発見
布地の鈍器が風を切る。鈍器は牙を剥いた獣の頭部にめり込み、いとも簡単に獣を地に斃した。
「クズリじゃん」
クズリの痙攣が止まったのを見計らって、ハロは駆け寄る。前脚を掴んで持ち上げると、力無く獣はぶら下がった。
「小さいけど、まあ赤五枚くらいにはなるかな」
加工されていないクズリは初見だ。ハロが無造作に掴み上げているそれをしげしげと眺めようとして、目的を思い出す。
「急ぎましょう」
「はいはい」
手慣れた様子で皮を剥ごうとするハロからクズリを攫う。まだ生暖かい獣を抱えたまま、先導者が立ち上がるのを促す。
「私が持っておきますから、先導を」
「つっても、何処にいるのかもわかんないのに」
もっともなことを言いながら、ハロは立ち上がる。
碌に情報も無い以上、曲がりくねった小通路をリシアの活動の痕跡を探しながら地道に探索するしか方法はない。
ならば殊更迅速に行動する必要がある。付いてきてくれたハロには申し訳ないが、クズリの毛皮にかまけている暇は無いのだ。
素直にクズリをアキラに任せる事にしたのか、ハロは片手を壁に当て、先へ進む。
何度目かの三叉に別れた小道が現れた。ハロは特に動じることもなく、右端の道へ向かう。
「今ので六つ目の分岐ですね」
確認のため、アキラは告げる。それに対する先導者の返事は「ふーん」という気の抜けたものだった。
「まあ、何だっていいよ」
「地図を覚えているんですか?とても、その、迷わずに進むから」
「一応地図も覚えてるけど、わかるんだよ。方角が。帰る方向がわかればさくさく動けるようになるよ」
僅かな間目を丸くしたアキラに畳み掛けるように、今度はハロが問う。
「ドレイクはそういうの無いの?何となく北がわかるとか」
少なくとも、アキラには無い経験だった。首を横に振ると、先程と同じように気の抜けた返事をハルピュイアは返す。
「ふーん、じゃあドレイクはそういう勘はあまり働かないのかなあ」
「他のヒト……ケインさんやライサンダーさんはどうなんでしょう」
「ケインは何となくわかるかもって言ってたけど、来た時の匂いや痕跡を辿った方が確実って言ってた。ライサンダーは、どうだろ。フェアリーは感じ方が違うみたいだし」
ハロの興味深い言葉をアキラは真剣に聞く。身体の中に方位磁針があるようなものなのだろう。少なくともハルピュイアとセリアンスロープは、そういった感覚が鋭敏なようだ。「感じ方が違う」と言われたフェアリーの方は、何を以てどのような世界を感じているのだろうか。
好奇心で脳が渦巻く。
想像に耽るアキラに気付いたのか、ハロは眉をひそめた。
「ちょっと、そんな目しないでよ」
「え」
「ただでさえ無表情なのにそんな目してたら、余計怖いよ」
ハロの言葉を耳にして、そっと目尻や眉間に触れる。平時と変わらないようだが、どんな目をしているのだろうか。
「違う違う、そうじゃなくて……」
苛立ったようにハロが手を振る。
どこからか、声が聞こえた。
ハロの顔から表情が消え、素早く目だけを動かして周囲を確認する。岩肌から滲み出るようなか細い声は四方八方から聞こえてくる。
距離がつかめない。
「何これ」
低い声でハロが呟く。
「歌?」
どことなく旋律を奏でるような声。しかしアキラの耳では、不気味な囁きにしか聞き取れない。クズリを地に落とし、耳をすませる。
囁きの合間に、微かに聞き覚えのある声が挟まった。同年代の少女の声に似たそれは、今響いている囁きとは違う、確かな意味を持った言葉だった。
その瞬間、体が動いた。
「こっちから聞こえた」
ハロの隣をすり抜け、通路を注意深く進む。困惑した様子で追いかけてくるハルピュイアも、木霊のように残った声に気づいたのか、足を早めた。
「ちょっと、守るって約束、忘れてない」
背中を追うハロの声を気にしつつ、前方が二又に別れている事に気付いてはたと立ち止まる。
どちらに進めばいい。
あと少しで、リシアが見つかりそうなのに。
先程の助けを呼ぶような声が再び聞こえてこないか、神経を研ぎ澄ます。
囁きが消えている。
その事に気付いて、思わず周囲を見渡す。先程の声と違い、僅かな残響すら無い。
無音の小通路の分岐で、アキラは立ち尽くす。
ふと、足元を見下ろす。背後へ伸びる影が僅かに揺らぎ、進む先に「動く光源」がある事を示した。
分岐の先を見据える。
右側の緩やかに曲がった通路の岩壁に、仄かな灯りと影が落ちている。
リシアだ。
そう直感して、アキラは影へと向かう。
誰か。
寂しげな呟きが、すぐそこから聞こえてきた。その声音が今にも暗闇に溶けて無くなってしまいそうで、アキラの胸が痛んだ。その痛みに背中を押されるように、光源へと至る。
淡い灯火に照らされて佇む、女生徒がいた。
その見慣れた後ろ姿にアキラは手を伸ばした。




