囁き
簾の向こうから、豚肉と干果の煮込みが出てきた。
以前の要望を思い出し、アキラは卓に額が付きそうなほど頭を下げる。
「ありがとうございます」
「まあ食べてみてくれ。こっちの味付けに合わせてみたが、うまくいっているか」
「それって味見?あ、それとも毒見?」
背後の卓から口を挟むハロをたしなめるように、ライサンダーは振り向いた。まだフェアリーが何も言わないうちに、ハルピュイアはそっぽを向いて粥を掬う。
「イタダキマス」
二人を横目にアキラは食前の挨拶を済ませて、突き匙を取る。既に食べやすい大きさに切られている豚肉を一口頬張ると、口中に豚と干果、両方の芳醇な甘みが広がった。
肉と果物を酒で煮込んだ料理はエラキスでも一般的だが、浮蓮亭の一皿からは仄かに異国の香りがする。香辛料が違うのだろう。
煮込みの中に紛れていた星型の種子を見つけ、匙で救って匂いを嗅ぐ。少し肉桂に似た香りだ。
「食欲が湧いてくる匂いですね」
同じ品を注文したライサンダーが食前の祈祷を終えて食事に取り掛かる。皿の大きさも量もアキラと同程度だ。
浮蓮亭に来る前に焼き菓子や包み焼きなど随分と間食をしていたが、やはり身体が大きいとその分沢山食事を摂る事が出来る……或いはその必要があるのだろう。
自分の事は棚に上げて、アキラはライサンダーの食事を観察しながら考察をする。
ライサンダーとの食べ歩きは、控えめに言って楽しかった。駅周辺や制服通りの屋台を勧めたり、逆に異国通りの売店を勧められたり。お互い食べ物の話題が絡むと饒舌になるのか、以前よりも多くの事を話せた気がする。
今度は食べ物だけではなく、迷宮の話もしてみたいものだ。
もっとも、その「今度」は今ではなくとも良いだろう。
綺麗な所作で煮込み料理を食べるフェアリーから目を離し、アキラは食事を続ける。
「二人でどこ行ってたの」
頬杖を突き、訝しげな声音でハロが問う。甘酸っぱい干果を飲み込んでアキラは向き直り、今日の行程を答えた。
「駅前の屋台を三軒、制服通りの屋台を二軒回ってきました。おやつを食べてきたんです」
「夕食前におやつ」
「はい」
ふーんと興味を失ったようにハロは目をそらす。
アキラと同年代と思わしきハルピュイアの少年にも、色々な話を聞いてみたいが……以前あんな事があったからか、どうも話しかけづらい。
ハロから目をそらして傍らのパンに手を伸ばすと、簾が少し巻き上がって杯が出てきた。
ライサンダーとアキラの間の席に置かれた杯を見て、アキラは来客を察する。
程なく、浮蓮亭の扉が開いて夜干舎の代表が姿を現した。
「酒。強いの」
短く言い放って、ケインは杯が置かれた席に着く。いつもはぴんと立っている耳が、今日は不機嫌そうに横に倒れている。心なしか目付きも鋭い。
「どうかしましたか」
「なんかあったの」
不穏な気配を感じ取ったのか、組合員の二人は恐る恐るといった様子で代表に聞く。簾の下から差し出されたごく小さな硝子杯を呷り、ケインはため息混じりに答える。
「頭痛い。それだけ」
「何それぇ」
「明日の調査は延期にしますか」
「いやそこまでじゃない。そこまでじゃないんだが」
そこまで呟いて言葉を切り、ケインは目を伏せる。
「……気にならないのかい」
「何が」
「あの歌だよ」
ああ、とアキラ以外の全員が納得したように声を漏らした。
「確かに時々、鼻歌が聞こえますね」
「時々どころか四六時中聞こえるぞ」
「そんなに大きな音でもないんだから、気にしなきゃいいじゃん」
「ああいう規則性のある音気になっちゃうんだぁ」
セリアンスロープは机に伏せ、耳を押さえる。
「頭の中で音がぐるぐる回ってる」
「そしたらさあ、強い酒飲むの逆効果じゃない?」
「そうかな」
既に空になった杯を見つめ、ケインは呻き声をあげた。伏した代表の向こうで、ライサンダーが呟く。
「近々祭があるのですか?歌の練習でもしているのでしょうか」
「いえ、そんな事は無いと思います。この間の節から当分は……エラキスでは祝日は無いので」
「曲調も此処風ではないしな」
掠れた声で店主が呟いた。
「変なのが、街に紛れ込んでいる」
そう言って、ケインは酒の杯を手に取り、再び卓に置いて水の杯を取った。
街に紛れ込む異質な何か。
アキラの脳裏を「怪物」の文字が過る。
「何処の歌なのでしょう」
「うーん……私はてっきりライサンダーの同族だと思ってたんだが、違うみたいだな」
「少なくとも大陸のフェアリーではないという事か」
「オークじゃないの?怪物騒ぎもあるし」
足を組み直すハロに、一同の視線が注がれる。
「オーク?」
聞き慣れない言葉をアキラは反唱する。
「やっぱり知らないんだ。ここ田舎……もとい閉鎖的だしね」
意地悪くハロは微笑む。そんなハロに絡むように、セリアンスロープは杯を掲げ向き直る。
「私もオークは見た事がないぞ。ドラヴィダは田舎だとでも言うのか」
「オーク……古書の知識しかありません。ハロは実際に見た事があるのですか?」
目の座った代表と、素朴な疑問を呈するフェアリーに詰問され、一瞬ハルピュイアは面倒臭そうに目をそらす。
「オークがどうやってここに来るんだ。とことこ歩いて関門を通って来たのか?」
「水路か」
何かがツボに入ったのか一人で含み笑いをするケインをよそに、合点がいったように店主が呟く。
「そ。今度は川にも関を置かなきゃいけないんじゃないの」
朗らかな、だが小馬鹿にするような笑い声を上げてハロは食事の続きに取り掛かった。
一人取り残されたアキラは、簾の向こうの店主にそっと囁く。
「……つまり、なんでしょう」
「エラキスの迷宮も、随分と有名になったって事だ」
返された言葉は、やはり要領を得なかった。
首を傾げつつ、アキラは干果をひとかけら頬張った。




