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離散

しまった、と思った時には既に手遅れだった。


思わず掴んだ探し人の手には、空気に触れて少しくすんだクズリの血が纏わり付いている。変な声をあげて振り向いたリシアはアキラの顔と自身の左手を汚した血糊を見比べて、地にへたり込んだ。


「アキ、ラ……?」

「良かった、物音がしたからこっちかなって。怪我はない?」


リシアの手を取り、立ち上がるように促す。青ざめた顔が気になって、それとなく様子を伺う。


裾に泥汚れが少しと、猫っ毛に血が付着している。


「頭打ったの?」


ハロが指差す。確認するようにリシアはこめかみに触れようとして、既に血で汚れていた右手を見つめる。小さく声を漏らしたリシアに、アキラは懐にねじ込んでいた手巾を渡す。


「押さえ……といたほうがいいのかな」

「えっと、待って。消毒薬があるから」


小物入れを探る手が少し震えている。目当ての物が見つからないのか、皮帯を外して小物入れの中を乱雑にかき回す。


「あれ、入れたはず」

「これかな」


転がり出た瓶を手に取って見せる。頷いたリシアを見て、アキラは蓋をあける。薄荷とはまた違う、鼻に通る香りが漂った。


「気を失うなんて、打ち所が悪かったんだねー」


指先で傷口に消毒液を乗せるリシアを覗き込み、ハロは意地悪く笑う。当のリシアはと言うと薬の沁みる痛みで、ハロに構っている暇は無いようだった。


暫し、リシアは自身の傷の手当てを行う。


ホクチタケを包帯で押さえて巻きつけた後に、二人に向き直った。


「……探しに、きてくれたの?」


その言葉にアキラは大きく頷き、ハロは目を泳がせた。


「あー、僕は道案内で雇われただけ」


リシアは二人を何度も見比べる。


「雇われた?」


その後に続く言葉を遮るように、アキラはリシアに手を差し伸べた。


リシアの事だから、「余計な心配」をするだろう。今はそれを気にしないでほしい。


「暗くなる前に、家に着いた方がいい」


リシアが口籠るのを見て、更にアキラは続ける。


「お金のことなら、大丈夫」

「何が大丈夫なの」


鋭くハルピュイアは言い放つ。直後、眉をひそめて苦々しげに呟いた。


「捜索される側が負担するんだよ、普通。それとも学苑で何か、こういう時の取り決めとかあるの?」


冒険者の言葉に、女学生二人は言葉を失う。


アキラが金を払えば済むのだとばかり、思っていた。だがそれでは、ハロは納得しないのだろう。


「礼の一つも無いし」


リシアがはっとしたような顔をした。同時にアキラも薄く口を開ける。


「……そうでした。すみません」


ハロに向き直り、アキラは頭を下げる。


「ありがとうございます。貴方がついてきてくれなかったら、リシアを見つけられなかった」


普段よりも言葉に熱がこもっているのが、アキラ自身よくわかった。ハロは僅かに肩をすくめ、座り込んでいるリシアを見下ろす。


「落ち着いてからでも」


ハロが何か言い出す前にアキラは提案する。少しぐらい人心地つく時間があっても良いだろうに。


「ありがとう」


感謝の言葉が小通路に響いた。


小さな、しかし良く通る声。普段聴き慣れているはずなのに、何故だか耳に残る声音だった。


「アキラも貴方も、本当に、ありがとう」


リシアは二人を見上げ、そう告げた。目の縁に薄っすらと赤みが差したのにアキラが気付いた瞬間、少女は顔を伏せた。


沈黙の後、リシアは素早く荷物を纏める。軽く制服の裾を払って立ち上がると、深々と礼をした。


その姿を見て、アキラも改めてハロに向かって頭を下げる。


「……じゃ、戻るよ」


二人の礼を目にして、ハルピュイアは顔を背ける。


「地上に出るまでが契約でいいんだよね」


続く言葉にアキラは一瞬虚を突かれる。しかしすぐに返事をして、座り込んだままのリシアに手を差し伸べた。


「行こう。置いてかれちゃう」


迷宮科の女学生はアキラの手を見つめる。唇の縁を微かに噛み、その手をそっと取った。




帰路は来た時よりもはるかに短い道のりだった。僅かな逡巡も無くすいすいと小通路を行くハロを、リシアにも気をかけながら必死で追いかける。


六度目の岐路を通り過ぎ、三番通路の本道に繋がる割れ目に辿り着く。地上へ向かう途中物音に気付いて、アキラはハロを庇うように前に立つ。物音の正体は、小さなカゴネズミだった。


