松本屋敷は、賑やかに始まります
私が起きたのを確認すると、巴母様は、私の身支度の物を取りに部屋を後にします。
今日は、身内だけ内々の私の『裳着』の祝いの日。
来てくださるのは、義仲父様、義高兄様、義重兄様。それから、中原の爺様、婆様、叔伯父様方。もちろん、小百合かか様にも同席してもらいます。
義高兄様と義重兄様は昨日から屋敷に、泊まっています。
私が巴母様に、
『きちんと、お世話になった方々にお礼を言いたい』
と言ったら、巴母様は、優しく頷いて段取りを整えてくれました。
とはいえ、私は朝が苦手なのです。
ぼーっとしたまま、夜具の上に座っています。
「やはり、やめた方がよいのではないのですか?兄上」
「可愛い妹の寝顔や寝起きなど、そうそう見られぬ…まして、大姫は今日『裳着』だぞ?最後の機会ではないか」
義高兄様と義重兄様の声が聞こえます。
「巴御前に見つかったら…」
「なに、朝から御前の姿が見えぬ。おそらく朝駆けにでもいっているのだろう。まさに好機!」
そんな話をしながら、兄様達が私の部屋に入ってきます。
「お…おはようございます」
私は、兄様達にきちんと挨拶します。
「お…起きていたか…少し残念だな」
「おはよう、大姫。今日もいい天気だぞ」
兄様達は、私の前に座りながらにっこりと笑います。
兄様達と昨日した事をお話しをしていたのですが…
私は、只ならぬ気配を感じて怯えてしまいました。
「どうした大姫?」
義高兄様が心配そうに私に尋ねます。
私は、二人の後ろを指差します。
「ほぅ…朝駆けとは、良い心がけ…ですが些か意味を履き違えていらっしゃるようですね?」
冷たく響くその声に、兄様達は驚き、錆びた金具の様に後ろを振り向きます。
そこには、黒い気を立ち上らせて兄様達を見下ろす、巴母様の姿が…
「いや…巴御前。兄妹水入らずの語らいゆえ…」
義高兄様が、冷や汗を流しながら言います。
「そう…今日で大姫も、『大人』ですし…」
義重兄様もびくびくしながら言っています。
「たとえ、兄妹であろうと、一人の女性の部屋に無断でしかも寝起きを狙うとは…、体を動かしましょうか?その方が朝餉も美味しく頂けるでしょうから」
巴母様は、にっこりと笑うと兄様達の後ろ襟を掴みます。
「待て、待って下さい!」
「お許しを…巴御前!」
兄様達の悲痛な叫びを無視して、巴母様は、二人を引きずるようにしていきます。
「あ…あの…巴母様。兄様達は悪気があった訳では」
私は何とか声を出し、兄様達を庇いますが巴母様は、にっこりと笑うだけです。
ちょうど、小百合かか様が部屋へとやって来たため、部屋の戸が開かれ、兄様達は逃げる好機を逃しました。
小百合かか様は、軽くため息をついた後、私の着替えを手伝います。
「兄様達…大丈夫でしょうか?」
私は心配になり呟きます。
「心配ありませんよ、姫様。ちゃんと巴様は分かってらっしゃいますから」
小百合母様は、私の着替えを手伝いながら淡々と言います。
着替えが終わって、私は小百合かか様と廊下を歩いていると、庭先で、巴母様にいいように投げられている兄様達の姿を見えます。私は思わず、手を合わすのでした。
お昼過ぎ、義仲父上や中原の爺様、婆様、伯父上様達がおいでになりました。
私は、滞りなく『裳着』を済ませ、義仲父上や巴母上にきちんとお礼を述べます。
「見目麗しい姫になり、嬉しく思うぞ」
義仲父上が、私に微笑み、頭を優しく撫でてくれます。
巴母様や小百合かか様は、涙ぐんでいるようです。
中原の爺様達も涙ぐんでいます。
「ところで、義高、義重。どこか具合が悪いのか?」
祝いの席の途中、義仲父上が兄様達の様子に気づきます。
「いや…その…」
代表して、義高兄様が答えます。
すると、巴母上が今朝の出来事を話します。
義仲父上は、膝を叩きお腹を抱えて大笑いしています。
一しきり笑った後、義仲父上は兄様達を呼び寄せます。
兄様達は、義仲父上の前に並んで座ります。
やおら、義仲父上は立ち上がると、兄様達の頭に拳骨を降り下ろします。
「申し訳ありません」
義高兄様が、代表して謝り義重兄様も頭を下げます。
「よし、では、今日は我らの大切な姫の祝いの日だ。改めて、姫の昔話などで盛り上がろうぞ!内々の近しい者ばかり、遠慮はいらん!」
義仲父上が杯をあげて言います。
「巴母様、小百合かか様…無事『裳着』となりありがとうございます。今まで私の体が弱く食も細いため、ご苦労をお掛けした事と…」
私は巴母様と小百合かか様に丁寧に頭を下げます。
「いえ…良いのです。これからも健やかに育ってくださいね…私より小百合かか様に苦労をかけたのですから、小百合かか様にしっかりお礼を…」
巴母様が涙ぐみながら私に言います。
私も、涙ぐみながら小百合かか様に丁寧に今までの事を詫び、礼を述べます。
「姫様…ようお育ちに…私は嬉しゅうございます」
小百合かか様は、ぽろぽろと涙を流しています。
「しんみりするのは、早かろう」
兼平伯父上が、明るく言いながら私や巴母様達の前に座ります。
「もう、伯父上」
私は、涙を拭いながら言います。
「姫がここで暮らし始めたのがつい昨日のようです」
小百合かか様も、涙を拭きながら言います。
「ええ…本当に」
巴母様が頷きます。
「尤も、姫様が幼い頃は、余りお戻りになられず、姫様が、怯える事もしばしばでしたが…」
小百合かか様が、くすりと笑います。
巴母様が、思い出したように赤くなります。
私は、そんなやりとりを見ながら昔を思い出していました。