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外れた世界で少年は。  作者: 西山ナリタ
10/36

雪間 麻由紀の場合

 六月十一日、午後六時五十八分三十四秒。

 僕は誰が置いたかもわからないメモに記載された通り、繁華街の大通りを抜けた先にある広大な公園に到着した。指定されたであろう公園に到着したはいいものの、しかし、この広大な土地の中で一体どこに向かえばいいのだろうか。どこに向かえば、僕を待つ《誰か》に出会うことができるのだろうか。


「……ふむ」


 まぁ。

 とりあえず、そぞろ歩きでもしてみよう。優雅に散歩をする気分で、間接照明に当てられた木々の絶景を眺めながら、どこに向かうでもなくそぞろ歩いてみよう。そもそも、僕に宛てられたメモには一切の詳細が記載されていなかったのだ、と言うことは僕が公園の中にさえいればきっとその《誰か》が見つけてくれるだろう。場所を詳細に指定しなかったということは、きっとそういう意味なのだろう。僕がトイレに入った隙を狙いメモを置いたのと同様に、どこかで僕のことを見ているのかもしれない。それを言ってしまえば、まるで監視されている気分に襲われるけれど、しかしどうしたって、いい予感はしない。

 まるで、しない。

 それもそうだろう、わざわざこんな形で僕を呼び出すなんて、きっと何らかの後ろめたさや表沙汰にしたくないという意図があるのだろう。


 『――死神より』。

 どこからどう見ても胡散臭いし、悪い気しかしない。メモの通り、のこのこ公園にやって来たはいいけれど、これから面倒なことが起きるという確信めいた予感を拭うことはできそうにない。それに、携帯電話が普及し、ネット環境が身近にある現代において、それはかなり古典的な方法だと思う。一昔前はテーブルの上に置かれた書置きや文通が一般的だったのだろうが、それも今となっては少数だ。真心を込めるという意味では電子書体ではなく自筆の方が良いとされ、今でも葉書や封書を自筆で送る人もいるようだけれど、それとは全く異なる意図を僕はあのメモから感じたのだ。

 大体、真心を込めるのにどうして『死神』という単語が出てくるのか。

 相手を呼び出すのなら、日時や場所を指定し、詳細を明記するのが基本だ。それにわざわざそんな古典的な方法を取らなくとも、現代社会に生きる以上およそ圧倒的多数の人間が所有する携帯電話という革命と旋風を巻き起こした偉大なる電化製品があるのだから、人を呼び出すにはそれを用いる他ないだろう。

 だから、それを用いなかったということは。

 いや、用いることができなかった、ということはつまり、最低でも僕が友達と呼べない人物だということを意味し、最高でも僕が知らない人物だということを表している。

 僕の知らない《誰か》で、そして少なくとも、僕のことを知る《誰か》だ。籠目ちゃんか、或いは『神宮司』か、もしくはそれ以外の《誰か》なのか、先ず間違いなく、その三択に絞られる。しかし、ここで仮に僕の全く知らない人物『X』からの呼び出しとするならば、それは考えるだけ不毛なので選択肢から除外してもいいだろう。縁もゆかりもない人物の存在なんて推測するだけ無駄だ。

 だから、二択、二者択一。

 いや、二択であっても、厳密には二者択一ではない――籠目ちゃんと『神宮司』両方からの呼び出しだという可能性もある。それはつまり、籠目ちゃんが『神宮司』であることを意味するのだろうけれど、果たしてどうだろうか。籠目ちゃんイコール『神宮司』とは考え難いかもしれないが、何らかの関係性、何らかの繋がりがそこにあるのかもしれない。

