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待ち合わせ

放課後、リシアは再び中庭を訪れた。校門に向かう流れや校庭に向かう一団に赤いジャージ姿は見えない。向こうは終業が少し遅れているようだ。


昼間と同じ、掲示板が見えるベンチに腰掛ける。掲示板には手負いの男子生徒が貼った班員募集要項と迷宮科各班の成績順位表、今月の学校行事表が掲示されている。


リシアは迷宮科の順位を下から目で追う。上位十班が記される表に、当然のことながらリシアが所属する第四十二班は無かった。


いつかは此処に、記されることもあるのだろうか。


入学当初は現実味があった夢想をリシアは思い返す。


ふと、リシアと掲示板の間に影が入る。見覚えのある広い背中と整えられた短い金髪を見て、緊張が走る。


「…あ!すまない。遮ってしまって」


背後のベンチに腰掛けるリシアの視線を感じたのか、掲示を眺めていた長身の男子生徒が振り返る。


多くの人が集まるエラキスでもあまり見かけない端正な顔立ちに、くすみのない金髪と碧眼…その眼に見つめられ、リシアは顔が上気するのを感じた。


「い、いえ!大丈夫です!」


男子生徒の襟元に光る二年生の襟章に気がつき、リシアは今日二度目の正式な礼をする。


「ご機嫌麗しゅうございます、シラー様」

「シラー様じゃなくて、先輩って呼んでほしいね」


朗らかに男子生徒…シラーは笑う。


「迷宮科の一年生なら尚更ね。君の名前は…」

「リシアです。リシア・スフェーン」

「リシアか。班は?」

「四十二班です」


恥ずかしげにリシアは答える。掲示板の成績表に載るどころか、班員一名の活動出来るかも怪しい弱小班である事は、流石にシラーも知り得てないはずだ。


迷宮科の首席班である学苑六班の班長である彼にとっては、存在自体が信じられないに違いない。


「他の班員と待ち合わせ?」

「は、はい。これを売りに行こうと思って…新しい課題なんです」


油紙の包みを見せる。シラーは目を丸くして、「大物だね」と呟いた。


「蟲でも狩ったのかな」

「ツチコロギスの翅です。それと、ハッカ」

「蟲の素材なら、銀沙亭が高く買い取ってくれるよ。ほら、大通りに面した…」

「ああ、あそこ」


行ったことはないが、話を合わせておく。


「僕らも懇意にしてもらってる。植物は薬局が経営している菫青茶房で売るといい」

「色んな集会所を回るんですね」

「班の活動費のためにも、少しでも高く買い取ってもらいたいからね。情報も多く集められるし。大通りの大体の店とは顔見知りだよ」


シラーの言葉にリシアは驚き尊敬の念を覚え…少しまずい事に気が付いた。


六班が様々な酒場に顔を出しているということは、大通りの酒場を拠点にするといつかはマイカと鉢会う確率が高くなる。それに、あまりアキラと一緒に行動しているところを学苑生徒に目撃されたくはない。


