昼食
思い立ったその足でリシアは普通科の校舎に赴いた。
昼食休みの各教室で思い思いの行動をとっている生徒達の中に、あの背の高い黒髪の少女の姿は見えない。ほど近い一年生の教室を覗いて、中で談笑していた見知らぬ男子生徒と目が合い顔を引っ込める。
冷静に考えてみると、リシアはあの赤ジャージの少女について、名前と学年と所属科しか知り得ていない。組ぐらい聞いておけば良かった、と少し自身の余裕の無さを後悔する。
「…あ、見て。三組まだ授業やってる」
「体育のセンセ、普通に休み時間に食い込ませるよねー」
誰かに尋ねてみようかと逡巡している内にすれ違った二人組の女生徒が、リシアが歩いてきた渡り廊下で足を止めた。
「今飛ぶ子、アキラじゃない?」
「ホントだ。がんばれー」
踵を返し、渡り廊下の窓から校庭を見下ろす。
薄汚れた分厚いマットと二本の支柱に渡された竿…走高跳の器具の前では何人かの生徒が屯している。その一団からおもむろに、一人の少女がマットに向かって走り出した。
大雑把に纏めた黒髪に赤いジャージ。一昨日、そして昨日と全く同じ格好の少女は地を蹴り、跳躍した。彼女の身長より頭一つ分上の高さに渡された竿を、弓なりに反った体が越える。赤ジャージは竿にかすりもせず、天を仰いだままマットに沈み込む。
どよめきが起きる。
「うわー、どうやったらあんな高く飛べるんだろ」
「あの子運動特待生だっけ?」
隣の二人組の会話を聞き流しながら、リシアはほうと息を吐いた。アキラの、呼吸も忘れるような一連の動き…昨日共に迷宮に潜った時も思ったが、所作に全く無駄が無いのだ。
マットや支柱の片付けが始まったのを見て、急いでリシアは校庭に出る。支柱を一本ずつ抱えて備品倉庫に向かうアキラと女生徒の後ろ姿を見つけ、声をかけようとして
「アキラ!お疲れー」
「さっきの見たよ!あんな高く跳べる人、陸上部にもいないよ」
「疲れたでしょ?はい、甘いもの!…陸上部をよろしくね」
「ちょっと抜け駆けはやめてくれない?アキラ、庭球部もよろしく〜」
「け、剣術部もよろしくお願いします!」
リシアの後から風のように駆けてきた生徒達が、アキラを取り巻く。皆、貢物のような菓子を大量に携えており、それをきょとんとした顔で立ち尽くしているアキラの赤ジャージの懐に詰め込んでいく。
その様子を、アキラの連れの女生徒は呆れたように見つめている。
「あ、ありがとうございます。でも私部活は」
「いいのいいの!あ、私のヤツ部活名書いてあるから。気になったら部室に来てね」
「私も手紙つけたから、読んでほしいな」
「じゃ!」
嵐のようにやって来た一団は、これまた嵐のように去って行った。後には懐が菓子でパンパンになったアキラとその連れ、懐に入りきらず散乱した菓子だけが残されている。
「モテるねえ」
「部活は入らないって、この間言ったのに」
支柱を傍に立てて、アキラは菓子を拾おうと屈む。しかしその拍子に、懐の菓子がばらばらと零れ落ちてしまった。
「あーあ」
リシアは我に返って、大量の菓子に囲まれているアキラに駆け寄った。突如走り寄ってきたリシアの姿を見てアキラは目を丸くする。
「リシア」
「手伝うよ」
菓子を拾い集める。駄菓子から店売りの贈答用の菓子、手作りらしき不恰好な菓子、包装紙に名前と部活名が走り書きされたもの、便箋に丁寧に宛名が記されたもの…様々だ。
「あなた、この間の迷宮科の子?」
アキラの連れ…短く切り揃えられた髪と利発そうな顔立ちの少女がリシアを見て、少し眉間に皺を寄せた。最初にアキラと会った時、一緒にいた普通科の女生徒だ。
「あ、初めてだよね。セレス、この子がさっき話したリシア。リシア、この子はセレスタイン」
二人の間の何処となく険悪な雰囲気など露知らず、アキラは互いを紹介する。セレスタインという名に少し怖気付き、リシアは正式な礼をする。
「初めまして…お会いできて光栄」
「私も学生だから、そんなにかしこまらなくてもいい。よろしくリシア」
言葉は遮られ、右手を差し出される。リシアは恐縮しながらもその手を握る。
「…ところで、アキラと迷宮に入ったって本当?しかも大きな蟲とあったとか…怪我はないの?あなたにもアキラにも」
ひやりとする。そういえば、アキラに迷宮に入ったと事を口外しない様に頼むのを、すっかり失念していた。早打ちする心臓を落ち着かせるように、リシアは浅く息をついて答えた。
「え?えっと、私は無傷ですけど…アキラも怪我はないよね?」
「うん」
「…」
セレスは不安と不満がない交ぜになったような表情になった。今になって、アキラも二人の間の緊張感を嗅ぎ取ったのか、再び支柱を抱えてリシアに囁く。
「話があるんだよね?これ片付けたら中庭に行くから、待っててほしい。あと、お菓子も任せていいかな」
「ええ」
アキラ宛の菓子を何個か抱え、リシアは一先ずその場を離れる。二人からたっぷり距離を取ったところで、リシアは溜息をついた。