 彼女の――籠目ちゃんの『神宮司』に対する憧憬は異常だ。その熱は僕なんかではおよそ触れることができないほどの温度だろう。

 だから結局、三択。

 籠目ちゃんの呼び出しなのか、『神宮司』の呼び出しなのか、或いは両者なのか。

 こうして選択肢を絞ってみると、改めて思う。きっと予感は的中するだろう。それも、悪い予感だ。

 そう、その悪い予感とは。

 こんな感じに――


「ぎゃは、ぎゃははは、待ってたぜぇ! どうも死神です、なんちって!」


 綺麗に舗装された幅広い散歩道を抜けた先にある公園の中心、大きな噴水を前に、彼は口を開いた。

 微かな街灯と僅かの照明。

 赤と黒のパーカーを着た、目深にフードを被った彼は――

「神宮司……」

「覚えてくれて結構、コケコッコー! ども、蓮ニちゃんです! ぎゃはははっ」

「…………」

 笑えない冗談を吐く彼。

 そうだ、そうなのだ。

 彼は、五日前に僕を襲ったであろう神宮司甘奈の兄であり、そして、今朝病室で大胆にも僕を殺そうとした――神宮司 蓮ニ。

 問うまでもない、訊くまでもない、確認も改めもいらない。

 彼は紛れもない、彼の殺意は惑うこのない――本物。

 本物の殺人鬼だ。

「あれ、あれあれ。お兄さん、もしかして最初から俺様がやったことだってわかってた? いやいや、さすがに断定はできねーはずだけど……ん?」

 神宮司 蓮ニが悠長に、べらべらと暢気に訊いてもいないことをぺちゃくちゃと喋ってる最中、僕は駆け出した。駆け出し、逃げ出した。彼を正面に、正反対の方向へと体を翻して、離れるように後ろに走り出した。

「お、おいおい、ちょっと待てよ! まだ俺様が話してる途中だろうが! 人の話は最後まで聞けって、学校で教わらなかったのかよ! まぁ、俺様、学校とかかったるくて行ったことないけど……って、おい、まじで逃げんのかよ!?」

 誰が待つか。

 誰が殺人鬼を目の前にして待つものか。

 これが初対面だったならまだしも、僕は今朝に彼の脅威を身をもって体験したのだ、その上で誰が待つというのか。

 背後から騒がしい声が聞こえるが、それを背中で黙殺して、僕は歩いてきた散歩道を逆走する。嫌な汗を全身に感じていた。肌寒いほど夜風が涼しいというのに、全身にびっしょりとべたつく汗を感じ、衣服が体に張り付く。走りながら、感じることができる。きっと不細工な走り方をしているだろう。足が縺れ、浮き足立つせいでしっかりと地面を蹴れない。呼吸も、おかしい。いつもならば、この程度の距離を走ることなんて大したことじゃないのに、脳が必要以上の酸素を欲している。胸の中心を打つ鼓動も何時とはなしに早い。


 早過ぎる。

 鼻腔と目が開いて、乾燥する。

 瞬きをすることも失念してしまっている。 

 無意識に、無自覚に、そんな場合ではないと反射的に体が反応している。

 口呼吸のせいで、口腔内の粘膜が乾燥して粘つく。

 粘ついて、吐き気が襲ってくる。

 外気が直接、喉を襲う。

 喉の内部まで乾燥しているのがわかる、実感できる。

 喉の中で、外壁と内壁がぴたりと粘着するように、その度に嗚咽に似た喉鳴りがする。

 あぁ……。

 あぁ……。

 横腹も痛い。

 左横腹、胃。

 捻じ切れそうな痛みを感じる。

 十二指腸だ、この痛みはそれから来るものだ。

 そして、この圧迫感は背後から感じられる身の毛も立つ危機感から来るものだ。

 この緊張感は背後から迫る恐怖から来るものだ。

 この緊迫感はすぐ側までにじみ寄る殺意から来るものだ。

 この圧倒感は――この切迫感は――

 この焦燥感は――この重圧感は――

 この迫力感は――この威圧感は――

 この抑圧感は――この絶対感は――

 この、恐怖心は。

 この、圧倒的危機感と恐怖心は――

 あぁ。

 あぁ……痛ぇ……。


「おいおいおい、聞く耳無しかよ、お兄さん。人の話は最後まで……ってあれ、これ言うの二度目だったか? ぎゃははは、超笑える」


「――っ!」

 待て。

 待て待て待て。

 ちょっと、待て。

 どうしてお前がそこにる。

 どうして背後にいたはずのお前がそこにいる。

 どうしてお前は、僕の正面に立っている。

「あーあ、久しぶりに走らされたぜ……さすがの俺様ちゃんでも、この距離はキツい。まぁ、こんなもんは妹の甘奈にでもやらせとけばそれだけでアイツは喜ぶかもな。ぎゃははは」

「お前は……神宮司蓮ニなのか?」

 荒い呼吸の中、僕は問う。

 再度の逃走を試みることはしなかった。逃げ切れない、そう判断した結果だった。最早、こうなってしまえばなるようになれである。流れのままに身を任せてしまえ、である。

「あぁ? 今更何言ってんだ。都市伝説級の殺人鬼、神宮司蓮ニ様だぜ、この野郎」

「お前が……お前は、今朝僕を襲った、あの時の、お前……なのか?」

「あぁ? あぁ……そんなこともやったっけ? ぎゃはは、悪い悪い、物忘れ激しいんだよ俺様は。つか、お前のその残念な言語力はどうにかなんねーのか? ぎゃはは、まぁいいけどよ」