思わず表情が強張るリシアを見て、シラーは苦笑した。


「と言っても、普通に課題をこなしていたら、色んな酒場の店主とは自然に縁を結べるからさ。あまり気負わなくてもいいと思うよ」

「え、ええ…」


リシアの不安の要因など知る由も無いシラーは、少しずれた励ましの言葉をかける。その優しげな声音と柔和な笑みを見て、リシアは緊張が微かにほぐれたのを感じた。


「それじゃあ、課題がんばってね」


ひらりと軽く右手を振ってシラーは迷宮科棟に向かって去って行く。彼の表情、一挙一動から目が離せず、リシアは何時までも後ろ姿を見送る。






「…リシア」

「うわっ!」


不意に背後から声をかけられ、リシアは現実に引き戻される。振り向くと、学苑指定の革鞄を背嚢のように背負った待ち人が、少しバツの悪そうな顔をして立っていた。


「いつ来たの」

「だいぶ前…だけど、なんか声をかけにくくて」


シラーと会話した時とは別の感情がリシアの頬を染める。


「別に、変に気を使わなくてもいいよ」

「あの人も迷宮科?…剣を履いていた」

「シラー様は迷宮科の二年生」


掲示板の順位表を指差す。


「第六班の班長で、剣の使い手なの」

「へえ」


アキラはしげしげと成績表を見つめる。リシアは読み方を説明しようとして、先にアキラが口を開く。


「この数字で順位を決めてるのかな。ダントツ一位なんだ」

「うん。集めた素材やこなした課題毎に点数があって、それの合計点で班の成績をつけるの」

「…じゃあこっちの数字は?」

「そっちは合計点を班員で割った一人当たりの平均点」

「という事は、この班二十名くらいいるんだ」


アキラは難しげな顔をした。


「班員が多い程成績が良くなるってこと?逆に少なければ悪くなる」

「そうなる、ね…いやでも!六班は一人当たりの点数も高いでしょ」


総合得点よりは次点との差が小さいものの、それでも一位の平均点を指差す。アキラはあまり納得がいっていない表情をしていたが、それ以上に気になることが出来たようでリシアに訊ねた。


「そういえばリシアの班は、他に誰かいるの」

「うえっ?」

「一人だけ?」

「…うん」


かつての友については口を閉ざすことにした。アキラに話しても意味は無い。


「じゃあリシアが頑張れば、純粋にリシアの得点になるんだね」


その言葉を聞いて、リシアは申し訳ない気分になる。アキラと共に迷宮に潜って得た物は、リシアの得点にはなってもアキラの利益にはならない。


彼女は迷宮に潜ることが出来て嬉しいだろうが、果たして利害は一致していても釣り合っているのだろうか。


「…そろそろ行きましょ」

リシアは校門に向かう。その後をどこか困り顔のアキラが追いかけた。






掲示板の前で何やら話し込んでいた二人の女子生徒は、連れ立って校門の方へと去って行く。親友と言うには遠く、ただの同級生と言うには近い不思議な距離間の二人の背中を、シラーは校舎の窓から眺めていた。


