取引
「もう一回言ってほしい」
男子生徒の襟を掴み、いつもと同じ無表情のままドレイクの少女は小さく囁く。
「リシアの居場所はどこ」
声にも表情にも、怒りは見られない。その事に気付いて、ハロは冷たいものが伝った背を丸めた。
怯えたようにもがきながら男子生徒は端が切れた唇をわななかせる。
「第三、通路の……六番の割れ目で別れて、」
「さっきと言っている事、違うけど」
襟首を掴んでいた手が、男子生徒の顔を覆う。細い指が頰に食い込み、みしりと音を立てた。
「嘘は時間の無駄だから、やめてほしい」
筋が浮いた女学生の手首を見て、ハロは溜息をつく。面倒臭そうに口を開き、
「それ以上やると顎が砕けるよ」
その言葉で我に返ったように、アキラは力を緩める。その瞬間、男子生徒はアキラの腕を振り払い、駆け出した。
「待てっ」
アキラが男子生徒を捕らえようと左手を伸ばす。しかしそれよりも幾らか素早く、ハロがちょいと右脚を出した。情けない声を上げて、男子生徒は派手に転んだ。転んだ拍子に小物入れの口が開き、中身が滑り出す。
野帳が二冊、地に落ちた。
すかさずアキラが男子生徒の後ろ襟を掴み、上体を引き上げる。男子生徒がえづく様に咳き込んだ。
あれじゃ首が締まる。
ハロはアキラの手の甲を軽く叩き、男子生徒から離した。
「口を割らせる前に殺す気?」
心外そうにアキラは目を丸くする。単に加減がわからなかっただけのようだ。恐ろしい。
「嘘じゃ、ない」
喉笛を鳴らしながら、足下の男子生徒が呻く。
「ほんとだ。第三通路の、六番裂で別れて」
「ついでに野帳も持ってきたの?」
ハロは二冊の野帳を読み比べる。片方は地図も注意書きも丁寧に記入されているが、もう一方は乱雑だ。同じ人物が書いたものには思えない。
野帳を奪うという行為が何を指すのか。隣で突っ立っている女学生にも察しがついたようで、努めて冷静に男子生徒に聞く。
「六番の小通路というのは、一人で地図無しでも歩ける場所なんですか?」
入り組んだ小通路で明かりもろくに灯されていない、第三通路の難所だ。
黙る男子生徒の代わりに答えてやろうかと考えて、やめた。火に油を注ぐ事になるだろう。
「リシアに何かしたんですか」
続くアキラの言葉に、男子生徒の呻き声が啜り泣きに変わる。
「ちょっと、脅そうと思っただけで」
「おど……」
「軽く押しただけだったのに」
その言葉を最後に、沈黙が続く。
その沈黙を破ったのは、たまらず吹き出したハロの笑い声だった。
「それで怖くて逃げ出して、ついでに野帳も奪ったってわけ。野帳が残ってると身元がバレるから?それとも、息を吹き返しても小通路から出られないように?」
咄嗟の行動にしては凶悪だ。
可愛らしく笑うハロの側で、アキラの目が僅かに見開かれる。
今度こそ、殺気が漂った。
何を考えているかわからないドレイクの生々しい感情の揺れを感じて、ハロは少し安堵する。
殴る?蹴る?
何にせよ、この男は無事では済まないだろう。
事の顛末を見物する為に、ハロは二人から離れる。アキラは唇を真一文字に結び、足下の男子生徒を見下ろしている。
「さっきの事、なんですが」
ふいとアキラは男子生徒から目をそらす。
まるで興味を失ったかのような表情と声音で、ハロを見つめる。
「リシアを探しに、助けに行きたいんです。だから、」
そこまで告げて、途端にアキラは黙り込む。
「……いえ、すみません」
視線の先にはハロの負傷した腕があった。
頭を下げ、女学生はハロに左手を差し出す。
「その手帳を見たら、第三通路は歩けますか」
「さあ、どーだろ」
明らかに作図途中の第三通路らしき地図を眺める。
「そいつ連れて行けば?」
男子生徒を指差す。女学生は眉をひそめ、
「この人と?」
……言わんとする事はわかる。一緒に行動していた少女を迷宮の奥に捨て置くような人間だ。まともな感性をしていたら、まず連れ立ちたくはない。
回収屋を頼むにしても、第三通路は彼等が出張るようなところではない。踏破済みの通路は回収の相場が安いから、請け負いたがらないのだ。
ますます持って、アキラの単独行以外に道は無くなっていく。
取り敢えずと前置きをして、ハロはアキラに野帳を渡す。アキラは友人の名が刻まれた表紙を見つめ……聳え立つ「駅」へと歩み始めた。
「ちょっと」
思わずハロは呼び止める。その後で、小さく舌打ちをした。助言をするような人間ではない事は、自分がよくわかっているのに。
「一人で迷宮行くにしてもさ、準備ぐらいしたら。高い金出して地図を買うって方法もあるし、回収を請け負ってくれる優しい冒険者もいるかもしれないし……冷静になりなよ」
「迷宮の中で一人なんて、何が起きるかもわからないのに」
焦りが滲んだ声だった。少女は両手を固く組む。
「それにリシアは多分……すぐに私を追いかけたと思う」
前後関係がめちゃくちゃな言葉に、ハロは怪訝な顔をする。アキラはハロから顔を背け、再び駅に向かって歩き出した。
「道案内ぐらいなら、してもいいよ」
今度こそ、「しまった」と思った。女学生が振り向く。いつもよりも丸く見開かれた目を見て、ハロは頭を抱えそうになる。何だってあんな事を口走ってしまったのか。
「でもお、僕こんな体だし。やるのは道案内だけだよ?何なら道中は君が守ってくれないかな。あ、もちろんお金も取るからね」
取り繕うように畳み掛ける。
一息に述べた後目を泳がせはじめたハロを見つめ、たっぷり一拍置いてアキラは見事な角度で礼をした。
「お金は払う。身も守る。だから、道案内よろしくお願いします」
取引成立というわけだ。
こうなるとハロも後には引けない。
観念したように、ハロは入洞口へ向かう女学生の背中を追いかけた。




