴があり、どこかに抜け道があることは簡単明瞭だろう。

 一階に設置された社員用の扉だけがこの会社に侵入することのできる唯一の手段だとは考え難い。いや、そもそも、考えてみればそのセキュリティの中で堂々と会社内に入ることは案外難しいことではない。


 カードを使わずとも。

 例えば、犠牲となった二人の内、どちらかが『神宮司』の協力者だとして、そして一つのカードでゲートを開いた後、『神宮司』を招き入れれば済む話だ。まさか一秒単位で開閉するゲートなんてことはないだろう。かと言って、協力者がいたとして、彼(彼女)もまた殺害されているのだから奇妙である。

 いやまぁ、殺人鬼である『神宮司』が躊躇なく協力者までも殺す可能性は十分にあるだろうから、その点については奇妙とは言えないか。

 極々当然。

 至極当然のことかもしれない。

 存在すらも疑わしい、都市伝説級の殺人鬼が姿を見せた相手を生かしておくとも思えない。しかし、それならそれで、益々奇妙ではないだろうか。

 そもそも、だ。

 一体全体どうして『神宮司』はわざわざ高度なセキュリティを有する会社内で、単独で侵入することすら難しい会社内で、こんな殺人を犯したのだろう。仮に、僕の推理通り、協力者を得て侵入したとしよう――その後に、協力者を含めて殺害する理由はわかるけれど、そんな手間を掛けて殺人を行うくらいなら、より好条件の現場で殺害する方が簡単ではないだろうか。昨日と今日で連続した計四つの殺人事件のどれを見ても、特定の『誰か』を狙ってるわけでもなさそうだし、それを言うなら、『神宮司』が類稀なる殺人鬼と称される謂れを示しているわけは、誰でも殺すしどこでも殺す、というある種のスタイルだろう。

 それなのに、『神宮司』は殺人に向かない条件下で犯行に及んだ。

 殺人鬼の気持ちなんて到底理解できるものではないとわかっているけれど、それにしたってこの腑に落ちない謎めいた殺人事件は僕の頭を悩ますには十分だ。


 何か理由があるのかもしれない。

 この現場でないといけない理由があったのかもしれない。

 『木を隠すなら森の中』と言うように、無差別殺人に見せて実は特定の『誰か』を狙っていたのだろうか。もしそうだとするなら、その『誰か』とはこの会社内で殺害された二人の内のどちらか――或いは、両方ということになるのかもしれない。しかし、いくら『木を隠す』と言っても、こんな悪条件な『森の中』にわざわざ隠さないだろう。それはつまり、真の狙いであった対象がこの会社にいたということになる。


 けれどまぁ。

 裏をかいた可能性を除外しきれないので、それは考えたって無駄なことなのだろう。そもそも、この推理が的を射ているとも思えない。

 ただ一つ言えることは。

 この会社内で起きた殺人事件が『森の中』――特定の殺人を隠すためのカモフラージュかどうかはさて置いて、たった一つ言えることは、まるで自分の能力を誇示するようだということだ。

 自己顕示欲的殺人行為、とも言える。

 まるで推理小説に登場する殺人鬼による犯行だ。

 《密室》のような状況を形成し、《何か》をカモフラージュするかのような連続殺人を犯し――つまりこれが、一部の間で伝播している『神宮司』が都市伝説のように扱われている所以なのかもしれない。


 そして、原点回帰。

 原点復帰。

 昨夜、僕を襲った『神宮司』は一体何だったのか――大学内殺人事件の犯人を自認した《彼女》は一体何者だったのか。 

 結局、わからない。

「……これは、酷い有様だな」

 八千代が殺害現場となった部屋の前で生唾を飲み込んだ。その喉鳴りが横から伝わる。

「…………」

 目の前で人が死ぬのも、死体を見るのも慣れているであろう八千代が苦虫を噛み潰したような表情をする。僕もそういった現場を何度も経験した結果、随分と慣れてしまったけれど、それでも胸の内から今にも込み上げて来そうな嗚咽を堪えるのに必死だった。

 普通の死体ならこんなに気分が悪くなることなんてないのに。

 一階の警備小屋で殺害された円賀 井伊春の斬死体だって相当酷かったけれど、あの程度なら過去に何度か見たことがあった。

 けれど。

 六階の一室――資料室で殺害されていた鳴尾伊吹の死体は僕や八千代が心底不快になるほどのものだった。

 それもそうだ。

 八千代が身を強張らせるのもわかる。

 痛いほどわかる。

 二人目の犠牲者、鳴尾伊吹――彼女は天井の蛍光灯から伸びたロープで首を吊って死んでいた。首から下は無造作に、人形のように床に倒れていた。手足が有り得ない角度で折れ、可動域を遥かに超えた関節がそれこそ精巧なフィギュアのようで、その非現実的な死体が放つ異質感が禍々しく、反射的に目を背けてしまうような厭忌の情を抱いてしまうものだった。

