誤解
簾の向こうから聞こえる調理の音を聞きながら、リシアは隣に座るアキラに向き直る。
「あの、アキラ」
そわそわと料理を待っていたアキラは、名を呼ばれた事に気付いて同級生の方を向く。全てを見透かすような夜色の目を見て、一瞬背筋が冷える。
「どうした?」
いつもと同じ平坦な声音の返事だった。リシアは喉まで出かかった言葉を飲み込み逡巡する。
それでも何とか、細い声を絞り出した。
「あのね、しばらく……一緒に迷宮に行けないかも、しれない」
そう伝えて、リシアは気がつく。
逃げてしまった。
「そうなんだ」
ただただリシアは杯の水を見つめ、アキラの言葉を聞く。
アキラはどんな顔をしているのだろう。想像ばかりが膨らんで、横を向く事が出来ない。
「忙しくなったの?」
「そ、そう。課題以外の事が、忙しくなって」
嘘だ。
「だからその……ごめん」
沈黙が訪れる。
目を伏せそうになり、リシアは杯の水を呷った。ぬるい水が胃に流れ落ちる。
「また迷宮に行けるようになったら、いつでも呼んで」
帰ってきた言葉に、小さく息を呑む。以前も聞いた事があるような言葉だった。
うん、と小さく頷く。
これで良いのだろうか。リシアの言葉は保留と変わりが無い。非常に身勝手な考えから湧いた言葉だ。
自分の都合でアキラを振り回している。
そう考え、今度こそリシアは目を伏せた。
「それって、あの人が関係ある?昨日話してた」
背筋が凍える。
先日の昼休みの出来事が瞬時に思い返された。
「見てたの」
思わず冴えた声が出てしまう。アキラは僅かに目を泳がせた。
「あ、うん……いや……」
珍しくはっきりとしない返答をする彼女を見て、リシアは気が気でなくなる。
もしかしたらもう既に、悟っていたのかもしれない。リシアがアキラと距離を置こうとしていた事を。
「ごめん。声をかけられる雰囲気じゃなかったから」
「それじゃ、全部知って」
「確かに学業も大切だけど、その、個人の付き合いとかも大事だと思うし」
なんか違う。
比較的冷静なリシアの一部分がそう告げた。
「……?」
「落ち着いてから、また一緒に迷宮に行けたらいいな」
「なーに、仲違いでもしたの」
背後の席から口を出してきたハロの声に、アキラは小さく、
「告白、みたいな」
「はあ?アホらし……そんなのであんな空気になってたの?」
「あの、えっと」
「いやあ、初々しい」
ハロの呆れた声や店主の好々爺じみたしゃがれ声に、困惑したリシアの言葉は掻き消される。
「私から言えるのは……いや、野暮だな」
音もなく簾が巻き上がり、店主の尻すぼみな言葉とともに大皿が現れる。
「熱いから気をつけてくれ」
「あ、いただきます」
「あのアキラ」
あれは告白なんかじゃなくて……と告げようとして、リシアは口ごもる。このまま誤解をしてくれていた方が、少なくともリシアにとっては都合が良い。
先程よりも良心が痛まないという点で。
少し躊躇い、リシアは口を閉ざす事にした。
「あの、あまり頼りにはならないかもしれないけど」
突き匙を手に取り、赤いタレを薄く敷いた皿の上に並んだ揚げ物を突き刺しながらアキラは呟いた。
「何かあったら、相談して。迷宮の事以外も、リシアと話ししたいし」
その言葉を聞いて、リシアの胸中に温かさとも痛みとも取れないものが滲んだ。
「……ありがとう」
思わず、感謝の言葉を告げる。
アキラが考えているような相談事も、その発端も、事実無根だというのに。
さくりと音を立ててアキラが揚げ物を頬張る様子を、リシアは見つめる。
「美味しいです。なんとなく、いつもと料理の雰囲気が違いますね」
「この辺りの料理に寄せてみたんだ。口にあったようで何より」
衣の中身は、牛乳と炊いて裏ごしした芋のようだ。そこに刻んだ燻製肉も見え隠れしている。
黙々と食事をするアキラとリシアの間に、湯気の上がった蒸籠が出された。
「包子だ。これも熱いから、気をつけてくれ」
「ありがとう、店主」
そっと把手をつまんで、蓋を開ける。濛々と立ち昇る湯気の中から、いつも食事についてくるものよりも一回り大きい蒸しパンが現れた。
蒸籠から取ろうとして、一旦手を引っ込める。
しばし時間を置いて、湯気が薄くなったところで再び手を伸ばす。熱々の蒸しパンを真っ二つに割ると、仄かに紫がかった黒く艶やかな餡が現れた。
一口、皮と餡を小さく齧りとる。
歯がとろけそうなほどの尋常ではない甘さが舌の上に広がり、即座に溶けていった。後に残った風味は確かに、豆のものだった。もう一口、今度は大きく齧る。豆の粒が残った餡を味わい、食感を楽しむ。
確かに、初めての味わいだ。
「これが、豆の砂糖煮……」
そう呟いて、一口、更に一口と食べ進める。エラキスで一般的に食されているハナマメとはまた違う種類のようだ。皮を見るに餡になる前は少し小粒で、赤紫か黒色なのだろう。
ひたすらにリシアは包子を頬張る。
食べる事に集中していれば、アキラに嘘をついた事をほんの僅かの間忘れられた。




