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「怪物」の噂が流れても、異国通りの賑わいは変わらない。
むしろ、以前よりも混み合っているような感じさえする。
埃っぽい匂いを纏った一団とすれ違い、アキラはふと立ち止まる。
何故だか、此処に居るのが場違いな気がした。
いや、場違いなのは事実だ。ただこれまではリシアと一緒に居たから、気に止めることが無かっただけだ。
リシアと共に迷宮に潜ったことで、自分を冒険者か何かのように錯覚していたのだろう。
そしてリシアが居ない今、アキラは普通科の一学生に過ぎない。
ぐう、と派手に腹が鳴った。その音が、アキラの暗澹とした思考を一瞬紛らわせる。こんな時でも腹は減る。自分の事ながら呆れてしまう。
昨日までなら、その足で浮蓮亭に向かっただろう。しかし今日は躊躇ってしまう。今のアキラが立ち寄っても良い場所なのだろうか。
暫し悩んで、アキラは浮蓮亭の在る路地に向かう。
程なく辿り着いた薄暗い路地を覗き込む。浮蓮亭の重厚な扉の前で、数人のドレイクの子供が飛び跳ねていた。
「今日、底なし沼じゃないね」
「ね」
煉瓦の上で足踏みをしたり、せわしなく動き回る子供達。その一団の一人が、アキラに気付き、手を大きく振った。
「キノコの、おっきいおねーちゃん」
そう言って、走り寄ってくる。
以前キノコの納品に訪れた家の娘だ。小さく手を振り返して、アキラは話しかける。
「こんにちは」
「こんにちわあ」
「今日は、ケインさんはいないの?」
「うん」
「耳のおねーちゃんいない」
「鳥の人もどっか行っちゃった」
集まって来た子供達が口々に喋る。どうやら、ケインもハロも浮蓮亭にいないようだ。
「耳のおねーちゃんがね、レンガは底なし沼だから、耳のおねーちゃんがいない時は来ちゃダメって」
「でも今日、ぜんぜん底なし沼じゃない」
なんともつまらなさそうに、子供達は呟いた。
ふと、アキラの耳にどこか遠くの罵声が届いた。異国通りは他の地区に比べると事件や事故が多い。それは冒険者が集う地区というのも少なからず影響しているのだろう。誰か保護者が居なければ、子供達が遊ぶのに適した場所とは言い難い。
だからケインは、「自分がいない時は来てはいけない」と子供達に告げているのだろう。
「……そろそろ、日が暮れる。暗くなる前にお家に帰ったほうがいいよ」
「まだ遊ぶ」
「でも、おかーさんが怪物が出るから夕方には帰ってきてって」
少女がそう言うと、子供達はお互いに顔を合わせる。一人が「帰る」と告げて走り出し、他の子供達が後をついて行く。
残ったのは、ハチノスタケの女の子だけだった。
「帰らないの?」
アキラが問いかけると、少女は臆面もなく頷く。
「だって怪物、怖くないもん」
「ほんと?」
「うん」
内緒話をするように、少女は背伸びをして、忍び声を漏らす。
「こないだ、怪物にあったの」
その言葉にアキラはほんの少し目を見開き、少女の話に耳をすませる。
「川のとこ。橋の下にいたの。ひみつのめいきゅう」
「秘密の迷宮?」
「橋の下にね、迷宮があるの。みんな入った事ないって。怖いから」
「ふんふん」
「そこにね、いたんだよ。おっきいの」
「大きいんだ。でも、怖くなかったの?」
「うん。怖くないよ。喋ったもん」
もじもじと前掛けを揉み合わせる。
「小さなお嬢さん、って」
ふふっと少女は照れ笑いをして、前掛けを捲り上げて顔を隠した。
橋の下の迷宮。喋る怪物。
子供の言う事だ。どこまでが真実かはわからないが……一笑に付す事は出来ない。
「どこの橋かな。秘密の迷宮って」
「えー?秘密にしてくれる?」
「うん」
「……麦星どーりの、円橋」
「秘密」を告げて、彼女は口元に人差し指を立てた。
「しーだよ」
「秘密ね」
アキラが頷くと、少女は安心したようににっこりと笑った。手を振り、大通りに向かって外鰓をそよがせながら走り出す。
「みんな帰っちゃったから、またね」
「気をつけて」
アキラは少女が路地の角を曲がって大通りに出て行くのを見届ける。大通りなら、人目がある分危険は少ないだろう。
彼女の言葉を何度も思い返す。麦星通りの円橋というと、水路の役所に程近い場所に掛かる小さな橋だ。少しやんちゃな子供達が橋の下を遊び場にする事はよくある。アキラも小さい頃は近所の同年代と一緒に、橋下で菓子やおもちゃを持ち寄って遊んだものだ。だがその時の記憶に、「秘密の迷宮」なるものはない。覚えてるのはどぶの臭いに、糸で釣った川海老、入りたくてしょうがなかった鉄格子越しの……
暗渠があった。
エラキスには、街中を流れるレス河の他に無数の支流が暗渠として地下を通っている。その支流の入り口は大抵橋で隠され、鉄格子で塞がれている。
「怪物」は暗渠の一つに入り込んで、そこを住処にしているのだろう。
アキラは沸き立つ。
早速リシアに報告しよう。
そう考えて、我に帰る。こんな事を彼女に伝えても、今となっては迷惑なだけだろう。
それに橋の下の迷宮は、あの少女の大切な「秘密」なのだ。
思い直して、花弁を象った看板を見上げる。先程の少女は何も言わなかったが、もしかしたら中にリシアがいるかもしれない。その時は、どんな顔をして、どんな言葉をかけたら良いのだろうか。
浮蓮亭の把手に手をかける。一拍置いて、静かに扉を開けた。




