深慮
私は、重くふらついた足取りで、何とか自室にたどり着きました。
「姫様…どうされました?お顔が真っ青ですが…」
皐月が、心配しながら私の体を支えてくれます。
「明日早く、誰にも言わずに松本に帰ります。帰ったら誰も部屋に通さないで」
私は、皐月に言います。
「え…二、三日、こちらでゆっくりなされる予定では?」
皐月が驚きます。
「言うとおりにして!誰にも言わないで用意をしなさい」
私は、苛ついたような表情を浮かべながら言います。
皐月は、私の言い方に驚きながら、準備を開始します。
私は、逃げるように松本に帰りました。
それから、部屋に籠り、食事もほとんど取らず誰にも会わずにいました。
「なりません!姫様はどなたにもお会いしないと言っておられます!」
「うるさい!通せ!」
私が松本に帰ってきた翌日の昼。こんなやり取りで表が騒がしいです。
勢いよく戸が開いて、義重兄様…いえ、もう兄様ではありませんね。義重様が部屋に入ってきます。
義重様は、私の前に立つなり、拳骨を私に振り降ろします。
「痛い…」
私は頭を押さえて呻きます。
「この、愚か者!俺や義高兄上との関係は、こんな事で崩れ去るような浅いものだったか!」
いつもは、一歩控えている義重様が怒りの表情を浮かべ私を見下ろします。
「義重様達には、関係の無い事です。お引き取りを…」
私は、顔を背けて言います。
バシッ…
乾いた音と共に、私の頬を痛みが走ります。
「何をうじうじしている!俺たちは、同じ『源氏の血』を継いだ者であろうが!それに、父、義仲やここまで育ててくれた巴御前や乳母の小百合の恩を忘れる程、姫は薄情者か!」
義重様が私を見下ろしたまま叫びます。
「そこまでにしろ…姫も混乱しているのだから」
義高様が戸を開けてやって来て義重様に優しく言います。
「確かに、俺達には関係のない事かもしれん。姫が俺たちをどう思おうと…少なくとも、俺たちは、姫を『妹』だと思っている」
義高様が私の頭を撫でます。
「姫…その…すまん。痛かっただろう」
義重様が頭を下げて謝ります。
「姫…これだけは、約束してくれ。きちんと食べ、ゆっくり温泉に浸かりながら、健やかにくらすと…」
義高様が、私をじっと見ます。
「兄上、ご心配なく。約束を破ったと聞いたら、俺がまた姫に拳骨をしにきますから」
義重様が拳に息を吹きかけながらおどけます。
私は、ぽろぽろと泣いてしまいます。
「辛かったな…だが、姫には俺たちがいる。寂しい時、辛い時、悲しい時…一人で抱え込まずに頼ってくれ」
義高様が、私を抱きしめます。
「私は、どうしていいか分からなかったのです。巴様は私を育ててくれた恩人にして、亡き父、頼朝の仇…」
私は泣きながら義高様に言います。
「姫…少し角度を変えて巴御前の行いを見てみたらどうだ?」
義高様が私をじっと見ながら言います。
私が、首を傾げていると義高様は、話し始めます。
「聞けば、巴御前が頼朝殿を討った頃…平家追討の機運だったそうだ…」
「それは、巴様が父を討った理由にはなりません」
私は、むっとしながら答えます。
「まぁ、最後まで話を聞いてくれ。平家追討の後には何が、起こると思う?」
義高様がゆっくりと言います。
「『源氏の嫡流』争いか…」
義重様が呟きます。
「そうだ…我が父、義仲と、姫の父、頼朝殿のな…巴御前はそれを見越して頼朝殿を討たれたのだ」
義高様が頷きます。
「そして、私は…巴様の想いを満たす道具とされたのですね」
私がぽつりと呟きます。
「いや…巴様の深慮遠謀はここからよ。頼朝殿の遺児が『男子』ならば命を絶たれていた。だが、姫…そなただった」
義高殿が言い終えた後、白湯を希望するので、私は皐月に用意させます。
皐月が白湯を持ってきて私達の前に置いた後、部屋を去ります。
義高様が、白湯を一口飲んで続けます。
「確かに…巴御前は父上との子を成せなかった。その為、姫を引き取った…それは、一面からの見方だな」
「それ以外に何がありますか?」
私は、むすっとしながら尋ねます。
「姫…女性にしかできない役割とは何かな?」
義高様が急に質問してきます。
「家を守り、子を産み、育て上げることでしょう」
私は、小百合かか様から幼い頃から言われ続けた事を義高様に言います。
「そうだな…姫がその役を担う為に、巴御前が引き取ったと考えてみたらどうだ?」
義高様がにっこりと笑います。
「俺と義重の祖父、義賢様は討たれた。父、義仲は幼いながら皆に護られ生き延びた。だから今、こうして俺達がいる」
義重様が義高様の言わんとしている事を理解したのか、私に言います。
「姫が生きて、将来子を成す事が、姫の亡き父…頼朝殿の血を継ぐと言うことだ」
義高様は私ににっこりと笑います。
「ふふ…兄上、今までの話しにかこつけて姫と一緒になりたいのでしょう?」
義重様が明るく笑います。
私は、意味が分からず首を傾げます。
「姫…もし、姫と兄上と結ばれて、子ができたとするとその子はどういった意味を持つと思う?」
義重様がくすくすと笑います。
「義朝様、義賢様の曾孫…」
私は、あっと声をあげます。
「そう、誰にも文句のつけようが無い『源氏の嫡流』だ。長い血族の争いも終わりだよ」
義重様が私を見ます。
「ば…馬鹿者!仮定の話をするでない。飛躍しすぎだ」
義高様が慌てて義重様をたしなめます。
「とにかく…そういった考えで姫は、巴御前に引き取られた事を分かって欲しい」
義高様が、私をじっと見つめながら言います。
私の心が少し軽くなった感じがしました。