一時の同行
窓口で新聞を読んでいる事務員を気にしつつ、アキラは階段を下る。無論、向こうがアキラの素性を知っているわけがない。
本職に任せた方が良かったか。今からでも窓口に行けば、誰かが対応してくれるだろう。
いや。
肩越しに、のろのろと付いてくる夜干舎のハルピュイアを見つめる。本職ならここにもいる。
「念の為、もっかい言うけどさ」
ハロが口を開いた。駅の外にいた時より、幾分か真面目そうな顔をしている。
「お金取るからね」
その言葉に、もう一度アキラは頷く。
正直なところ、それを聞いて安心したのだ。
キノコ狩りの依頼を受けて、一度浮蓮亭に戻ってきた時のハロの発言や表情を思い出す。彼は仕事に関しては真摯だ。金を取ると言ったからには、責任を持ってくれるはずだ。
無論、アキラも責任を持たなければならない。手負いのハロに道案内の仕事を安全にこなさせる。それがアキラの仕事だ。
「第三通路は行ったことある?」
ハロが問う。その質問にアキラは少し考え、答える。
「一週間くらい前に」
「割と最近……ちょっと、なんか心配になってきたんだけど」
アキラの姿を眺めて、ハルピュイアは意地悪く下唇を動かす。
「丸腰だし」
言われてアキラもハッとする。確かに今日は何の道具も持ってきていない。思わず立ち止まると、ハロはさらに不満そうな顔になった。
何か手持ちのもので、武器になりそうなもの。
ジャージの懐を探り、足元を見下ろす。
あった。
「何してんの」
右足の靴を脱ぎ始めたアキラを、ハロは怪訝な顔で見つめる。
ずるりと靴下を引き抜き、素足のまま靴を履き直す。しゃがみ込んで学苑章の刺繍が入った靴下に小石を詰めると、アキラの思惑を解したハルピュイアが少し身を引いた。
「なんつーか、物騒な事知ってるんだね」
呆れたような声音で呟く。
「で、それに僕の命を預けろって言うの」
「穴は開いてないから大丈夫です。使えます」
ハルピュイアが小言を言い始める気配を感じて、先を急ぐように促す。
「えっと、急ぎましょう」
足早になったアキラを見て、ハロも諦めたように黙る。軽やかにアキラの前に駆け出て、薄暗い通路を先導し始めた。
いつぞや、リシアとホラハッカを摘んだ小通路を通り過ぎる。件の「六番の割れ目」はより深場に所在しているらしい。
「三番通路は調べ尽くされたつまんないところだけど」
不意にハロが口を開いた。
「踏破後の方が、怪我人や死人は多いんだってさ」
「そうなんだ」
素直に頷いて、この状況でそんな事を言い出したハロの思惑を少し考えた。
「油断、ですか」
「ん」
ハロは面白くなさそうに返事をする。
「まあ油断もそうなんだけどぉ……普通、人の手が入った通路に動物は寄り付かないんだよね。音に敏感な蟲なんかは特に」
「でも第三通路は、踏破済みなんですよね?灯りもつけられてるし、人の手は」
そう言って、ふと周りを見渡す。
壁面に等間隔に取り付けられた陰火灯は、錆び朽ちていた。
「ここに来る冒険者はあまりいないんだよ。地上口を使った近道目的でもない限り。だから蟲やら何やらの巣になって、時々襲われることがあるの」
管理も殆どされてないんじゃない?
そう言って、進む先に転がっていた陰火灯の火屋らしき硝子片をハロは踏み割った。
丈夫な脚だ、とアキラは密かに感心する。
「いざという時の捜索も遅いんだよね。人の行き来が少ないし、そんなところをうろつく冒険者に羽振りがいいやつなんていないだろうし……まあ学生は狙い目か」
ハロの言葉を聞いて、アキラは拳を固く握る。あの男子生徒はその事を知っていてリシアを捨て置いたのかもしれないと、先程地上でハロが言っていた事を思い出したのだ。
今頃リシアは暗い通路で、一人で。
底冷えがするような想像をして、アキラは思わずジャージの袖を下ろす。
「それに回収屋は当たり外れあるし。あ、バサルトはまともだよ、一応」
「はずれ?」
「聞いたことないの、噂とか。根も葉もない嘘ってわけでもないよ」
アキラは少し考えて、
「ぼったくり、とか」
「あー……まあ学苑の生徒の皆様って潔癖そうだしね。そういうの耳に入らないのかな」
ハロの濁った返答が意味するところを考える。
沈黙するアキラに気付いたハロは立ち止まり、向き直って手を打ち合わせた。
「もー、そんな深く考えるようなことでもないってば。それより、ここからは気をつけてよ」
ひゅう、とどこからか冷たい空気が吹き付けて来た。
アキラはハロの背後に口を開けた割れ目に目を向ける。
申し訳程度にか細く火が灯っている陰火灯に照らされているのは、三又に別れた小通路だった。
「ついてきて」
いつもと同じ涼やかな、だが緊張感が漂った声音だった。
ハルピュイアが一歩、足を踏み出す。
無音。
浮蓮亭で聞き慣れた蹴爪の擦れる音は一切無く、彼は右端の小通路へ向かう。
「ちょっと、しっかりしてよ。僕のこと守るんでしょ」
ハロの言葉にアキラは我に帰る。即席の武器を握りしめ、頷く。
踏み出した足下で、砂利が僅かな音をたてた。




