表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/422

加入

「行ってくるね」


黒い羅紗の外套に身を包み、スフェーン子爵は執事から山高帽を受け取った。旅装の父に、リシアは日持ちのする厚い生地のパイと干果の入った籐籠を手渡す。スフェーン子爵は籠を受け取り、ほんの少し蓋を開けて中を覗き見た。


「ありがとう。美味しそうだねえ」

「お昼前に食べちゃダメだからね。論文と標本は持った?」

「もちろん」

「時計と手巾と手袋は」

「……」


ごそごそと懐や外套の下を探り始めた父を見て、リシアは手巾と手袋を渡す。いつの間にこの場を離れていたのか、客間からやって来た執事は懐中時計を主人に差し出した。


「ありがとう。いつも忘れちゃうんだ」


照れたように笑う父を見て、リシアは唇を尖らす。


「もう……お金はちゃんと持ってる?」

「うん、大丈夫だよ」

「いざとなったら、軍の寄宿舎を頼ってください。一晩くらいならば」

「ははは、みんな心配性だなあ」


笑うスフェーン卿だが、娘と執事は気が気でならない。執筆と観察、採取で昨日今日とろくに寝ていないはずだ。行きの馬車で睡魔に襲われているうちに財布を抜き取られてしまう可能性もある。そうでなくとも、普段から抜けたところがある父なのだ。


「そろそろ時間だね。それじゃあウルツ、リシアと家と、花壇の水やりをよろしくね」


娘の頭を軽く撫で、スフェーン卿は屋敷を出る。執事は深々と頭を下げて見送り、リシアもまた、手を振って坂を下っていく父の後ろ姿を眺める。


大きな背中が見えなくなったところで、リシアは溜息をついた。


「なんだか心配」

「向こうには知り合いも多いのですから、余程のことでも起きない限り大丈夫でしょう……それより御嬢様」


中衣の懐から懐中時計を取り出し、執事はリシアに見せる。あ、と小さくリシアは叫び、慌ただしく屋敷に駆け込んだ。


鞄と剣を抱え、二階から執事を呼ぶ。


「爺や!私もう行くね、遅刻しちゃう」

「お待ちください、昼食です」

「あ、ありがとう」


小振りな籐籠を受け取り、玄関前の鏡で軽く佇まいを確認する。執事の方を振り向いて外出の挨拶をした。


「いってくるね!」

「いってらっしゃいませ。今日は、迷宮に向かわれますか?」

「……うん、たぶん。もしかしたら遅くなるかも」


小さくそう告げて、屋敷を出る。


執事が思い浮かべたのは、以前連れてきた黒髪の少女の姿なのだろう。


だが今日から一緒に行動するのは、彼女ではない。その事を告げるべきだったのだろうか。


頭を振りかぶり、リシアは学苑へ進む足を早めた。






籐籠の中身は、父に渡したものと同じ肉のパイだった。熱湯で練った固い生地の縁を齧り、中の具と共に味わう。


結構、美味しく味付けできたかもしれない。


早朝に自らが手伝いと称して作ったパイを評価する。皮は執事が作ったが、具はリシアの匙加減だ。豚と林檎のパイが好物の父なら、遠出のお供に喜んでくれるだろう。


パイを頬張りながら、この後の予定について考える。まずは、アルフォスに会わなくては。


昼食を早々と済ませて、籠を片付ける。教室を出て中庭に向かおうとして、入口に立つ人影に気付いた。


人影……アルフォスは会釈をして、教室に入る。


「こんにちは」

「あ……こんにちは。良かった、会いに行こうと思ってたの」


明るい声音の挨拶を受けて、リシアは返事をする。アルフォスは屈託のない笑みを浮かべて、空いていたリシアの隣の席に腰かけた。


「会いにってことは、返事?」

「ええ」


隣のアルフォスと向き合い、少し垂れた目を見つめる。


もう既に、心に決めている事だ。


「第四十二班に、入ってくれるの?」

「うん。君さえ良ければ」


アルフォスの意思は、以前と変わらないようだった。


「それなら、その、これから……よろしく」


リシアがそう言い切らないうちに、アルフォスは右手を差し出した。


「こちらこそ、よろしく」


年頃の少年らしい笑顔を浮かべるアルフォスの手を、リシアはそっと握る。その手をしっかりとアルフォスが握り、友好の握手は解かれた。


「それじゃ、早速だけど……実は何件か依頼と課題を見繕ってきたんだ」


上衣の懐から、アルフォスは皺の入った紙を取り出す。見覚えのある書式が目に入り、リシアは慌てて紙を広げるアルフォスを押し止める。


「待って!これ、役所の依頼?」

「そうだよ。採集に駆除、色々取り揃えてきた」


机に並べられた依頼書に目を通す。迷宮科の生徒どころか、本職の冒険者でも持て余すような依頼の数々だった。


「これとかどう?」


差し出された遠征依頼を一応は受け取り、リシアは困惑した頭で何とか言葉を絞り出す。


「えっと、その……まずは学苑の課題から進めるべきだと思う」

「それならこれは?クズリの駆除。第一通路だって」


物騒な課題を提案する班員を見て、リシアは冷や汗を流す。アルフォスの課題は、一年生にこなせるものではない。それは同じ一年生であるアルフォスにもわかっているはずだ。


「……まずは、地理や植生の課題をこなさない?クズリの駆除をいつかはやるにしても、まずは迷宮を知って、前提の課題を終わらせなきゃ」


努めて冷静に告げる。アルフォスはしばし、虚を突かれたような顔をして、頭を掻いた。


「そうだね。少し先走ってたみたいだ」


照れ笑いを浮かべる男子生徒を見て、リシアは心中、穏やかではなかった。


ある意味アキラ以上に、アルフォスと行動するのは危ういのではないか。


そんな考えが過ったが、静かに、リシアは不安を奥底へと沈めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