 まるで人がやったとは思えない――厭魅によって殺されたような凄惨さだった。

 現場を包む異常さがより増しているのは、空中で固定された頭部から柳のように垂れる黒髪の隙間に伺える安らかな表情のせいだろう。

 瞼を閉じて。

 気のせいか、口角が少し上がっているように見える。

 死体の酷い有様と安らかな表情の間隙がより一層の違和感を醸し出す。そんな不一致な違和感こそが、八千代を不快にさせているのだろう。

「ったく、なに固まってんだよ、お前ら。これくらいの殺害現場なんて幾つも経験してきただろーが。あたしらの仕事は最初からこうだったろ。そして、あたしたちがこうやって死ぬまで、その世界からは逃げれねーんだよ」

 雪間さんが躊躇いなく中に這入った姿を見て、僕は自分が放心していたことに気付いた。


「窓は閉まってんのか」


 生乾きの血の川と無造作に倒れた体をひょいと飛び越えて、雪間さんは窓を確認する。僕も同じように、死体に触れないよう避けて雪間さんの隣に並んだ。

「入り口も閉まっていた、窓も閉まっている……ってか」

「……そう言えばここ、六階でしたね」

 窓を開ければ心地よい風が訪れる。錆びた鉄のような鼻を突く臭いから解放されて、少し気が落ち着いた。落ち着いたと言っても、振り返ればすぐそこに異様な光景があるのだから何とも言い難い。

「何らかの方法で窓を割らずに開けた可能性はねーよな」

「内側から開けるならまだしも、閉めることはできませんからね……あ、いや、被害者に閉めさせたっていう可能性はあるんじゃないですか」

「馬鹿、死んでるやつにどうやって鍵を閉めさせるんだよ」

 あ、と僕は馬鹿な推理を自分で自覚した。

「カードがないと一階から侵入することは不可能、仮に何らかの方法で成功したとしても、エレベーター、さらにはこの資料室への入室でもカードが必要となってくる。いやでも、エレベーターは使えなくても、非常階段なら使えるんじゃねーか?」

「非常階段ならシャッターで封鎖されてるよ」

 振り返れば、八千代は柔らかそうな黒い革の椅子に深々と腰を掛けて言った。

「ちょ、おい! 他のところのならまだしも殺害現場の物には触るなって毎度言ってるだろーが!」

「大丈夫だ、この椅子は使われてないみたいだし、血痕もない。それなら私も気楽に座れる」

「そういう問題じゃねぇから。お前の精神状態とかそもそも関係ねぇから」

 雪間さんは金色の髪をくしゃくしゃに掻き回して嘆息した。乱れる金髪も、それはそれで目を惹くには十分だ。

「で、なんだって? 非常階段がシャッターで封鎖されてるって、なんで非常時用の階段なのに封鎖されてるんだよ。非常時に使えねーじゃん」

「非常時に自動で開放されるらしいぞ」

「らしいぞって……おい、待てよ。それって全然非常階段じゃないだろ」

「地震の時はそれをセンサーが感知するし、火災の時も同様だ。それ以外に非常時な場合などない」

「待て待て、おかしいって。真伊、いつビルが爆破されたりするかわらねーのが今の世の中だぜ? イレギュラーこそが非常時で、それを考慮してこその非常階段だろ。それに、もしあたしがこの会社で勤めているとして、もし二階で仕事をしていたとして、一階に下りるのにわざわざ一つしかないエレベーターを待たなくちゃいけねーってのはどう考えても面倒だろ」

「そういう問題じゃない。麻由紀の精神状態とかそもそも関係ない」

「きーっ、むかっ腹が立つ! おい、クソガキ、沈黙してねーで、相棒に言ってやれよ!」

 雪間さんが僕に剣呑な視線を向けた。

 怖ぇ……。

 と言うか、八千代と雪間さんって仲悪いのか?

 てっきり一蓮托生の親友同士だと思っていたけれど。

「なぜ私がこの暴力女と親友にならなくちゃいけないのだ」

「…………」

 心を読まれていた。

 八千代からも危ない眼差しを送られる。

「話を戻そう。最後まで私の話を聞きたまえ、馬鹿共――」

「あたしのどこが馬鹿なんだよ、ぶっ殺す!」

「そういうところだと思いますけど……」

「あぁ!?」

「ひぃ!」

 まじで怖ぇ……。

 軽い冗談すら通じないとは。

「全く、私の話を聞けよ……何も、麻由紀の言うようにイレギュラーな事態を考慮していないとは言っていないだろう。非常階段は人為的に開放することもできる。今朝は時間が早すぎてシャッターで閉ざされているだけのことだ、普段の営業中ならば解放されている」

