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伊豆山

義仲父様が暗い顔をして戻ってきます。

「行家…とんでもない置き土産をしてくれた」

義仲父様が毒づきます。

「父様、兄様や巴母様達とすぐに信濃に…」

私は、範頼叔父上暗殺の報を聞いて父様に勧めます。

「それはそうだが…姫はどうする?尼御前殿は?」

父様が心配そうに私を見ます。

「私の事や尼母様の心配より、この坂東の事を考えて下さい。頼朝父上が願い、義仲父様が叶えたこの平穏を無にするつもりですか?」

私は、義仲父様にはっきりと言います。

「私や姫なら大丈夫です。土肥殿や三浦殿がいます。それに、伊豆山の衆徒も…」

尼母様が義仲父様に言います。

「ならば…伊豆山に一旦行くか?」

義仲父様が私に尋ねます。

「尼母様に孝行しながら、父様達のお迎えをお待ちします」

私は、にっこりと笑いながら言います。義仲父様の不安を少しでも和らげるために。


私と皐月、尼母様と正礼院は、土肥殿の護衛で伊豆山へと向かいます。

「政子殿…お懐かしいですな」

伊豆山権現を預かる別当殿が、私達を出迎えます。

「別当殿…あの時のように、しばらくここに居させてくれませんか?」

尼母様が別当殿に丁寧に願い出ます。

「亡き頼朝殿には格別な信仰を頂きました。その恩に報いる為ならば我々衆徒一同、しっかりと政子殿をお守りしましょう」

別当殿がにこやかに笑います。

「ところで、こちらの姫君は?」

別当殿が私を見ます。

「別当殿…おぼえていませんか?かつて石橋山合戦の折りに私がここに頼朝様の命で避難してきた時に抱いていた赤子を」

尼母様が説明します。

「おぉ、あの時の…」

別当殿が思い出して手を叩きます。

「今は、訳あって木曽殿の養女になっていますが…」

尼母様がぽつりと言います。

「いやいや…そんな事はいいのです。ここは頼朝殿と政子殿の逢瀬の場でもありましたからな。頼朝殿の導きでしょう」

別当殿が明るく笑います。

尼母様が顔を赤くして少し別当殿を睨みます。

「懐かしくて、口が滑りましたか」

別当殿が、笑いながら自分の額をぴしゃりと叩きます。


私と尼母様は、宿坊に通されました。

「湯殿もありますので、ゆるりと過ごされませ」

別当殿が私達に言います。

「伊豆は、温泉が豊富なのですね」

私は尼母様と別当殿に言います。

「姫の居られる信濃も温泉は豊富では?」

別当殿が私に尋ねます。

「ええ…温泉が出るところは豊富にありますが、別当殿はどうしてご存じなのですか?」

私は不思議に思って別当殿に逆に尋ねます。

「ここ伊豆山権現は、箱根権現と並ぶ修験道の行場でな。私もここの別当になる前は、信濃の戸隠にも足を伸ばして修行に明け暮れていたのでな」

別当殿の説明に私は納得します。


別当殿は、私に若い頃の頼朝父上の話をしてくれます。

信仰心に篤く、特にここ伊豆山権現と箱根権現を尊崇していた事等。

だからこそ、石橋山の合戦の折りに尼母様と私をここに避難させたのでしょう。

「あの時、頼朝殿敗死の報を受けて、何故政子殿はここをお出になられた?我々は匿うつもりでしたのに…」

別当殿が尼母様に尋ねます。

「私達を匿っていれば、ここは灰塵に帰したかもしれません。そうなっては、頼朝様に申し訳がたちません。それに…」

尼母様が少し赤くなり言葉を続けます。

「ここは、私と頼朝様の大切な場所ですから、ずっと変わらずにあって欲しかったのです」

尼母様が、照れながら言います。

「愛する方の為に、変わらずにあって欲しいと願ってですか…成程」

別当殿が微笑みます。


「姫様…義高様、義重様がお越しに」

部屋の外に控えていた皐月が戸を少し開けて私に告げます。

「兄様達が?信濃に帰っているはずでは?」

私は不審に思います。

「はぁ…姫様に言い忘れた大事な用件を思い出したとか」

皐月が私の不審な表情を見ながら言います。

「何でしょう…」

私は、ますます不審に想いながら皐月に兄様達を通すように告げます。

しばらくすると、兄様達が部屋にやってきます。

「兄様、どうかしましたか?私に言い忘れた事があるとか」

私は、兄様達を上座に座らせて向き合います。

「うむ…」

義高兄様が小さな声で答えます。

「すまないが、別当殿。席を外してくれませんか?」

義重兄様が別当殿に頼みます。

別当殿は、頷いて部屋を後にします。

部屋には、私と尼母様と兄様だけになりました。

義高兄様が、ふうっと息を吐きます。

「兄上、さっさと言ってしまえば楽になります」

義重兄様が義高兄様を肘で突きます。

「そうは言ってもだな…」

義高兄様が、赤くなりながら口ごもります。

私は、いつもの義高兄様と様子が違うのに少し戸惑います。

「ここに来ている事は、義仲父様はご存じなのですか?」

私は、兄様達に尋ねると、兄様達は、揃って頷きます。

尼母様は、にこりと笑うと静かに立ち上がり部屋を出ていきます。

「では、私に言い忘れた事とは?信濃に私が帰ってからでは間に合わない話なのでしょうか?」

私は兄様達を見ながら尋ねます。

「いや…多分間に合う話なのだが…」

義高兄様が頭を掻きながら答えます。

私はますます分からなくなります。

「では、わざわざここまで来た理由がないのでは?」

私はついきつい口調で尋ねます。

義高兄様は、黙ったままです。


「ええいっ、じれったい!」

義重兄様が叫びます。

「姫…実はな…」

義重兄様が話し始めます。

と…義高兄様が義重兄様を手で制して、ふうっとまた息を大きく吐きます。

そして、居住まいを正して私を見つめて尋ねます。

「姫…今、姫に『想い人』はいるか?」

と…







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