想い人
お待たせしたのに、短くてすみません。
「尼母様……」
私は、ぽつりと呟く。
「男は、功を為し名を世に出す。女は、子を成し家を守る。それが、この世の男女の役割です。まして、姫は、求められているのです。所謂、家の都合で嫁ぎ先を決められてしまうわけではないのです」
尼母様が、私を諭してくれます。
「私が、尼になると言ったら……尼母様は……どう思いますか?」
私は、尋ねる。
「それが、姫の答えなら仕方ありません。ですが……それは、姫の『逃げ』であり『自己満足』でしかありません。義高殿達が、帰ってくるまで時間があるでしょう。ゆっくり考えればいいのです。ですが、私や頼朝殿の血を受け、日の本一の女武者――巴御前――の愛情を一身に受けて育った姫です。何もせず困難や苦しみから逃げるような弱い精神はしてないはずです」
尼母様は、強い口調で私を見つめます。
尼母様が部屋を出て行き、ぽつりと一人になった私……
物心ついた頃から、兄妹のように育った、義高・義重兄様と私。
いつも、私を優しく見守り包んでくれた義高兄様。
いつも、私に合わせて遊んでくれた義重兄様。
もし、嫁ぐとしても兄様達以外は考えられない。それは、もう決めています。
だけど、そこから先に進もう、私の想い人を心に決めてしまおうと思うと、考えが堂々巡りを続けます。
もし、私が義高兄様を選んだら、義重兄様がどれだけ傷つき、その後どう振る舞えばいいのか?
もし、私が義重兄様を選んだら、義高兄様がどれだけ傷つき、その後どう振る舞えばいいのか?
そこで、私の思考は止まってしまいます。
こんなに苦しむのなら、尼になろうか……という思いがよぎります。
そうすると……私は、その先を思い描きます。
どうしても、兄様達、尼母様、巴母様、義仲父様の寂しく悲しそうな顔しか浮かんできません。
「私自身が、私の大切な人達を悲しませてどうするのです?」
私は、私の中にいるもう一人の私に問いかけます。
「では……どうするのです?」
もう一人の私が私の前に現れて問いかけます。
「嫁ぐ事はもう決めています。どちらの『北の方』になるか……ただそれだけです」
私は、もう一人の私に答えます。
「ならば、答えは簡単。義高兄様に嫁ぐべきです」
「義重兄様の気持ちを思うと……」
「義重兄様自身が、私と義高兄様が一緒になる事を願っています。それに気づいていないわけではないでしょう?」
「それは……」
「何も義重兄様と今生の別れになるわけでもないでしょう?義高兄様の『北の方』として、関係は続くのです」
「兄妹のように育ったのに……辛すぎます」
私は、ぽろりと涙を流します。
「いつかは、選ばなければならない時が来るのは分かっていたのに……ごめんなさい」
私の呟きに、私の前に現れたもう一人の私は寂しそうな表情をした後、すっと姿を消したのでした。
私は、皐月を呼んで、別当殿に湯殿の使用許可を求めます。
別当殿は、何を遠慮など……と笑いながら許してくれたようです。
「ふぅ……」
私は、石積みの湯船に満たされた温泉に身を浸します。
迷いを洗い流し、心を決めるため……
私は、じっくりと体を温めます。
「もう決めました……私の大切な想い人……どうぞご無事で」
私は、はるか遠い所にいる、『想い人』に向けて呟いたのです。




