後出し(2)
黙々と二人は小通路を探索する。
三本目の小通路を進む途中、本職と思わしき冒険者の一団とすれ違った時は妙な緊張が走ったが、その中に見知った顔を見つけて、リシアは軽く会釈をした。禿頭のドレイクはにっかりと笑みを浮かべて片手を挙げる。
「こんにちは」
「おお。頑張れよ」
回収屋も、時には別の依頼をこなすことがあるのだろうか。以前よりも重装備のバサルトは他の冒険者達と共に本通路の方へと去って行った。
冒険者同士の迷宮内での意思疎通について、迷宮科の講義でも幾度となく重要性を説かれている。それを実践出来たことで、リシアは僅かに満足した。
「知り合い?」
後ろからそっと、アルフォスが耳打ちをする。思わず身を引いて、首を横にふる。
「えっと、以前第三通路で会ったの。あと集会所とかで……回収屋の人」
「回収屋?そんな危ない目に会ったことがあるんだ」
「いや、他の班が回収されてるところにばったり」
「あ、そうなんだ」
そう呟くと、興味を失ったようにアルフォスは野帳に目を落とした。
彼は先程の一団に、会釈ぐらいはしたのだろうか。少し気になったが、改めて聞くようなことはしない方が良いとリシアは口をつぐんだ。
五本目の小通路で、肉厚の葉が特徴的なツメオウギを採集したところでリシアはアルフォスに向き直った。
「そろそろ、地上に戻ろう」
通路の壁を引っ掻いていたアルフォスが、小さく「もう?」と声を漏らした。
既に入り口付近と言える距離ではない。バサルト達とすれ違ったという事は、本職が行動する範囲……「最前線」が近いという事だ。
最前線は未知の領域だ。何が起こるか見当もつかない場所にリシア達のような半人前の迷宮科生徒が向かうのは、自殺行為と言っても過言ではない。
先日、あの小迷宮で危機に瀕したからこそ、慎重になるべきだ。そうリシアは考え、元来た道を戻るようアルフォスに促す。
「地図は描けてるでしょ?あとは植生をまとめて提出すれば大丈夫」
「うーん、そうなんだけど」
歯切れの悪い様子で、アルフォスは逡巡する。
地図がまだ完成していないのだろうか。リシアが野帳を覗き込むと、通路の位置関係や構造がわかりやすい地図が記されていた。地図に問題は無いように見えるが、何か心残りがアルフォスにはあるのだろう。
「何か心配?あ、動物についてもう少し記述した方が良いとか」
「そう、動物!全然見かけてないからさ」
アルフォスは頷きながらリシアを指差す。
「クズリとか、ジリスがいれば良いんだけど」
「クズリには出会いたくないかな……」
「毛皮が必要でさ」
「へ?」
突如飛び出たアルフォスの言葉に、リシアは素っ頓狂な声を出してしまう。
必要というのは、私的な意味でだろうか。
「もう遅いし、何かに使いたいならまた今度取りに」
「依頼なんだ」
アルフォスの言葉にリシアは呆気にとられ、その意味を理解して絶句する。
「……待って!依頼って、いつの?」
「さっきの店で頼まれちゃってさ」
照れたように班員は笑う。なんの悪気もないような、屈託のない笑みだ。
「帽子に使いたいんだって。俺頼まれたら断れなくて」
「口約束だよね。そうでしょ」
自分に言い聞かせるようにそう聞くと、班員は懐を探った。無造作に握り潰したような、見覚えのある紙切れが現れる。
「依頼書」
差し出された依頼書を受け取る。きちんと第四十二班の名で署名までされている書面を眺め、リシアはこめかみに手を添えた。
「……こういうの、先に言ってくれないと!どうして班長に無断で依頼を受けるの」
「えーっと、給仕が困ってた……から?」
依頼書を丸めて投げつけたくなるのを堪えて、リシアはどう収拾するか考える。
依頼内容は、帽子に用いる小動物の毛皮の納品。「ジリス一頭分くらい」という文字を見るに、給仕の個人的な依頼なのだろう。
防寒具や装飾品に適した毛皮を持つ動物は限られている。この辺りで見かける哺乳類なら、ジリス、ウサギ、モグラくらいだろう。いずれも警戒心が強く、捕らえるには罠が必要だ。今のリシアには罠の準備は無い。それはアルフォスも同様だろう。ウィンドミルで焼き仕留める訳にもいかない。
備考欄に記された「明日まで」の文字に意識が遠のきそうになりながら、リシアはアルフォスに聞く。
「これ、どうするつもり」
「どうするって、ジリスでも何でも捕まえればいいじゃないか」
「方法は?明日までだけど」
備考欄を指し示すと、アルフォスは少し目を見開いた。まさか、今気付いたのだろうか。更なる疑問を述べようとすると、先にアルフォスが口を開いた。
「無理そう?それなら破棄しようか」
堪え切れなくなって、リシアは怒鳴った。
「ふざけないで!」
狭い小通路に、怒声が響く。木霊が僅かに残る中、リシアは依頼書を乱雑に折り畳んで懐にしまった。そのまま本通路の方へ向かう。
「帰るの?」
「罠を取りに戻る」
そう言い捨てる。戻って、罠を仕掛けて、明日にでも回収して……そもそも罠に小動物が掛かっているのかも確かではないのだ。「依頼破棄」の文字がちらつき、リシアは目を足下に落とす。
小通路の隅に、白いキノコが群生していた。地面の一点から固まるように生えているそれを暫し見つめ、周囲に目を凝らす。
キノコから数歩離れた下生えに、柔らかな土の小山が出来ていた。小山を蹴飛ばし、アルフォスを呼ぶ。
「ちょっと、ここで素材袋を開いておくか……何か武器を構えてて」
「え、何?何するの?」
「リスかモグラを捕まえる」
盛り土の下から現れた穴の前でアルフォスを待機させる。
ある種のキノコは、小動物の巣穴の上部に生じると文献で読んだ事がある。もし運が良ければ、小動物を追い出せるかもしれない。
アルフォスが穴に素材袋を被せたのを確認して、リシアは根堀りをキノコが生え出ている地点に突き立てる。無心で地面を掘っていると、不意に穴の底が脆く崩れた。
きい、と甲高い鳴き声が聞こえて、アルフォスが慌ただしく立ち上がった。もぞもぞと蠢く素材袋の口を締めると、地面に放る。
「うわなんか、リスみたいなのが」
そう呟くアルフォスの足下を、もう一匹、巣穴から出てきたジリスが駆け抜けていく。班員の言う通り、素材袋の中身はジリスだろう。
根堀りを突き立てたまま、リシアは溜息をつく。その様子を見て、アルフォスは笑顔を浮かべた。
「お疲れ様」
最早、文句を言う気力も無い。無言で根堀りを小物入れに収める。
「良かった。依頼達成!」
「……」
「こいつ、俺が持っとくよ。明日渡しに行くからさ。殺すのもやりにくいでしょ」
アルフォスの言葉に疲労困憊したリシアは頷く。今日はもう、迷宮から出たい。
明日になったら、依頼の事や基本的な班活動の注意点をアルフォスと話し合おう。
いや、話し合いやら注意よりもむしろ……。
思い付きを振り払う。折角加入した、唯一の班員なのだ。リシア一人の四十二班に戻る訳にはいかない。
「ほら、地上に戻ろう」
目の前に手が差し出された。
微笑むアルフォスを見上げ、リシアは手を取る事なく立ち上がる。
「……また明日、放課後に。話し合いたい事もあるから」
そう告げて、リシアはアルフォスに背を向けた。