 残念な言語力、か。

 僕は内心かなり動揺している。いや、内心だけじゃない、その動揺は外にまで漏れ出し、溢れ出しているだろう。

「神宮司蓮ニ、僕は聞きたいことが幾つかある……」

「あぁ?」

 黒いフードを目深に被る彼の表情は読み取れないものの、声調は穏やかではなかった。他人を威圧するために発せられた声だった。

「今日、この近くで二つの事件が起きた。《誰か》によって二人が殺された。一つは僕の通う大学内で教授が殺され、もう一つは向こうの大通りで女性が殺された……知っているか?」

「あぁ、知ってるぜ。知っているし、知り尽くしているぜ。俺様はこの世に知らないことなんて何一つねーっての。俺さまざま、俺、様々……なんちって! ぎゃはははは、笑えるだろ?」

「…………」

「……冗談だろ、笑えよ」

 声色を一段低くして神宮司 蓮ニは言う。それでも、どこかあどけなさの残る、幼い印象を受けた。少年のような声、年端もいかない未成年の、変声期を未だに迎えていないかのような声だった。

「まーいいや、その事件だけどよ、知ってるも何も……俺様がやったんだぜ! ぎゃはは、まぁ通り魔事件に関しては詳しくは知らねーな。知らないって言うか、ほら、良好な兄妹関係を保つ上で大切なのはお互い干渉しないことだろ? それに倣って、俺様は妹の犯行に干渉しねーからよ」

「お前が……教授を殺したのか、何のために?」

「何のために? おいおい、その野暮な質問はまさか俺様に向けて訊いてるのか? 殺人鬼にお前は何を訊いてるんだ?」

「…………」

「そいつは人間に対してお前はどうして人間なんだって質問するのと同じだぜ。それに答えられるやつがどれほどいるかは知らねーが、答えたところで到底お前には理解できねーよ」

「…………」

 僕はその異常を前にして沈黙する。

「ちっ、期待外れかよ……俺様、お兄さんにはちょっと期待してたんだけどなー。まぁいいか、どうでも」

 僕は彼の言葉を理解できないまま、額から目尻、頬と経由して顎の先から垂れ落ちる汗を感じた。ぽたっ、と滑らかなコンクリートの上で、雫が弾ける。そんな僕の強張った表情を見てか、彼はひどく呆れたように嘆息した。


 はぁ……。

 はぁ、と溜息を深く吐いた。

「お兄さんは違うと思ってたんだけどなー。甘奈の襲撃から奇跡的に一命を取り留めて、俺様の襲撃から奇跡的な強運で難を逃れてよ。こんなの初めてだったんだぜ? 俺様と甘奈に狙われて二度も生還するってのはよ。もっと誇ってもいいんだぜ? ぎゃはははっ」

「…………」

「だけどよ、それもこれもどうやら唯の奇跡、唯の強運。まぁ、日頃の行いが功を奏したのかもしんねーな、ぎゃははは! けど、二度生還したからと言って、三度目はどうかな!? 三度目の正直! 仏の顔も三度まで! うかうか三十きょろきょろ四十! 一枚上手の俺様はまさに二枚目!」

「――――っ!」

 意味のわからない言葉を発しながら、神宮司 蓮ニは三メートル以上はゆうに離れた地点から跳躍し、僕に向かって飛び出した。右手に軍用ナイフ、左手にボウイナイフ――無骨な、それでいて禍々しい二つの凶器をいつの間にか握り締めていた。いつ取り出したのか、或いは最初から両の手で握っていたのか、それはわからない。

 わからない。

 わからないけど――

「ちっ!」

 彼のおよそ人間には不可能に思える幅跳びを、僕は間一髪のところで転がるように回避する。

「避けんな!」

「避けないと死ぬだろ!」

「避けると殺せないだろ!」

「死にたくないから避けるんだ!」

「殺したいから避けるな!」

「ぐー!」

「がー!」

 先ほどの跳躍を辛うじて回避したせいで、腹部に鋭い痛みが走る。やはり、痛み止め(?)を服用しているものの、傷口は完全に塞がっていないのだ、過度な運動は危険だろう。いや、それでも、そうだとしても、いずれにせよ傷を庇って彼の攻撃を避け続けるのは不可能だ。一度二度ならまだしも、畳み掛けられればそれで終わりだ。