「班長、採集組が地図を返しに…班長?」


シラーの広い肩を、大柄な女子生徒が軽く叩いた。破裂音にも似た音がシラーの意識を迷宮科の校舎内へと戻す。


「…すまない、ぼうっとしていて」

「外に可愛い子でもいたのか」

「鋭いね」


女子生徒と軽口を叩き合い、彼女の背後で待っていた男子生徒と向き合う。


「お疲れ様」

「これ、第四通路の地図です。お返しします」


男子生徒は丁寧に描き込まれた地図をシラーに恭しく渡す。シラーはそれを受け取り、ゆっくりと開いた。傷や滲みは見当たらない。綺麗に使ってくれたようだ。


シラーの様子を男子生徒はもじもじと見つめ、やがて意を決したように口を開いた。


「あの、シラー先輩」

「なんだい」

「オレ、いつまで採集組なんですか?他の班の一年生は遠征課題に入ってる奴もいるのに」

「一年生のうちは地道に努力を重ねるべきだよ。簡単な採集の依頼をこなしたり、迷宮の生態系や地質を文献で調べたり…遠征課題は二年生からでも遅くは無い」

「でも、マイカちゃんなんかは探索に連れてってもらえてるじゃないですか」

「おいおい、あの一年生と自分が同列だと思ってんのかあ?」


ハッ、と女子生徒は嘲笑する。シラーと同程度の身長の女子生徒に見下ろされ、男子生徒は怯えたように後ずさる。


「ちょっと剣が使える程度の人間は、化け物狩って迷宮を開拓する探索組じゃあお呼びじゃないんだよ。お前には採集組の護衛ぐらいが丁度いい」

「な…!」


男子生徒の顔に朱が差す。


「確かにオレには医術や地理の心得は無いけどよ!女に遅れを取る程ヤワな腕じゃねえ!」

「はは、結構威勢がいいじゃないか」


女子生徒の舌が肉厚な唇を舐めた。肉食獣染みたその仕草、視線に、男子生徒は再び怖気付く。


「どうだ、ん?アタシの膝をつかせたら、探索組に入れてやるってのは」

「こら副班長。勝手な事は止めてくれ」

「班長、あんたじゃなくて此奴に聞いてるんだ」


獰猛な視線が男子生徒を捉える。


「で、どうするよ。その腰に下げてるやつを使っても構わないぜ」


男子生徒は明らかな動揺を顔に浮かべ、しかし腰に履いた剣の柄に手を掛けた。すらりと刃が引き抜かれる。


瞬時に、女子生徒は男子生徒との間合いを詰め彼の剣を持つ手を捕らえた。その手を掴んだまま男子生徒の背後に回り込み、蛇が這うように喉元に腕を回す。


同年代の女子の倍は太さがありそうな腕が、力を込めたことで更に膨れ上がる。興奮で紅潮していた男子生徒の顔が次第に青ざめていく。腕から逃れようと剣を手放しもがいていたが、次第に力無く腕を垂らす。


「…おっと」


不意に女子生徒は拘束を緩めた。男子生徒は崩れ落ち、涎を零しながら体全体で呼吸をする。


「悪いね。でもこれで身の程がわかっただろ?な?」


労うように女子生徒は男子生徒の肩をごく軽く叩く。男子生徒はしばらく床に這い蹲り涎や鼻水を垂れ流した後、よろめきながら立ち去っていった。


「…君がいると、面倒な話をしなくて済むから楽だね」


呆れた口調でシラーはぼやいた。


「でも、採集組を軽んじるような発言はいただけないな。彼らのお陰で探索組の遠征費を捻出出来てるのに」

「あれは言葉のアヤってヤツだ」


窓枠に気怠げにもたれ掛かり、女子生徒は素っ気なく弁明する。


「でもよ班長、確かにあの一年坊が不満に思うのもわかる。あんた、あのマイカって子を構い過ぎだ」


女子生徒は、最近加入した医術師見習いの一年生の、頼りなさげな姿を思い浮かべた。どこか小動物的なその少女は確かに優秀な医術の腕を持っている。長期の探索では彼女が班の生命線になるだろう。しかし…


「あのお嬢サン、前居た班をさっさと捨ててこっちにやって来てる。しかもこの二週間でフリーデルと随分と仲良くなったみたいだし」

「気になるかい?」

「あんたは気にならないのか?自分の足元でこんな動きをされるのは気にくわないんじゃないのか」


にっ、と女子生徒は口角を引き上げる。


「同族嫌悪ってヤツでさ」

「…ちょっと様子を見たいんだ。野放しにするには惜しいし」

「聖女様なんて言われる程の癒し手だからな」

「それもあるけど彼女、グロッシュラー家の御息女だからね」


事も無げなシラーの言葉に、女子生徒は目を丸くする。


「今のうち懇ろに、ってことか。フリーデルに恨まれるようなことはするなよ」


その言葉にシラーは返答せず、ただいつも通り柔和な笑みを浮かべた。


「…あの、シラー様」


二人の背後に新たな第三者が現れる。普通科の二年生の襟章をつけた、そばかすが可愛らしい少女だ。学苑指定の鞄を膝の辺りで掲げて怯えたように女子生徒をちらちらと見ている。シラーは少女の方を振り向き、済まなそうな表情を作った。


「ああ!すまない。ちょっと班の話が長引いてしまって」


窓枠から身を離し、シラーは少女に歩み寄る。少女の耳元に口を寄せ、二言三言囁く。少女は可哀想なほど顔を赤く染め、熱に浮かされたような足取りで階下の昇降口へ向かっていった。その様子を、女子生徒は呆れた様子で見ていた。


「…まめな男だな」

「それは褒め言葉と思っておくよ」

「お嬢サン方と親交を深めるのはいいが、背中を刺されないようにな」


女子生徒の歯に衣着せぬ物言いに、シラーは苦笑を浮かべる。


「それじゃあまた明日、デーナ」

「はいよ」


デーナと呼ばれた女子生徒に見送られ、シラーは階段を降りる。昇降口で佇んでいたそばかすの少女に声をかけ、連れ立って中庭に向かう。


そして、誰の目にも付かない木陰でそっと肩を抱き寄せた。

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