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評価

階下で二人の話し声が聞こえる。


ジオードの事、碩学院の事、光る水の事、そしてリシアの事。


暫しの話し合いの後、触れないでおこうという結論になったようだ。父は機関紙か何かに目を通す事にしたのか今の椅子を軋ませ、執事は残っていた家事に取り掛かる。


寝台に伏せている場合ではない。父に遠出の話を聞くなり、執事の作業を手伝うなり、明日の金の工面を考えるなり……やるべき事は沢山ある。


何より。


どんな顔をして、アキラに会えば良いのだろう。


夕暮れのやり取りを思い出し、震える。何故校則の事を知っていたのか。セレスが告げたのだろうか。いや、彼女も普通科の生徒なのだから、迷宮科の規則までは存じていないだろう。それならどうして。


は、と小さく息をつく。どうやって知ったかなんて事は重要ではない。規則の事を知って、アキラはどう思ったのだろうか。リシアに対して、どのような感情を抱いたのだろうか。それを知るのが、ただただ怖い。


利用された。そう思ったのではないか。


それは事実だ。リシアはアキラの事を利用した。迷宮へ潜るために。そしてそれを告げずに、ただ「ごめんなさい」と言い捨てて逃げてきた。


どこまでも不誠実な人間だ。


こんな人間だから、親友にも見放され、同じ不誠実な人間に利用されるのだ。


小さく咳き込む。熱い息が顔を覆った。


アキラの事を、友達だと思っていた。だがそれは、リシアの身勝手で浅ましい思い込み……気のせいでしかなかった。相手を利用する関係を「友情」などと、おこがましくも形容していたのだ。


やるべき事は、何がある。


必死に冷静になろうと、明日の予定を立てる。


アルフォスの事を報告して、ハロと救助費の相談をして、その前にアキラと待ち合わせをして……その時に、謝って。


謝って、済むことなのだろうか。


執事に改めて手当を受けた頭の傷が鈍く痛んだ。何度も何度もアキラに真実を話そうとして、でも一度も本当の事を言えなかった。今日だって、結局告げるべき事はアキラの口から告げられたじゃないか。


もう手遅れだ。


そう思い至って、リシアは暗い部屋の中で目を伏せた。






浅い眠りを繰り返して朝を迎える。星がちらつく明け方の空を窓越しに見上げ、リシアは寝台を立った。いつもの時刻まで横になっても、まともに睡眠を取ることが出来るとは思えなかったからだ。


どこか心配気な父と執事をよそに、いつもと同じ朝食と登校を経て、リシアは学苑の中庭に差し掛かった。恐る恐る辺りを見回す。普通科の赤いジャージ姿はどこにも見えない。それどころかリシアの他に生徒がいる気配もなかった。意図して時計を見ないようにしていたのだが、かなり早く学苑に着いてしまったらしい。


掲示板の前で立ち止まり、思案する。


彼女に会ったとして、どんな言葉を交わせば良いのだろう。何事も無かったように、浮蓮亭へ行く約束を取り付けるのか。


そのやり取りを昨晩から何度も想像しているのに、一向に名案は出てこない。


どうしたら……。


「リシア?」


涼やかな声で名前を呼ばれ、立ち竦んでいたリシアは反射的に振り向く。


楽譜を抱えた顔見知りの姿を捉え、幼馴染でも赤いジャージの女生徒でもない事に僅かに安堵する。


「リュー……おはよう」

「おはようリシア」


今節の歌姫は微笑を浮かべる。口元を歪めた笑みを見て、リシアは少し寒気を覚える。どことなく、かつての親友に似た笑みだったからだ。


「早いのね。迷宮科の早朝訓練とか?」

「あ……いいえ、今日は何となく早く起きちゃって、それだけ」

「そう」


ちらりとリューの佇まいを見る。楽譜以外の荷物は教室に置いてきたのか、随分と軽装に見える。


恐らく自主練習をする為に、朝早くやってきたのだろう。建国節まであまり時間は無い。

リシアもまた、去年のこの時期は朝から晩まで歌の練習をしていた。その時は、こうやって剣を携えて迷宮について学ぶ日々を送るなんて、考えたことも無かった。


歌以外の事で悩むことも、あの頃のリシアには無かった。


「リューは練習?」

「ええ。この時間帯に歌うと、とても心地良いの。世界が舞台になったみたいで」


壮大な喩えだが、気持ちはわかる。早朝、それも野外で歌うと爽快感が伴って気分が高揚するのは、リシアも経験がある。


「そうだ」


思いついたようにリューはリシアの手を取った。突然の事にリシアは固まってしまう。


「あの、歌を聴いて欲しいの。貴女は経験者だし……感想を聞かせてほしいわ」


そう言って、リューは小首を傾げた。その仕草と目に宿る光が不釣り合いで、リシアは違和感を覚えた。


「私で良ければ」


返事をすると、歌姫は満面の笑みを浮かべた。三歩ほど間合いを取り、居住まいを正す。リシアは近くの長椅子に腰掛けて、歌姫の顔を見上げた。


簡単な発声練習の後に、リューは歌った。彼女の澄んだ歌声と相性の良い讃美歌に耳を傾け、目を伏せる。


リューの讃美歌を聴くのは初めてではない。以前何かの会合で同席した折に独唱を耳にしたことがある。


あの時と比べると、今の彼女の歌は……。


最後の旋律が溶けていく。小さく息をついて、歌姫はリシアの目を見据えた。


「どうかしら」


歌姫の問いに、リシアは逡巡することもなく感想を告げる。


「声が、内にこもっている」


リシアの言葉に、リューの眉が微かに動く。


「もっと遠くの観客の事を想像して歌った方がいい。前より声量も落ちてるから、練習は旋律よりそっちを優先してみて。音程や高音域はすごく良い。讃美歌にも貴女の声質にもあっている、と……」


熱がこもった言葉を聞く内に、リューの表情が無くなっていく。それに気付いて、段々とリシアの声も小さくなっていく。


不愉快だ。


リューの目はそう告げていた。


「……ありがとう」


歌姫は冷たく言い放った。


「声がこもっている、ね。独りよがりだって、言いたいの?」


その言葉にリシアは呆気に取られる。いや、言葉の内容よりもその語気に驚いたのだ。以前のリューからはかけ離れた口調、表情。その姿に既視感を覚えてリシアは後ずさる。


「確かにリシアのような、万人から賞賛される歌声ではない。でも私の、今の私の歌声を、褒めてくれる人もいるの。独りよがりなんかじゃない」


言い聞かせるような、独白じみた言葉だった。二人の間に異様な隔たりを感じて、リシアは頭の傷を押さえる。


「リュー、その。気分を悪くしたのならごめんね……それじゃ、練習頑張って」


そう告げるが、リューは目もくれない。腹立たしいとも思わず、ただただ不気味に思えてリシアはその場を立ち去る。


言い過ぎたとは思わない。至極真っ当な感想と意見だったと思う。確かにその感想をどう受け止めるかは相手次第なのだが、それにしてもあの反応は異常だ。


記憶の中のリューは真面目で、素直な少女だった。指摘に取り乱す様な姿は見たことがない。


それがなぜ……。


リシアは頭を振る。自身がそうだった様に、リューも歌に譲れない部分があるのだ。そう思えば納得が行く。


登校する生徒が疎らに目立ち始めた構内を歩く。アキラではない赤いジャージの生徒を見かけて、リューの事で忘れかけていた目前の問題を思い出し、リシアは再び暗澹とした気持ちに陥った。


まずは、報告だ。


ウィンドミルの柄を握り、少女は迷宮科棟へと向かった。

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