第四話 雨の城の探検 ③
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真っ暗な雨の中、リィはたった一人で頭を抱えてしゃがみこんでいました。雨のつぶがいくつもいくつも、リィの体を冷たく叩いていました。その雨があまりに冷たくて痛くて、リィは顔を上げることができません。
「ああ、私はもう、ここから抜け出すことはかなわないのね」
リィは思いました。
「心が凍ってしまったら、もう何も思うことはないのかもしれない」
とも思いました。そして、
「もうこれ以上何も思ったりすることはないんだろう」
と思いました。リィはもう、アオのことを思い出せなくなっていました。
いつのまにか、リィを叩く雨はやんでいました。リィの心はびっしょりとぬれてしまっていて、すぐにはそのことに気がつきませんでした。けれど、雨はたしかにやんでしまっていたのです。そしてそのかわりに、暖かい、懐かしい声がリィにふりそそいでくれました。
それがだれの声だったか、リィに何をささやきかけているのか、最初はリィにはわかりませんでした。けれど、声は根気強くリィに呼びかけてくれました。そしてとうとうリィは、その声の言葉を聞き取ることができたのです。
『リィ。ここに来てはいけない……』
声は、そう語りかけてくれていました。
「……あなたは、だれ?」
リィはようやく頭を上げました。辺りはまだ暗く曇っていましたが、リィはもう寒くは感じませんでした。
『リィ。きみは、ここに来てはいけない。今すぐにこの城を抜けて、家に帰るんだ』
声は、また言いました。
そこでリィも気がつきました。その声がなぜこんなにも暖かくて、懐かしいのかということを。
「……アオ。あなた、アオなのね!」
『……リィ』
「アオ、どこにいるの? 私、あなたを探してここまでやってきたのよ」
リィは、立ち上がってアオを探しました。けれど、アオの姿はどこにもありません。リィの上にはただ、黒く曇った空が広がっているばかりです。
「アオ、ねぇアオ。どこにいるの? 顔を見せて。私といっしょに帰りましょう?」
リィは、その曇り空に向かってつよく呼びかけました。声は答えてくれません。姿を現してもくれません。
『リィ。ここはとても恐ろしい場所なんだ。きみはもう、女王に見つかっている。今すぐにこの城を抜けて、家に帰るんだ』
声は、もういちど同じことを言いました。そしてそれ以上、リィに何も言ってはくれませんでした。
リィは、声の名前を呼び続けました。けれど、返事はもう何もありませんでした。ただ『ここに来てはいけない』という声だけが、リィの心の中にさみしくひびいていました。
†
かびくさい、ほこりの積もったちいさな部屋で、リィは目を覚ましました。リィは、足の折れて傾いている古びたベッドの上に横たえられていました。
頭のそばにはフクロウが、心配そうな顔をしてリィのことを見守ってくれていました。そして、リィが目を開けたことに気がつくと、うれしそうに羽を広げてよろこびました。
「ああ、お嬢さん。女王の雨から逃れることができたんですね、よかった!」
フクロウはそう言って、リィの周りを飛び回りました。リィも、自分の心が凍らされてしまったのではないとわかって、少しほっとしました。
リィは、ゆっくりと体を起こしました。それから、どうして自分はこんなところにいるのだろう、と首をかしげました。リィは地下の牢屋の前にいたのです。うずくまってしまったリィを、いくら賢いといったって、このちいさなフクロウが抱えあげられたとは思えません。
リィがふしぎに思っていると、そこはフクロウがすばやくそのことに気付いてくれました。ふくろうはリィのひざの上におりて、コホンとひとつせき払いをしました。
「私とあなたがどうしてここにいるのか、お嬢さんにはふしぎなのでしょう。私にはお嬢さんをここまで運ぶことはできませんからね。
ええ、お話します。けれど、驚いたり、私の話を疑ったりしてはいけませんよ。というのは、信じられないようなことが、あなたが雨に捕われているあいだに起こったからなのですけれど」
リィはフクロウに、しっかりとうなずきました。ぜったいに疑ったりしないと約束もしました。フクロウは「よろしい」と、なんだかえらそうに胸を張って、話し始めました。
「地下室でしゃがみこんでしまったあなたに、私はなんども呼びかけました。けれど、あなたはまるで返事をしてくれませんでした。私はあのとき、お嬢さんはもう雨に捕われてしまったんだと悟りました。ええ、これでもう女王から逃げることはできないのだと観念しました。
そこに、雨の使いがひとつ姿を現しました。使いは、お嬢さんの体を抱きあげました。私は、きっとその使いはお嬢さんを女王のところへ連れて行ってしまうつもりだと思い、どうにかして使いを引きとめようと努めました。ところが、その使いはあなたのことを女王のところへは運ばず、かわりにこの場所へ運んで、ベッドに横たえたのです。
そしてまず、使いは、凍えたあなたの額に口付けをひとつしました。するとあなたの青白かった頬に、うっすらと赤みがさしたではありませんか!
次に使いは、あなたの冷たい胸もとに口付けをひとつしました。するとあなたのぬれた体が、見る見る乾いてしまいました。
最後に使いは、あなたのふるえたくちびるに口付けをひとつしました。するとあなたの捕われた心がついに雨から逃れて、あなたは目を覚ましたのです」
話をしながらフクロウはおおきく首をかしげ、そのままぐるっと一回転させました。女王の使いがリィを助けてくれたことが、そうとうふしぎだったのでしょう。
リィにとってもそれはふしぎな話でした。けれど、リィには少し考えただけでわかりました。「きっと、その雨の使いはアオだったんだ」と。だからもちろん、リィはフクロウの話を疑ったりはしませんでした。
リィは急に元気がもどってくるのを感じました。アオは女王の雨に捕われてしまったわけではなかったのです。それどころか、今もどこかでリィのことを見守ってくれているに違いないのです。
「アオは、私のことを助けてくれたんだ。だからこんどは、私がアオのことを助けてあげなくちゃ」
リィはそう思いました。そして元気よく、ベッドから飛びおりました。
「早くアオに会って、アオを女王から取り戻さなくっちゃ」
リィはまた、心が温かくなっていくのを感じました。もうどんなに冷たい雨にふられても、凍えることはないと思うことができました。
「さぁ、フクロウさん。行きましょう、アオのところへ」
リィはフクロウに向かって、手を伸ばしました。フクロウは「そうしましょう」とうなずいて、すばやくリィの肩に飛びのりました。
リィはそして、その部屋を飛び出していきました。