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ひととき(3)

「お待ちどう」


簾が巻き上がり、白い液体で満たされた椀が二つ、卓に並んだ。直後に、陶器の匙がそれぞれの椀に乗せられる。


「これ、トーフだっけ」


初めて浮蓮亭を訪れた時に食した汁物の浮き実に似ている。それを告げてみると、店主は引き攣れた笑い声をあげた。


「惜しい」

「あ、ちがうの……」

「まあ食べてみてくれ」


匙を取り、表面に薄く敷かれた蜜と一緒に弾力のある白い食べ物を掬う。見た目も匙を通した感触も、やはりトーフだ。


口元に近付けると、ふわりと爽やかな香りが漂った。香りの正体に即座に気付き、リシアは少し驚いた後、一思いにトーフもどきを頬張った。


暫く口内のそれを味わい、リシアは口を開く。


「生姜と牛乳?」

「そうだ。生姜の絞り汁と温めた牛乳を混ぜると、こんな風に柔らかく固まるんだ。面白いだろう」


店主の言葉に頷き、もう一掬い食べる。温かく、ぷるぷるとした食感の牛乳に生姜の香りが効いている。辛味もあるが、上にかけられている蜜と合わせて食すると良い塩梅だ。


食べた側から、体が熱くなってくる。これは確かに風邪気味の時には良いだろう。


「喉にも良さそう」


もっと早く知りたかったものだ。


「美味しいです」


既に椀を半分空けたアキラが告げる。異国の食べ物だが、リシア達の口にも合うのは店主の力量だろう。


……リシアの腹の虫が、急に活発になった。この菓子だけでは物足りない。


「あの、店主。テンシンをもう一品お願い」

「おお。たくさん食べるようになったな」


店主がからかう。


「連れと同じくらい食べるようになるんだぞ」


それは流石に無理がある。


当のアキラはというと、リシアに続いておかわりと麺料理の注文をした。


報酬は微々たるもので、炉も売れなかったが、今日を生きている。あの脅威と相対して、アキラと共に生き延びる事が出来たのだ。


その幸福をリシアは密かに感謝した。


祝杯代わりに、リシアは水を一息で呷った。いつもと同じ柑橘の風味がした。






川沿いの煉瓦道を並んで歩く。


アキラの住む集合住宅までは、二人の進む道は同じだ。ぽつぽつと街灯の点る寂しい道を、会話も無く二人は進む。


あの後、リシアが湯餃を食べ終わるまでにアキラは大皿の固焼き麺と菓子を食べきった。昨日の出来事が嘘のような、いつも通りの食べっぷりだった。


「お腹いっぱい」


沈黙を破るように、そう呟いてアキラは伸びをする。相変わらず表情は硬いが、どこか満足気な顔をしている。ここ最近で、彼女の表情を読み取る力が付いてきたようだ。


それに、少し無愛想だけど、中身は好奇心旺盛な年相応の少女だという事もわかった。


思い返せば、様々な事があった。


蟲、浮蓮亭、キノコ狩り、遺物……毎日、細かな点数のために必死で手帳と教科書に書き込みをしていた時には想像もできなかった、大冒険の日々だ。


そして常に、すぐ側にアキラがいた。あの日の放課後、彼女が花壇の「迷宮学概論」を拾ってくれなければ、リシアは今も机に向かって手帳を書いていただろう。


まだ、かつての親友と向かい合う勇気は無い。けれども、何も出来ずにひたすら彼女の事を恨んでいたあの頃に比べたら、今は……。


「アキラ」

「ん」

「ありがとう」


街灯の下で立ち止まり、そう告げる。アキラはほんの少しの間、呆気にとられたような顔をした。その後照れたように目を泳がせて、「こちらこそ」と呟いた。


その言葉に、リシアの目が微かに熱を帯びた。


「家まで送らなくてもいい?」

「大丈夫、割と明るいところだし」

「そうなんだ。でも、気をつけて」


再び歩き出し、アキラの住む集合住宅の玄関で二人は別れを告げる。リシアが小さく手を振ると、アキラも無表情のまま、リシアよりは大きく手を振った。


「またね」

「うん」


また、迷宮へ行こう。






スフェーン邸の勝手口を開けると、執事が平生の冷静さを失った様子で駆け寄ってきた。


「お、お嬢様。おかえりなさいませ」

「ただいま。何かあったの?」

「リシア!」


執事の必死な状況の説明をかき消すように、スフェーン子爵は慌ただしく音を立てて階段を下りてくる。娘の姿を見つけ、満面の笑みを浮かべながら走り寄ってきた。


「リシアリシア、すごいんだよ!」

「何?なんなの?」

「ほらこっち来て!どうしようか、二階の方がよく見えるかな」


リシアの手を引き、父は興奮した様子で元来た道を戻る。途中足をひっかけそうになりながら階段を上り、既に開け放している窓を潜りバルコニーに出る。


「南方の海洋に、刺激を受けると発光する生物がいると聞いた事があるけどこれは甲殻類かな?それとも藻類……」

「お父様、私にもわかるように説明して……」


縁から身を乗り出す父の後を追い、眼下の庭園を見渡し……リシアは絶句する。


庭園の中心で滔々と水を湛えた池と、その真ん中で噴き上がる水の柱。


そのすべてが月光の下で、蒼く目映く輝いている。


その輝きは、あの迷宮の奥底で見たものと、同じものだった。

学苑


エラキスに所在する教育施設。貴族と平民が共に学んでいる。普通科と三年前に出来た迷宮科がある。普通科は平民と貴族長子の割合が高く、迷宮科には貴族の次男以下が集まる。


台頭してきた迷宮産業に手をつけるため、成人後行きどころが無い貴族が迷宮科に挙って入学するが、彼等の未来は暗い。

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