迷宮科に偏見を持つ普通科の生徒は多い。恐らくあのセレスタインという女生徒も、リシアの事を冒険者稼業で一攫千金を狙う貧乏貴族とでも思っているに違いない。
そしてその野望に友人である赤ジャージを利用していることも、もしかすると嗅ぎ取っているのかもしれない。
中庭のベンチに座り、アキラを待つ。中庭には普通科と迷宮科、両方の生徒の姿が見えるが見えない線引きをされているように両者が交流することはない。こうやって普通科に知り合いがいる迷宮科生徒はリシアだけではないのか。
「おまたせ」
一人考え込んでいると、程無くアキラがやって来た。隣に腰掛け、ジャージの懐から棒状の菓子を一つ取り出す。
「お昼は食べた?」
「あ、まだ」
「学食に行く?」
「弁当があるから」
そこでリシアは少し恥ずかしげに、アキラに告げる。
「一緒に食べていい?」
「うん」
「じゃあちょっと待って。弁当取ってくる」
油紙と菓子を置いて、小走りで迷宮科の校舎へ戻る。人も疎らな教室から弁当の包みだけを取って、元来た道を戻る。誰かと一緒に昼食をとるのは久しぶりだ。マイカと仲違いをして以来、何週間ぶりだろう。
中庭に戻るとアキラは手紙に目を通していた。リシアが戻ってきたことに気付くと、直様手紙を折りたたんで懐にしまう。おそらく人目に触れさせるべきではない内容だったのだろう。
「おかえり」
「そっちの弁当は?」
「今日はお菓子」
アキラは「イタダキマス」と呟いて棒菓子の包装紙を剥き、一口かじった。乾煎りした雑穀と干果に糖蜜をかけて棒状に切り分けた、庶民的な駄菓子だ。
「あの方とは一緒に食べたりしないの」
「あの方?ああ、セレスはお昼は家で食べてる。学食もお弁当もあまり好きじゃないんだって。…うん、ところで」
あっという間に菓子を腹に納め、アキラはリシアを期待のこもった目で見つめた。
「また迷宮に行くの?」
「えっと、迷宮じゃなくて酒場なんだけど」
「酒場?」
アキラの期待には添えないことを少しだけ申し訳なく思いながら、目的地を伝える。アキラは少し困ったような顔をした。
「…飲酒はちょっと」
「違う違う。昨日の収獲を売りに行くの」
傍に立てかけておいた油紙の包みを指し示す。
「それが今度の課題」
「酒場ってこういうのの買取もやってるんだ」
「買取というより仲介だね。迷宮に興味あるならそれに関する組織についても興味あると思って…食指が動かないならついてこなくてもいいけど」
「行きたい」
そう答えるアキラを見て、リシアは安堵する。
「今日の放課後はどうかな」
続いたアキラの言葉にリシアは安堵も束の間、ギョッとしてしまう。
「えっ?そんなすぐに?」
「腐っちゃうかもしれないし」
アキラは異臭を放っている包みを指差した。確かに翅はともかく筋繊維は日持ちがするとは思えない。それに正直なところ、リシアにとってはさっさと手元から離れてもらいたい代物だ。
「…わかった」
「じゃあ放課後に、ここで待ち合わせでいいかな」
「うん」
「あ、それと!…私と一緒に迷宮に行くこと、誰にも口外しないでほしい」
「え?」
「お願い」
切実な様子のリシアをまじまじと見つめ、アキラは腑に落ちないような様子で頷いた。それを見て一先ずリシアは安堵する。
アキラは二本目の棒菓子を手に取る。本当に菓子だけで昼食を済ませる気のようだ。昨日の晩餐の残りの、油で煮た鴨肉を挟んだパンを齧りながら、一切れ分けようかとリシアは考える。
「…ねえ、一切れぐらいならあげても」
「食べる?」
棒菓子を差し出される。
「え」
「もしかしてお弁当足りない?凄いこっち見てたし」
「そ、そういうつもりで見てたんじゃないから!」
「そうなんだ。ごめん」
憤慨しながらリシアはパンを口に詰める。アキラは差し出した菓子の包みを破り、少し済まなそうに隣の少女を見ながら自らの口に運んだ。
しばらく、二人は会話もなく淡々と昼食を取る。
「…あれ、あの人昨日の」
何個目とも知れない菓子を食べながら、アキラは中庭の一点を見つめる。その声につられてリシアは周囲に目を配り、アキラが注視していると思わしき人物を見つけた。
一昨日リシアのノートを花壇に捨て、先日迷宮で出会った瘦せた男子生徒だった。包帯を巻いた右腕を三角巾で下げ、松葉杖を小脇に抱えて億劫そうに掲示板に紙を貼っている。
…班員の募集のようだ。
「そういえば、昨日怪我してた子はどうなったの」
「辞めた」
アキラの問いにことも無げに答える。
「あの怪我じゃ、冒険者になるのは無理だろうし…あいつも辞めるのは時間の問題でしょうね」
「骨折ぐらいなら復帰できるんじゃ」
「自分の班の人間を見捨てて逃げたんだよ。そんな人間と組む奴がいる?」
視線に気付いたのか、それともリシアの声が思いの外大きかったのか、男子生徒がこちらを向いた。
リシアと男子生徒の視線がかち合い、即座に男子生徒の方が顔を背ける。
ひょこひょこと去っていく男子生徒の後ろ姿を見て、リシアは憐憫のような感情が胸の内に広がったことに気付いた。
彼の姿は、少し前のリシアに似ている気がした。