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一夜明けて

今朝の目覚めは最悪だった。


疲労が抜けきっていない身体を伸ばし、リシアはカーテンを開ける。清らかな朝日が部屋を隈なく照らす。そうして照らし出された、床に無造作に置かれた背囊とそこからはみ出た半透明の翅を見て、リシアは昨日の出来事が夢ではなかったことを再確認する。


昨日アキラと別れた後、特に処理もせずに収獲物を放って寝台に倒れ伏してしまった。背囊を開け、翅を引っ張り出す。


…臭う。


うんざりしていると、不意に寝室の扉を二回ノックされた。急いで簡単に髪を手櫛で整える。


「御嬢様、お目覚めですか」

「起きてる」

「失礼します」


音もなく扉が開き、長年仕えている壮年の男が半身を覗かせた。


「朝食の準備が…おや、そちらは」

「油紙はある?包めれば何でもいいんだけど」

「少々お待ちくださいませ」


目を丸くした執事は、しかしすぐに何時もの穏やかな表情に戻って廊下に出た。程なくして、茶色い油紙を一巻き抱えて執事は戻ってきた。


「私が包みましょうか」

「お願い」


ガラス細工のような翅を執事は恐る恐る手に取り、しかし手際よく包んでいく。油紙の端を折り込んで形を整え、リシアに確認を願う。


「こちらでよろしいでしょうか」

「うん。ありがとう」

「これ程大きな翅を持つ蟲が居るのですね、迷宮には。お怪我は無かったようで幸いです」


少し過保護な気のある執事は加護の御言を唱える。


「朝食はどちらで」

「今日は庭で食べたいな。お父様もまだ花の手入れしてるでしょ。着替えたら向かうから」

「はい」


執事は短く返事だけをして、即座に部屋を出る。体は怠いが今日は天気がいい。庭で温かい茶と軽い食事を取れば、少しは気分も良くなるだろう。






手短に身支度を整えて庭の東屋に向かう。途中、数々の季節の花が咲き誇る花壇の中で土いじりに興じる父に声を掛ける。


「おはようお父様」

「…ああリシア。おはよう」


リシアの父、スフェーン子爵はのっそりと立ち上がった。麦藁帽子を被り、首にかけた手拭いで汗を拭き取る姿は庭師にしか見えない。


「そうか、朝食か」

「今日は東屋で食べましょ。爺やに準備してもらってるから」

「それはいい」


父と連れ立ち東屋に向かう。東屋では既に執事が卓の飾り付けを済ませていた。今朝の献立は茶、小麦の粥、炙った燻製肉とキノコ、無発酵のパン、乳を混ぜた炒り卵、アンズの砂糖煮。執事が引いてくれた椅子に座り、本日の糧を神に感謝する。


「リシア、学校は楽しいかな」


給された茶を一口飲み、父は娘に問う。不意をつかれたリシアは口の中の茸を飲み込み、途切れ途切れに答えた。


「ええ…楽しく学んでる。ちゃんとノートも出してるし」

「マイカはどうだい」

「…仲良くしてる」


苦々しい嘘を吐く。


「それは良かった。グロッシュラー卿が、最近娘とリシアが喧嘩したようだと言ってたが仲直りしたんだね」

「う、うん」

「昨日もマイカと一緒に迷宮に入ったのかい」

「あ、昨日は…違う子と入ったの」


そこで、少し控え目に昨日の出来事を話す。不思議な女の子との短い冒険を、父は熱心に聞いてくれた。


「へえ!大きなイナゴと戦ったのかい」

「元々弱ってたみたいだけどね」

「その子もリシアも怖い思いをしたんだね」

「まあね…でも、迷宮に入りたくないとは思わない」


アキラに触発されたわけではないが、そんな事を言ってみる。父は感心したように愛娘の言葉に頷いた。


「リシアは豪胆だね…ところで、迷宮では何か変わった花などはあったかい?」

「ホラハッカなら取れたけど」

「ハッカかあ…ハッカは増えすぎるからなあ…」


娘の冒険譚もそこそこに、父は趣味に関する話題を振る。土いじりが好きな父は迷宮の植生にも興味があるようで、時折こうしてリシアに迷宮の植物について聞く。その様子が何だか昨日の少女に似ていて、リシアは少しおかしくなった。


「御嬢様、そろそろ」

「あ、もうそんな時間?」


父との語らいに時間を忘れていたが、執事の言葉に立ち返る。そろそろ家を出ないと最初の講義に遅れてしまう。


「お弁当です」

「あ!昨日は忘れちゃってごめんね」

「いえ、私めもうっかりしておりました」


昨日は忘れてしまった弁当を、今日はしっかり受け取る。


「もう行くのかい?いってらっしゃいリシア」

「行ってらっしゃいませ。ああ、先程包んだ物はここに」

「うん、ありがとう。それじゃあ行ってきます」


弁当と油紙に包んだ翅を抱え、二人に見送られながら東屋を出る。庭園から裏口を抜け、雑木の並木道を通り学苑へ続く遊歩道へ向かう。旧市街にある子爵家から学苑までは徒歩で十五分ほどかかる。


