【幕間】伊豆の温泉(ゆ)
「大姫、信濃からここ迄、長旅で疲れたでしょう。近くに私もたびたび浸かりにいく温泉の出る宿があります。そこで出発まで滞在するのが良いでしょう」
尼母様が私に勧めてくれます。
「できれば、尼母様と一緒にいたいのですが…」
私はつい我が儘を言ってしまいます。
「私もそうしてあげたいのですが、身の回りの整理もありますし…」
尼母様が困った表情を見せます。
「姫…皐月の事も考えてあげなさい」
巴母様が、私に注意します。
そうでした…皐月にもゆっくり疲れを癒してもらわなければ。ここまでおそらく気の張りっぱなしだったことでしょう。
「では、せめて一緒に温泉に入りたいです。まだまだ色々とお話したいし、聞きたいのです」
私は、尼母様にせがみます。
尼母様は、少し困った顔をしながらも、
「分かりました。宿の主人にはお世話になりましたから、お別れの挨拶も兼ねて、今日だけ行くとしましょう」
と答えてくれます。
私に母様達、皐月に尼母様の侍女代わりの尼僧―正礼院という―の五人は、温泉の湧く宿に向かいます。
義高兄様と義重兄様は、巴母様の使いで何処かに行かされます。
「巴母様、兄様達はどこへ行ったのですか?」
私は不思議に思って尋ねます。
「ちょっとした野暮用です。三島大社で合流するように言ってあります」
くすっと巴母様は笑います。
「立派な青年ですね。義仲殿も安心でしょう」
尼母様が感心しながら言います。
「兄様達は、私にとてもよくしてくれます。ですが、義重兄様の拳骨はすごく痛いのです」
私は、痛さを思い出してため息をつきます。
そんな私の顔を見て、母様達は顔を見合わせてくすっと笑います。
「尼御前様、ようこそいらして下さいました」
宿に着いた私達を、恰幅のいい女性が、笑顔で私達を出迎えます。
「また、世話になります。今日は、暇乞いにきました」
尼母様が少し寂しそうに言います。
どこかお出掛けになるのですか?と尋ねる女性に、尼母様は事情を話します。
「そうですか…分かりました。尼御前様がお発ちになるまでこちらをお使い下さい」
女性も、少し寂しそうに言います。
私達は、部屋に案内され荷物を置いた後、温泉へと案内されます。
石積みの浴槽は広く、私達が手足を伸ばしてゆったり入れそうです。
「信濃の温泉と感じが違いますね」
「信濃にもあるのですか?」
巴母様と尼母様が話し合います。
尼削ぎにしていますが、黒髪が美しい尼母様、巴母様、正礼院、皐月、私の順に浴槽に浸かっています。
「ええ、松本屋敷の中に温泉を引き入れていますからいつでも…」
巴母様が答えます。
ふと見ると、尼母様から私にむけて段々と、湯に浮いているたわわな双丘の大きさが小さくなっていきます。
「私もいつかああなるのでしょうか…」
私は、母様達を見たあと、自分の胸を見てぽつりと呟きます。
「信濃とは、どんなところですか?」
正礼院が皐月に尋ねます。
「海はありませんし冬は雪が積もり寒いのですが、自然豊かで良いところです」
皐月は、にこにことしながら答えます。
「尼母様、頼朝父上とどの様に結ばれたのですか?教えて下さい」
私は、尼母様の方へ移動しながら言います。
尼母様は、びっくりして私を見ます。
「私も、尼御前様と頼朝様のなりそめをお聞きしたいです」
巴母様も、目を輝かせています。やっぱり女性なのですから、『恋の話』は気になりますよね。
尼母様は、真っ赤になっています。尼母様を除いた私達は、尼母様を見つめます。
「頼朝様は、平治の乱で伊豆に流罪となり、私の実家―北条家―は、監視役だったのです。頼朝様は、慎重でじっくりと時を待つ事のできた優しく、ですが内に熱いものを宿した立派な方でした」
尼母様が、思い出すようにゆっくりと語ります。
「私は、何度か頼朝様にお会いするうちに…惹かれていきました。そうして、私は、ある闇夜に…頼朝様の元に一人走ったのです。私が一生添い遂げるのは、この方だと信じ想いを遂げるために…」
尼母様が少し赤くなりながら話します。
「姫の今回の件も、尼御前様譲りかもしれませんね」
巴母様が、私を見てくすっと笑います。
私は、恥ずかしくなってしまいます。
「やがて…私は子を宿しました。それが、大姫。貴女です。頼朝様と私が結ばれる事に猛反対していた私の父、時政もついに折れて、私達の仲を認めてくれたのです」
尼母様は、私を見ながら話します。
温泉から上がった私達は、用意された部屋で休息します。
「ところで、姫は『裳着』を済ませたのですか?」
尼母様は、私に尋ねます。
「はい。この旅の前に済ませました」
私は尼母様に答えます。
「そうですか…では、姫も嫁ぐ事ができるのですね。気になる方などはいないのですか?」
くすっと笑いながら尼母様は言います。巴母様や皐月まで私を見つめます。
「え…えぇと…」
私は、つい狼狽えてしまいます。
なぜか、兄様達の顔が浮かびます。
私の様子を見て、母様達が微笑みます。
「どうやら、思い当たる方がいるみたいですね」
尼母様が、私の表情を見ながら言います。
「姫…誰なのです?」
巴母様が私に詰め寄ります。
「姫、私のようにして相手に想いを伝えるのも良いですし…」
「私のように幼い頃からの延長から発展しても良いのです」
二人の母様が私ににじり寄りながら言います。
優しい顔をしながら…
私は、皐月に助けを求めるように顔を向けますが、皐月はわざと視線を合わせません。
また、私の脳裏に兄様達の顔が浮かびます。
「やはり、大切な『私達の娘』ですから、『母』としては気になりますね?巴様」
くすくすと尼母様が笑います。
「ええ…もちろん。『母』としてはきちんとした方の元へ嫁いで欲しいですから」
巴母様が尼母様に頷きます。
「私は…その…」
私は、つい口ごもります。
「ふふっ…姫を追い詰めてもかわいそうです」
「そうですね」
まだ会って間もないのに、母様達は絶妙な連携を見せています。
いつか、私は、母様達の前で自分の想い人を言わなければならないかもしれません。
『嫁ぐ』という言葉や『想い人』という言葉を考えると、兄様達の顔が浮かび、胸が高鳴るのはなぜでしょうか?
次回も【幕間】です。