 僕という人間の生命は間違いなく彼の握られた二本のナイフで切り取られる。それに、このままの状況が続くのなら、遅かれ早かれ僕は立ち上がることすらできなくなるだろう。言うなら、むしろ、激痛で先に死にかねない。


「やばっ………………!」


 そんな無駄な思考をしていたせいか、一瞬の隙をついた彼は細い腕で僕を押し倒した。

 押し倒して、馬乗りになる。

 病室の襲撃を再現するかのようなマウントポジション。

 激痛が走る腹部に彼が体重をかける。その痛みは手の先から足の先まで全身を巡る電流のようだった。

「くっ……」

「はいはーい、もうこれでお仕舞い。恨むんなら、お兄さんの自身を恨むんだな。お兄さんが俺様ちゃんの期待通りなら、少しは寿命を長くできたってのに。ぎゃはははっ、じゃーな、先に向こうで待っててくれよ。勿論、地獄でな、なんちって!」

 右手の軍用ナイフを振りかざす。

 あの時のように。

 今朝、病室で僕を襲った時と同じように、闇に紛れた刀身を上空に向ける。

 左手のボウイナイフの刃先で首を固定して、右手を高々と上げる。

 天を指す刃、喉を裂く刃。

 ぴくりとも動くことができない。

 首に刃を突きつけられてる以上、下手に動くとそのまま裂かれてしまう。しかし、このまま動かないのなら、右手の軍用ナイフで胸を貫かれる。

 いずれにしても――僕は殺されてしまう。


 活殺自在。

 僕は今、彼に心臓を握られている。

 生かすも殺すも自由、生殺与奪の権を掌握されいる。

 くそっ。

 くそっ……。

 このまま僕は死ぬのか。

 呆気なく、誰にも看取られることのないまま死ぬのか。

 のこのこと指定通りにやって来て、そして逃げることも許されず、聞き出すべき情報も何一つ得られないまま死ぬのか。

 僕は一体、何をしにこの公園までやって来たというのだ。

 何のためにここまで来たというのだ。

 悪い予感は最初からしていた。

 最悪の展開、こうなることは予想済みだった。

 それなのにどうして何の対策もなしに、身一つで敵中に躍り出たのだ。

 いや、対策がなかったわけじゃない。

 最悪の展開を予想して、打つべき策はあった。

 切り札にも似たカードを僕は持っていた。

 持っていた、けれど。

 けれど、それは通用しない。

 絶対に、彼には通用しないカードだ。

 僕がいくらエース級のカードを出しても、彼は平気でジョーカーを切ってくる。

 数少ないジョーカーを当然のように賭けてくる。

 こいつは、僕が一番苦手なタイプだ。

 話が通じない、まるで化け物と対話している気分になる。

 何を考えているかわからない、何も考えていないのかもしれない、そんなタイプの人間が僕は苦手だ。

 だから、僕の策は――切り札は通じない。

 全く、自分自身に呆れてものも言えない。

 切り札が通用しないなんて、少し考えればわかることだったじゃないか。

 《殺人鬼》の思考を一体誰が理解できるというのだ。

 そんなもの、誰にも理解することができないだろう。

 誰にも共感することができないだろう。 

 彼女を除いては、誰一人としてその想いを共有することなんてできないだろう。


「――っ!」


「最後に合掌くらいしてやるからよ。楽に、イケ――」

 右手が。

 右手に握られた軍用ナイフが。

 振り下ろされる――

「かはっ、楽しそうなことしてんじゃん。あたしも混ぜろよ、クソガキ共」

 馬乗りになった神宮司蓮ニの背後から声が鳴る。

 そこには、暗闇をも照らすような金色の髪をした、街灯にも負けじ劣らない輝きを放つ金色があった。

「雪間 麻由紀、国家公安刑事だ。現行犯で逮捕してやんよ」

 彼女は――雪間 麻由紀と名乗った金色の彼女は、唾を吐き捨てるように世界を蔑む目つきと共に、どことなく嬉しく楽しそうな、愉快と不快が撞着した笑顔を見せた。

 刹那、ぎりぎりのところでぴたりと刃先が止まった。


登場人物紹介

南名衛利……僕

八千代真伊……弁護士

神宮司甘奈……殺人鬼

神宮司蓮二……殺人鬼

旗桐林檎……少女

籠目紫……女子高生

雪間麻由紀ゆきままゆき……公安

三間弦義……警部

志木式栞……看護師

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