「そういえば」


走り去る小動物を横目で眺め、ハロは呟く。


「そのクズリ、貰っていい?」


アキラは頷く。そのつもりで持ってきたのだ。


「報酬の足しにしたげるよ」


ありがたい言葉だった。


三人が駅前の広場に至ったのは、宵の明星が他の星の輝きに紛れる頃だった。


クズリを肩に無造作に引っ掛け、ハルピュイアは手を差し出す。


「多分、今報酬寄越せって言っても何も出せないでしょ。文書にしといて」


文書、と言われて思わずリシアの方を向く。当のリシアは合点がいったように頷いて、腰の小物入れを探る。


「あ、そっか野帳」

「持ってるよ」


再び狼狽し始めたリシアに、先程アルフォスから取った野帳を渡す。


「ありがとう」


野帳を受け取り中身を確認して、リシアは安堵のため息を吐いた。背表紙に差していた硬筆を取り、最後の頁に何らかの文をしたためる。署名をした後、その頁を破り取ってハロに差し出した。


「これを持ってて……明日には支払えるようにするから、ここに金額を」

「金額なんだけど、これの値段も差し引くから明日改めて伝えてもいい?」


肩にかかったクズリの尻尾をひらひらと揺らす。ハロの様子を慎重そうにリシアは見つめ、頷いた。


「わかった」

「それじゃ、また明日ね」


紙片を受け取り、ハロは雑踏の中へ消えていく。その後ろ姿を二人は見送る。


「……明日、また改めて礼を言わなきゃね」


リシアが呟く。


土で汚れた横頰を見つめ、アキラは努めて優しく声をかけた。


「家まで送るよ。お家の人も心配してると思うし」


「大丈夫。迷宮科なんだから、爺やも怪我の一つや二つぐらい気にしない。それに迷宮に置いてかれたなんて知られたら、そっちの方が後が怖い」


それきり、会話が途切れる。往来の増えつつあるエラキスの街を、二人は並び立って行く。


「リシア」


続いて口を開いたのはアキラだった。


「これからも迷宮に行くの?アルフォスは論外だけど、その……同行する人は必要だよね」


気になったのだ。


アルフォス以外に班員はいるのだろうか。


もしいないのなら、これまでと同じように自分を迷宮探索に連れて行くのだろうか。


そんな事を聞きたくて、リシアを見つめる。


リシアの瞳には、明らかな動揺の色が滲んでいた。


「もしかしてアルフォスの事、知ってたの」

「うん。新しく加入した班員だって」

「それじゃあ、班員募集のことも?」


一瞬首を傾げ、すぐに思い当たる。


先日シラーとの会話で直感した事は、思い違いではなかったようだ。


「……一人では迷宮に潜れない、そうだよね」


恐らくそれが、迷宮科の校則にあたるのだろう。その為にリシアは迷宮に興味を示していたアキラを誘ったのだ。


「でも、」

「ごめんなさい」


震える声が、街灯の点る大通りに響いた。


俯いたままのリシアはわななく手で剣の柄を握りしめる。


「ごめんなさい」


次第にかすれて行く声で謝罪をする。その謝罪の意図が理解出来ずに、アキラは狼狽え、友人を宥めようとする。


歩み寄る。


アキラの動きに反発するように後退り、リシアは……駆け出した。


呼び止めようとして少女の肩に手を伸ばす。だが名前を呼ぶ前に、リシアの青ざめた顔を見て、思わずアキラは口籠る。


街灯の向こうに広がる闇に、リシアの姿は消えて行く。


残されたアキラの頭の中で、去り際の言葉が反響した。


ごめんなさい。


そんな言葉を聞きたかったわけではないのに。

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