 と言って。

 八千代はここに到着するまでに使用していた『円賀 井伊春』と書かれたカードを取り出した。勿論、素手で遺留品に触れるわけにはいかないので手袋を装着している。

「非常階段がシャッターで封鎖されていると言ったが、それもこのカードを使えばいつでも解放が可能だ。しかし、それが解放された形跡はない」

「ってことは、非常階段を使うルートも考え難いってことかよ。協力者でもいねぇ限り」

「そういうこと」


 協力者か――僕も同じようなことを考えていたけれど、当然、その発想は雪間さんと八千代にも簡単に思いつくものだろうけれど、その推理は案外的外れではないような気がする。そうでもしないと、この《密室》を打破することができないのだ。階の唯一の出入り口は一階のみで、それもカードがないと開けることができない。窓から侵入したところで、六階に上る手段がない。

 どれも《カード》という鍵が必要で、非常階段やエレベーターを利用することすらできないのだ。各フロアに設置された改札口のようなゲートを乗り越えることは容易だけれど、そもそもそこに到着することが不可能なのだ、《鍵》なしでは。

 カードという鍵が隘路になって、奇妙な密室が形成されている。そうなれば、自然と思いつくことは『協力者』という存在だが、しかし、彼(彼女)がいればこの密室は簡単に打ち崩れるのだろうか。

 ふぅむ……。

 どういうことだろう。

 協力者がいたという線で推理したとしても、いずれにせよ二人とも殺害されており、且つ、六階の密室に至っては窓の鍵を閉めることが到底できないのだ。詳しい死因については検死結果か司法解剖を待つとして、どう考えたって外部犯による他殺であることは一目瞭然なのに、『協力者』という存在なしに推測することができない。かと言って、『協力者』がいたという前提の推理だって無理があるのだから、わけがわからなかった。


「まず、この一室の殺人についてのみ考えてみようぜ。例えば、鳴尾伊吹が協力者だとして一緒に部屋へ這入り、殺害した後、窓から逃走したとしよう。なら、どうやって窓の鍵を閉める?」

「とは言っても死んだ後ですもんね……」

「できるかもしれねーだろ? 少なくとも、あたしが被害者の状態でも腕くらいは動かせるかもしれねー」

「…………」

 雪間さんは胴体と首を切り離された後でも腕を動かすことができるのだろうか。それはもう既に人間を超越した別の生命体のような気がする。

「ん? そう言えば、真伊、この部屋の入り口にあった認証機って、もしかしてそのカードを通すやつ?」

「はははっ、いつそれに気付いてくれるのか私は待っていたよ!」

 八千代は待ってましたと言わんばかりに豪快に笑った。先ほどまでの不愉快な表情は一変して、緩んだ笑みを見せる。

「この資料室、どうやら会社内の情報や営業先の情報などなど、かなり重大なものを保管している場所らしくてね、入室を許されているのは社内でも僅かの人間だけらしい。まぁ、言ってしまえば、彼女――目の前で凄惨な死を遂げた彼女はそれくらい上位の立場だったってことだ。そういった部屋には許可された者しかは入れない。つまり、彼女の《カード》か、或いはそれと同等の役員などの《カード》しかこの部屋の扉を開けることができないということだ」

 言い換えれば、会社の重大な情報を保管している資料室は一端の社員程度じゃ扉を開けることすらできないということ。

 彼女のような社内で上に立つ者のみに許された入室権利。


 そして――


「安全性と機密性を保つためにもこの扉は一時的に開いた後、自動でロックされる。ロックされて、再度扉を開けるにはカードが必要だ。内側からも外側からも、ね」


 だから――


「このカードがここにある意味も、言わずもがな、かな?」

 八千代は転がった死体の切断された首の根元に赤い紐で掛かった社員証を摘み上げた。僕は彼女のことをただの事務員だとばかりに思っていた。いや、そもそも今朝のニュース速報でそう伝えられていたのだから仕方あるまい。しかし考えてみれば、ただの一端の事務員がこんな早朝に出社するなんてまず有り得ないだろう。

 僕は自分の思い込みを少し反省して沈黙する。

「…………」

 八千代が手に取る社員証から伸びた赤色の紐が血の色なのか、それとも元々そういう染色なのか、僕にはわからなかった。

「ん、あれ、待てよ八千代。ここが役員カードでしか開かないってなら、何で最初から開いていたんだ? というか、そもそも、殺害された二人の入社記録しかないのに誰が通報したんだ?」

 八千代はあざとく呆れるような素振りを見せて、

「さぁ」

 と、嘯いた。


・登場人物紹介

南名衛利……僕

八千代真伊……弁護士

神宮司甘奈……殺人鬼

神宮司蓮二……殺人鬼

旗桐林檎……少女

籠目紫……女子高生

雪間麻由紀……公安

三間弦義……警部

志木式栞……看護師

・六月八日被害者……南名衛利

・六月十一日犠牲者……樋野瞳 籾月慶志

・六月十二日犠牲者……円賀井伊春 鳴尾伊吹、守名三上 津乃大城 大道浩史


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