忠告と注視
白墨の硬質な音が響き、黒板に図と文字列が記されていく。ある者は真剣に、ある者はあくび交じりに、板書を写す。リシアはどちらかというと前者の方である。手を動かさないと憶えられない質なのだ。
「迷宮の大分類は上下だ。地下にあるか、地上にあるか」
講師は白墨で引いた線の下に、根のような迷宮の図を描き込んでいく。「世界の根」……エラキスの大迷宮の想像図だ。
「地下迷宮は自然と人工に大別される。自然迷宮は更に鍾乳洞や風蝕洞海蝕洞溶岩洞……成因によって区分される。碩学によっては、迷宮を構造している物質を重視する事もあるな。人工の迷宮は構造や遺物の有無で区分するのが主だ」
一方、と白墨が線の上の三角屋根の建物の絵を囲む。
「地上迷宮は殆どが人工だ。言うなれば、先史時代の技術で造られた巨大な遺物だ。大迷宮よりも規模は小さいが、経済的な価値が高い。『箱』と呼ばれる事もあるな」
講師は建物の図の隣に点をいくつか打つ。一番上に「標本箱」と記したところで、四限目の終わりを告げる鐘の音が鳴り響いた。
「……続きはまた今度。課題の報告がある者は」
席を立ち、教室の外に出る生徒に紛れて、何人かが講師の下へ向かった。少し時間がかかりそうだったので、リシアは席で時間を潰すことにした。手帳を読み返し、先程の授業の内容を再確認する。今日はさわりの部分だけだったが、来週は迷宮の分類や構造について、さらに詳しく取り上げるのだろう。
「迷宮学」は複合的な学問だ。地学は勿論、生物学考古学経済学……様々な分野の知識を幅広く学び活用しなければならない。それを教える立場にある講師には頭が下がるばかりだ。圧倒的な知識量と息を呑むような経験談は、迷宮学概論の教本を読み込むよりも迷宮の何たるかを教えてくれる。
列に並んでいた最後の一人が講師の前から立ち去った。講師は教室を見渡す。
「他に質問がある者は」
「あ、はい!」
書類を手に席を立つ。腰を浮かしかけた講師はゆっくりと元の席に座った。
「すみません……」
「構わない」
「えっと、この間の調査依頼の明細書です。確認をお願いします」
書類を差し出す。講師は筋張った手で書類を受け取り、じっくりと読み始めた。
手持ち無沙汰になったリシアは、何となく講師の頭を見つめる。
意外に白髪が多い。
まじまじと見つめていると、不意に講師が顔を上げた。目が合い、とても失礼な行いをしていた事に気がついて目をそらす。
「確かに国の依頼だ。これは預ろう」
「はい」
「それと……今回は誰と行ったんだ。二人分の内訳のようだが」
思わず息を呑む。だが、こんな時に言う事は決まっている。リシアはいつも通りの返事をする。
「ちょっと他の」
「空きが出た班に混ぜてもらった、か」
どこか冷たい講師の言葉を聞いて、思わずリシアは硬直してしまう。その様子を見た講師は何かを察したのか、暫しの沈黙の後にため息をついた。
「……程度にもよるが、冒険者界隈ではあまり歓迎される行いではない。早く班員を見つけなさい」
今言えるのはそれだけだ。
そう告げて、講師は口を閉ざした。
僅かな間リシアは立ち竦み、唐突に頭を下げて教壇から走り去った。
「ありがとう、ございます」
去り際に小さく、篭った声で礼を述べる。その言葉が講師の耳に届いたのか考える間も無く、机を整理して教室を出た。
まともに礼を言う事も出来ない自分を恥じたのは、中庭の長椅子に腰掛けてからだった。
掲示板前の長椅子で、リシアは一人頭を抱え込む。未だに班員の一人も勧誘できていないリシアに、講師はほとほと呆れているに違いない。そればかりか、指摘を受けて反省をするどころか憮然とした態度で立ち去る生意気な生徒だと思われていても仕方がない。リシアも決して、気を悪くしたからあんな態度を取ったわけではないのだ。
ただ。
……何を考えても言い訳にしかならない気がして、リシアは長椅子の背にもたれかかった。そのまま溶けるように脱力する。
数人の迷宮科生徒が傍らに立つ掲示板を見つめる。いつも通り第六班が首位の成績表や班員募集の名簿、今週の高額素材とその取得班が記された表をだらだらと眺めて、ある一点でリシアは目を剥く。
「今週の高額素材」の一番下に、ひっそりと第四十二班の名があった。
瞬時に長椅子を立ち、掲示板に駆け寄る。側で同じく掲示板を見ていたらしい男子生徒が訝しげな顔をするのも気にせず、張り付くように表を見る。内容を見る限り、誤字などではない。蟲の翅と筋繊維を持ち帰ってきた生徒がリシア以外にいるとは思えない。
自身の班がこういった形で掲示された事にリシアは高揚し、同時に不安に襲われた。
こんな所に、第四十二班が載っても良いのだろうか。
同行者の顔が脳裏をよぎった。表に記された文字を見つめる。
突っ立つリシアの肩を、誰かが叩いた。
「うわっ」
「あ、ごめん……」
驚いて振り向くと、迷宮科の男子生徒が手を浮かせて立っていた。先程までリシアの事を訝しげな顔で見ていた男子生徒だ。あまり見覚えがない少年だが、徽章を見るに同学年だ。
どこか人懐こい顔立ちの男子生徒は頭を掻き、何から話せば良いのか考えているのか、意味をなさない声を出して掲示板を指差した。
「あー……リシア・スフェーンだよね。四十二班の班長の」
「そうだけど」
リシアが頷くと、男子生徒は続いて班員募集の掲示を指差した。
「今、一人しかいないんだっけ」
「ええ」
何となく、嫌な予感がした。
いや、けして「嫌な予感」では無いはずなのだ。リシアの予想が当たっていれば。
男子生徒は逡巡するように唸る。しかし覚悟を決めたのか、姿勢を正し、見事な角度の礼をした。
「俺を、班に入れてください」
リシアの予想通りの言葉だった。
長らく待ち望んでいた言葉、光景だというのに、リシアは返す言葉もなく、ただ茫然と男子生徒のつむじを見つめていた。




