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『産みの母』・『育ての母』

「姫、少しここで待っていろ。姫の『産みの母上』の事を聞いてきてやる」

義重兄様が、皐月を馬から降ろして駆け出していきます。

私か止める暇もなく…

仕方がないので、私達は近くで馬を休ませます。

しばらくして、義重兄様が戻ってきました。

「姫、母上は『安養院あんにょういん』と名乗っているらしいが、土地の者は、『尼御前』と呼んでいるらしい。それと、尼になってからかつての侍女と二人で庵に暮らしている」

義重兄様が、私に手に入れた話をしてくれます。

「さぁ、行ってこい」

義高兄様が、背中を軽く押してくれます。

「行きましょう…巴母様」

私は、巴母様と共に庵へと歩きだします。

一歩一歩、庵に近づくにつれて私の胸は高鳴ります。

どんな女性ひとなんだろう…

会ったら何と言おう…

私は色々と考えながら、庵に向かいます。


庵の門を掃除している尼僧に私は声をかけます。

「もし…安養院様はご在宅でしょうか?」

私はできるだけ落ち着いた声で尋ねます。

「失礼とは存じますが、貴女様は?」

尼僧が掃除の手を止めて尋ねます。

「私達は、信濃より安養院様にお会いしたく参りました。私は、大姫といい、こちらは私の母の巴といいます。お取り次ぎ願えますか?」

私はゆっくりと名前を明かしていきます。

尼僧は、しばらくお待ちをと言って中に入っていきます。

待っている間がとても長く感じます。

そっと、巴母様が私を支えてくれます。

「『尼御前』様がお会いになるそうです。どうぞこちらへ」

尼僧は、ゆっくりと答えると私達を案内してくれます。

私達は、庭のよく見える陽のよくあたる部屋に通されます。


部屋の中に、薄墨の衣を着た尼僧が座っています。

私と巴母様は、その方の前に座ります。

「十年ほどになりますね…『北条政子』様」

ゆっくりと巴母様が言います。

「久し振りにその名を聞きました」

尼僧が呟きます。

「大姫…この方が姫の『産みの母様』、北条政子様です」

巴母様が、再度私に『産みの母様』の出家前の名を紹介してくれます。

私は、ここに来るまでに言おうとしていた事を全て忘れてしまうほど、嬉しくて涙を流してしまいます。

「大姫…見目麗しい姫になりましたね。顔をよく見せて下さい」

『産みの母様』が、近づいて私の顔を優しく撫でてくれます。

「母様…」

私はそれしか言えません。

「巴様…大姫をここまで、無事に健やかに育てていただいて…幾重にもお礼を申します」

『産みの母様』は、巴母様に丁寧に頭を下げます。

「いえ…私は何もしていません。大姫が信濃の自然の中で伸び伸びと育った証です」

巴母様は、ゆっくりと答えます。

「あの…母様」

私は、涙を拭いて言いますが巴母様と『産みの母様』が反応してしまいます。

私が、少し困った表情をすると、巴母様が

「姫…『尼母様』とお呼びしたらどうです?」

と助け船を出してくれます。

私は『産みの母様』の表情を窺います。ゆっくりと優しく頷いてくれます。

「尼母様…」

私は、涙ぐみながら呼んでみます。

「大姫…」

尼母様も涙ぐみながら答えてくれます。


尼僧が白湯を持ってやって来て私達の前に置き、丁寧に一礼して部屋を後にします。

「大姫…姫の父親の事は聞いていますか?」

尼母様が私に尋ねます。私はゆっくりと頷きます、

「姫の父親、源頼朝様の敗死や一族の討死を聞いた時、私と姫は伊豆山にいました。姫と共に頼朝様や皆の所へ行こうと思いました。だけど、幼い姫の無邪気な笑顔を見てると出来ませんでした…」

尼母様が白湯を一口飲みます。

「そして、私と姫は、大庭殿に捕らえられました。女の勘とは鋭いものです。姫を抱いた私を見て巴様は、私の思いを感じたのでしょう。『私には子がいません。ですが、我が子を手にかけるような母には任せられません。母と言えど、子の将来を奪う権利は無い』と…私を諭してくれたのです。だからこそ、巴様に姫を託したのです」

「尼母様…」

私はぽつりと呟きます。

「姫には、辛い思いをさせた事は、この私からも謝ります。ですから、巴様を恨んではなりません」

尼母様は、私をじっと見つめます。

「恨むなどと…私は幸せ者です。『産みの母様』と『育ての母様』二人の母様の愛情を受けているのですから」

私は、尼母様と巴母様を交互に見て微笑みます。


「母様…私の我が儘を聞いてくれますか?」

私は、巴母様と尼母様を見ます。

「姫が我が儘など…珍しいですね」

くすっと巴母様が笑います。

尼母様は首を傾げています。

「尼母様…一緒に信濃で暮らしましょう。父頼朝様や尼母様の一族の冥福を祈るのは、どこにいてもできます。それに、今から今までできなかった孝行をしたいのです」

私はまず、尼母様に言います。

「巴母様…義仲父上に、松本に寺院を建ててくれるよう口添えしてくれませんか?それと、尼母様が松本に住むとなると、良からぬ事を考える者がいるかもしれません」

私がそこまで言うと、巴母様はにっこりと微笑み頷きます。

「姫の気持ちは嬉しいのですが…義仲殿の心中を思うと」

尼母様が躊躇います。

「だからこそ、巴母様に助けてもらうのです。もし、義仲父上に駄目だと言われれば、また松本の屋敷に引きこもります」

私はくすっと笑います。

「政子様…いえ、尼御前様。私達の『娘』のたっての願いです。叶えてあげませんか?」

巴母様が微笑みます。

しばらく尼母様は考えますが、やがてにっこりと笑います。

「私達の『娘』の願い、無下にはできませんね」

私は、その言葉を聞いて嬉しくてしかたありません。


巴母様は、尼母様に紙と筆を借りると、何やら認めます。

「尼御前様には、身一つで来ていただいても良いのですが」

巴母様が尼母様に言います。

「いえ…身の回りの整理もあります。二、三日時間を頂けますか?」

尼母様は、巴母様に言います。

「分かりました…では、準備ができしだいこちらを発つという事で…そうそう、途中三島大社に参拝しましょう。そこで…」

巴母様が、私と尼母様を近くに寄せます。


こうして、私の旅は無事目的を果たしたのです。





次回はちょっと本編を小休止して、『幕間』です。

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