子爵家の子女ともなれば、学舎への送り迎えに馬車でも使うのが普通なのだろうが、残念な事にスフェーン家の馬車は三年前に手元を離れてしまった。だがリシアは歩きを苦に思わない質だし、馬車から眺める通学路の風景よりも、こうして歩きながら見る町並みの方が好きなので、徒歩通学に不満を持ったことは無い。


とはいえ、今日は少し嵩張る荷物がある為リシアの足取りは何時もよりも重い。普通科の制服である丈の長いスカートを履いた女生徒が、そんなリシアを横目に最近エラキスで流行り出した自転車で颯爽と走り抜けていく。


自転車って、すぐ乗りこなせるのかしら。


そんな事を考えながら、リシアは生徒が増えてきた学苑へ至る遊歩道を歩む。


学苑のシンボルである時計台から、登校時間を告げる鐘の音が聞こえてきた。






迷宮学概論の講義が終わり、早々に教室を出て行く生徒の流れに逆らうようにリシアは教壇に向かう。


「ノートか」


わかりきったように名簿を開く隻眼の講師。確かに何時もなら講義後の休憩はノートを提出し評価してもらう時間だ。しかし今日は違う。


少し緊張した面持ちで、リシアは油紙に包んだ翅と素材袋に入れたままのネズミを差し出した。


「これは」

「迷宮に潜ってきました。えっと、休みが出た班に混ぜてもらって…それで手に入れたものです」

「…見せてもらうぞ」


少し怪訝そうな顔をして、講師は素材袋を覗き、続いて油紙を広げた。中に収められていたハッカと飴色の翅を見て、更に表情が険しくなる。


「ケラの翅か。どうやって手に入れたんだ」

「弱ってた蟲を見つけて、それで…倒しました」

「倒せたのか」

「なんとか」

「何故この部分を持ってきた」


糾弾されるような質問に、リシアは言葉に詰まりそうになりながらも、何とか受け答える。


「ち、近くに本職の冒険者がいて。ここが一番価値があるって」

「…最近、硝子のように透明でより加工が容易な新素材として、蟲の翅が注目されているんだ。筋繊維も、発掘される繊維程ではないがかなりの強度がある。学者どもがこいつの研究に躍起になっててな、買取価格が上がってきている」


運が良かったな、と講師は笑う。


「情報に疎い学苑生徒から、こういう一番良いところを掻っ攫う本職冒険者も少なくはない」

「親切な人だったようで」

「…しかし、私がこのまま没収するのは勿体無いな」


しげしげと翅を眺める講師。元冒険者の名残りか、その眼は値踏みをするように鋭い。


「そうだな、ネズミと翅の片方は提出して…もう片方は次の課題に使おう」

「次の課題?」

「酒場か集会場を通して売却してくるんだ」


講師は名簿に挟まれた課外用の書類を引き抜き、炭筆で自身の名を記す。


「取引をしたら、ここに印を貰うんだ。それとこれは学苑と提携してる店の一覧…後の方ほど最近出来た店だ」

「酒場に入っても良いんですか?」

「学苑生徒には酒を出さないように通達が出てる。あと、店の方からも定期的に報告してもらってる。変な事は出来ないからな」

「わ、私はそんな事しませんよ」


学苑の印が押された書類と店名が並んだ紙を受け取る。酒場及び集会場では冒険者の情報交換の場や組合の拠点を提供する他に、依頼斡旋や遠征団の人員募集、出土品や採集物の買取なども行っている。学苑や国の息が掛かっているところは雰囲気も悪くはないため、生徒が出入りしても問題はない、と思われる。


「今のうちに行きつけを探しとくんだな」

「はい」

「他に報告は」

「いえ、無いです。ありがとうございます」


いつの間にか包み直されていた翅を抱え、深々と頭を下げる。そそくさと教室を出て、扉を静かに閉め…リシアはほっと息を吐く。


普通科の生徒と迷宮に潜った事は、なんとか勘付かれなかった。これで一安心という訳には行かないが、延命は出来ただろう。渡された書類を眺める。次の延命処置はこれをなんとか片付けることだ。


リシアの脳裏に同行者の顔が浮かぶ。彼女が居なければ、こうやって次の課題を得ることは出来なかった。それに得た金銭の半分は彼女に渡さなければ、筋も通らないだろう。そこでリシアはふと思う。アキラも、酒場探しに誘ってみるのはどうだろうか。迷宮に興味がある彼女なら、酒場探しにも付いてきてくれるだろう。


…一人は怖いし。

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