手紙
大食堂の机に少女は頬杖を突き、推敲の跡が見て取れる紙面を眺める。一行走り書きを加えた後に唸り声をあげて、向かいの席に座る赤ジャージに硬筆を差し出した。
「代わりに書いて」
「えー」
豆の煮込みを匙で掬いつつ、赤ジャージは眉をひそめる。
珍しく食堂に誘われたかと思えば、食事も取らずに便りの相談ときた。その上諦めたように代筆まで頼まれた。
令嬢……と呼ぶのも恐れ多い身の上の少女の頼みだが、こればかりはアキラにもどうしようもない。
「約束は守らなきゃ」
「でも勉強の事書いたって、向こうはつまらないでしょう」
「ちゃんとセレスが勉学に励んでるって事は伝わるよ。それに私が代わりに書いたら、迷宮とか食べ物の話になる」
「それもそうねえ……」
少女はため息をつく。滑らかな高級紙に無意味な落書きを記し、上から黒く塗りつぶす。
「毎週手紙を送れだなんて……月毎でもいいじゃない」
「でも相手も毎週手紙をくれるんでしょ?」
「あの人は筆まめだから。毎週どころか毎日でも書くわ」
下唇が嫌味っぽく突き出される。しかしその後に、少女は「嬉しいけど」と付け加えた。
「そうだ、こうしましょう。今週の手紙には貴女の事を書くわ。ネタは沢山あるんだし」
「え?」
「その傷も、迷宮の大冒険でついたんでしょ」
既に痕が薄くなりつつある傷を、そっとアキラは撫ぜる。確かにその通りなのだが、リシアに秘匿を頼まれた以上、迷宮に潜った事をセレス以外に、いや、セレスにも必要以上に知られる事は避けたい。何と答えようかアキラは悩む。
「……蟲に会った以外、大した事はないよ」
「十分大した事でしょ、その傷」
「この傷は家の近くで転んでついた」
「ふうん」
じっとりとセレスはアキラを見つめる。視線から逃れようとアキラは身じろぎをし、食堂の入口を向く。開け放されていた扉から、見知った顔が中を覗き込んだ。老いたドレイクはアキラの姿を見つけ、穏やかに微笑んで片手を挙げる。
「用務員さん」
「あら……」
アキラが見つめる方を向き、セレスは静かに立ち上がる。ゆっくりと歩み寄ってきた用務員が会釈をすると、セレスは令嬢然とした笑みを浮かべた。
「ご機嫌麗しゅう。デマントイド、さん」
「こんにちは。昼食中すまないね」
「いいえ、お気になさらず」
セレスに続き、アキラも挨拶を交わす。慣れていない所為か辿々しい挨拶を、用務員は頷きながら聞いていた。
「こちらでお食事を?」
「いや、たまたまアキラさんを見かけたからね。はい。この間のお駄賃だよ」
そう言って、用務員は鋤の代金分の陶貨を懐から取り出した。アキラは先日のやり取りを思い出し、申し訳なさそうに頭を下げて陶貨を受け取る。
「すみません。備品を壊してしまったのに」
「いいのいいの」
「何を壊したの?」
「鋤……」
家に置いたままの鋤を思い浮かべる。鋤として使う分には支障は無いが、素知らぬ顔で返すのも気が咎める。
だが、意外に迷宮での使い勝手は良かった。また出番があるかもしれない。
「セレスタインさんは、誰かに文かな」
アキラに鋤代を渡した用務員は、セレスと机の便箋を交互に見る。
「ええ。昼休みを返上して書いてるの」
大袈裟にセレスは肩をすくめる。
「何を書けばいいのか困ってます」
「絵や、季節の花を同封するのはどうかね」
用務員の助言に、アキラは目を輝かせる。絵はともかく、季節の花なら得手分野の友がいる。彼女なら詳しく教えてくれるはずだ。
しかし、当のセレスの反応は芳しくなかった。
「それは、なんだか」
「学業とは関係ないから?」
「それもそうだし、何だか花や絵を送るって……恋人っぽい」
少し照れた様子のセレスの言葉に、アキラは首をかしげる。
「恋人みたいなものじゃないの?」
「ち、違うわ!恋人と夫は似て非なるものよ」
顔を赤くして、セレスは席に着く。用務員は困り顔で二人に別れを告げる。あまり口出しはしない方が良いと踏んだのだろう。
「それじゃあね」
「ありがとうございました」
食堂を去る用務員を見送って、アキラは友人の向かいに腰掛ける。令嬢は先程よりも一層不機嫌そうな顔で、頬杖をついていた。
友人の推敲は、アキラが昼食を食べ終わる頃に切り上げられた。
「もう一晩、考えてみる」
そう言って、友人は早々と筆記用具を片付けて席を立った。
「まだ時間がある……中庭に行こうかしら」
「花を探しに?」
「違う」
耳を真っ赤にしてセレスは先を行く。その後ろ姿を、アキラはあまり刺激しないように追う。
恋人と夫は似て非なるもの。
夫どころか恋人すら出来たことがないアキラには、その言葉の意味は今ひとつわからない。一時的な付き合いと一生の付き合いの違いなのだろうか。だが、今はエラキスでも離縁は容易い。あるいは、浮ついたものとそうでないもの。これはアキラの偏見によるものだが、恋人、特に学生同士のそれは浮ついたものになり易いのではないか。
先日目撃した迷宮科の男子生徒と女子生徒の逢瀬が脳裏をよぎる。非常に失礼だが、あのシラーとかいう生徒は浮ついた交際をしているように思えた。
あれこれ考えているうちに論点が迷子になる気がして、アキラは「恋人と夫」問題から離れる事にする。正直なところ、アキラの知識では答えも出そうにない。
「あら」
不意にセレスが立ち止まった。アキラの方を振り向き、目配せする。
「スフェーン家のリシアだわ」
そう言われて、セレスの頭の向こうをよく見る。
中庭の掲示板前で、見知った迷宮科の女子生徒が誰かと向き合っていた。
中肉中背の、迷宮科の制服をきっちりと着こなした男子生徒は真っ直ぐにリシアを見つめている。一方のリシアは戸惑っているのか突っ立ったまま微動だにしない。
あの様子、まさか。
「告白?」
セレスは憧れのため息をついた。
「青春ね」
その言葉に、アキラは少なからず衝撃を受けた。
「……やっぱり、教室に行きましょ」
元来た道を戻るようにセレスは促した。悪戯っぽく微笑む。
「知り合いが側にいたら、気まずいでしょうし」
友人の言葉に、アキラは気の無い返事をする。
アキラの頭の中は、再び「恋人」……異性交遊の事でいっぱいになった。




