迷宮科棟
放課を告げる鐘の音が響く。駆け寄って来た庭球部員の誘いを丁重に断り、アキラはセレスの名を呼んだ。
鞄に教科書や手帳を収めつつ、令嬢は振り向く。
「今日は元々、会う予定があったの?」
「ううん……直接教室に行ってみる」
「迷宮科棟ね。初めて行く」
食堂や図書館などは共用だが、普通科と迷宮科が普段講義を受ける教室棟は別だ。職員室も別個なので、お互いに足を踏み入れる理由もない。多くの普通科生徒にとって、迷宮科棟は未知の世界だ。それはセレスもアキラも同じようだった。
「なんか、変な目で見られたりしないかしら?なんで普通科の生徒がいるのかとか」
「リシアに会うからだよ?」
「それはそうだけどお」
どこか歯切れの悪い言葉を漏らすセレスと共に、渡り廊下を歩く。声楽部の微かな歌声が響き、耳をすませる。
「いつもより、人数が少ない気がする」
ぽつりとアキラは呟いた。
「……オーピメント家の子が、特訓をする為に休んでるって聞いたことがあるわ。多分、専属の講師と家で練習をしてるんだと思う。建国節も近いしね」
「建国節」
アキラも聞いたことがある。
今でこそ独立して「王国」の体を取っているが、この国は元は大国ジオードの属国だった。今でもジオードとの関わりは深く、建国節の際には、ジオードと元属国から歌姫が選ばれるのだ。今年の歌姫はエラキスから出たと小耳に挟んだことがある。
「旧ジオード中から、一人だけの歌姫に選ばれるなんて凄いね」
「エラキスは歴代の歌姫を多く輩出してるみたい。リシアも去年の歌姫だったのよ?」
セレスの言葉に、アキラは一瞬言葉を失う。初耳だった。
「だから私、リシアの事はよく知ってたんだけど……いえ、ごめんなさい。今のは忘れて」
「え」
突然慌てふためき出したセレスを見つめる。リシアが歌姫だった事は衝撃的だが、忘れるべきことではない、と思う。
アキラの眼差しに観念したのか、「失礼だとは思うけど」と前置きしてセレスは語り始めた。
「……彼女、とっても有名だったの。歌だけで渡っていけるんじゃないかってぐらい。だから、迷宮科にいるって聞いた時……どうして、って」
セレスの貌が陰る。
「ごめんなさい、この事誰にも言わないでほしい。それと、リシアにも……歌の事は聞かないであげて」
勘ぐり始めた自身を恥じつつ、アキラは頷く。歌姫という地位にまで上り詰めたのに、声楽を辞めてしまったということは、相当な事情があったのだろう。
先程の話は心の奥底に沈めつつ、二人は一年生の教室と思わしき場所に着く。
「失礼……」
戸を軽く叩き、セレスは部屋の中を覗き込む。途端、顔を引っ込め、再び愛想笑いを浮かべながら覗き込む。
「すみません、失礼いたしました。あ、あの、迷宮科一年生の教室はどこでしょう」
誰かと二言三言会話を交わし、礼をした後にセレスはアキラを向く。
「講師室だった」
「そうだったんだ。普通科とは左右対称の造りなのかな」
「そうみたい。一階に一年生の教室もあるから」
講師室前を通り、一年生の教室へと向かう。通りぎわ、講師室を覗くと中年の婦人が書類をめくっていた。
幾人かの生徒とすれ違う。視線を感じ、アキラは少し目線をそらす。なんだかそわそわとしてしまう。友人と会うだけなのに。
進む先の教室から、一人の男子生徒が出て来た。その顔を見て、アキラは立ち止まる。
「あ」
男子生徒の方も二人に気付いたようで、立ち止まった。愛想笑いを浮かべて歩み寄ってくる。
「ご機嫌麗しゅう存じます、セレスタイン様。それと……アキラ、だっけ」
その言葉に違和感を覚えつつ、アキラは頭を下げる。
「こんにちは。その、何故名前を」
「リシアから聞いたんだ。お友達なんだよね?」
「はい」
アキラが頷く間に、男子生徒の右手が差し出される。
「アルフォスです。よろしく」
「よろしく」
右手を取る前に頭を下げて礼をする。顔を上げると、既にアルフォスはセレスの方に向き直っていた。
「こんな所に何かご用でも?」
「リシアに会いに来たの。どこにいるか知ってる?」
先日のリシアとアルフォスの様子が、アキラの脳裏にちらつく。リシアの暫定恋人は首を横に振り、セレスの質問に答える。
「今日はまだ会ってないんです。もしかしたら、もう教室を出て中庭にいるかも……それか、講師室」
先程の講師室には、リシアの姿は見えなかった。だとすれば、もう一つの候補地である中庭にリシアはいるのだろう。
「それじゃあ、中庭に向かおうかしら。ありがとう、アルフォス」
「あ、待ってください」
礼を述べて中庭に向かおうとする二人を、アルフォスは呼び止める。照れたように微笑みながら、提案をした。
「僕も彼女に会う用事があるので、一緒に向かいましょう」
「あら、そう……」
「おいアルフォス」
教室から出て来た男子生徒が、アルフォスの背中を軽く小突いた。
「エリスせんせに呼ばれてただろ」
それだけを告げて、男子生徒は他の生徒と連れ立って去っていく。アルフォスは困ったような笑みを浮かべて、かりかりと頭を掻いた。
「先約があったみたいね」
セレスは軽く手を振り、元来た道を戻る。
もう一度アルフォスに礼を言って、アキラは先を行くセレスを追った。
「人懐こい、と言ったら濁せてるかしら」
令嬢は顎に手を当てつつ、呟いた。何となくその言葉の意味を察して、アキラは無言のまま僅かに目をそらした。




