束の間の帰路
二人組の下級生を交え、シラー一行は洞口へと進む。血を失ったせいか、あるいはあの呪術師に鎮痛以外のまやかしをかけられたのか、背負った採集班班長はすっかり大人しくなっていた。
まさか、フリーデルが単独行動を取るとは。けして浅はかな人間ではない、とシラーは彼を評していたが、それは見込み違いだったのだろうか。
いや……。
変えられたのだ。あの聖女に。
フリーデルとマイカが親しくなってからだ。彼の目に、心の奥底に沈んでいた暗い感情が映るようになったのは。浮上した歪んだ自尊心が言動に滲み出るようになったのは。
結果として、フリーデルは孤立し、こうやって危機に晒された。
その為に近付いたのか。
あの、悪意とは縁のなさそうな少女が。
そこまで考えて、シラーは我に帰る。
悪意と縁のない人間なんて、存在するわけがない。
胸の内で苦笑し、一瞬でもそう思わせた少女に感嘆する。まだ彼女の魂胆は見えない。何か策略があるのか、それともただ第六班を引っ掻き回したいだけなのか。どちらにせよ面白い事だとは思うが、班の存続に関わるようなら早々に手を打たなければならない。
副班長はどう考えているのだろうか。
シラーは傍らを歩いているはずの副班長の名を呼ぶ。
「デーナ……」
「へー、二人で活動してんのか」
後方から副班長の声が響く。物思いに耽っていて気付かなかったが、先程から後輩の少女と語らっていたようだ。
「は、はい」
「女二人で迷宮か。気兼ねがなさそうでいいな」
基本的に冒険者というのは男社会だ。迷宮科の生徒も殆どは貴族の次男以下だし、女子生徒は少数だ。その数少ない女子生徒も元が貴族のお嬢様方なため、迷宮内のむさ苦しい男に挟まれた探索に嫌気がさして辞めていく者も多い。
シラー自身、第六班内の女子生徒への応対にはこれでも四苦八苦している。彼女達を他の令嬢達と同じ様に扱うのは危うい。唯一副班長だけは、その気質から班の内外でごく普通に関わることが出来る。
それだけに、先程の副班長の発言には留意せざるを得ない。
「男どもは気が利かない時もあるからさ。ま、うちの班長はそこら辺まめで助かるけど」
「まめ……シラー先輩は気配りが上手いんですね」
「そうそう」
むず痒さを感じて振り向くと、小柄な女子生徒の熱視線とかち合った。ほぼ条件反射で笑顔を作る。
「話は変わるけど、さっきの冒険者とは知り合いで拠点が同じって言ってたな。拠点はどこだ」
「異国通りの駅近くにある、浮蓮亭という店です」
「ご飯が美味しいです」
そう言ったのは先程から沈黙を守っていた赤ジャージの少女だった。副班長程ではないが、背は高い。黒髪と異国風の顔立ちを見るに東方人との混血なのだろうか。
端的に言って、美人だ。それだけに頰の傷が痛々しい。
「異国通り!二人でそんなとこ拠点にしてんのか。飯が美味いのは良いことだな……そういえば、そっちの名前を聞いてなかった」
副班長はにかっと笑う。
「アタシはデーナ・クルックスっていうんだ。あんたは?」
「アキラ・カルセドニーです」
「アキラか。よろしくな」
ごく自然に握手が交わされる。それから副班長はシラーを指差す。
「で、あっちの貴公子が我等が第六班班長の」
「シラー、さん」
「あ、知ってんのか」
意外だ、とでもいう風に副班長は反応する。
「普通科でも有名なのか、こいつ。あーでも普通科での方が色々と有名そうだな」
副班長の言葉に、下級生二人……特に、小柄な方が瞬時に顔色を変えた。赤ジャージもほんの少し視線を逸らす。
「あ、あのこの子普通科……とかじゃなくて……」
「このジャージはお下がりなんです。動きやすいから、迷宮探索にはうってつけでしょう」
「あ、普通科からのお下がりなのか。まあそりゃそうか。迷宮科と普通科がつるんで迷宮探索なんてそうそう無いよな」
豪快に笑う副班長を見て、小柄な女子生徒は明らかに安堵したようだった。無論副班長はわざとああ言ったのだろう。彼女は割と鋭いところがある。
「でもシラーさんの事はリシアから聞いたんです。私あまり知らなくて」
「へえ、どんな事を聞いたんだ?ん?」
先程の豪快な笑顔から一転、からかうような声音で副班長は小柄な女子生徒と肩を組む。身長差もあってかなり苦しい姿勢だ。
「惚れた腫れたか」
「ち、違います!」
「はは、悪い。意地悪だったか」
「かしましい……」
フリーデルが呻いた。
「気分はどうだい」
背中で身をよじらせ始めた班員に言葉をかける。はっきりと聞こえない恨み言のような呟きをこぼし、フリーデルは預けていた上体を起こす。
「お前のせいで、もう少しで、あいつに」
「君は遺物を斬りつけることも叶わなかった」
わざと、フリーデルの肥大した自尊心を傷付けるような事を言う。
「力量がわかって満足かな」
「お前っ」
暴れ出すフリーデルの脇腹を肘で押し抉る。潰れた蛙のような呻きをあげ、フリーデルは背を丸めた。
「ほら、暴れるから傷が開く」
しれっとそんな事を宣う。
我ながら嫌な人間だ。
そう思い、シラーは口元を痙攣らせる。
フリーデルを「宥め」歩いていると、先の通路が二手に分かれている事に気付いた。シラーは立ち止まり、副班長に地図を見るように促す。
「どちらだろう……あ」
聞くまでも無い事に気がつく。右の通路をよくよく見ると、少し先が水没していた。大きく右に曲がっている通路を覗き込む。曲がり角の先は伺えないが、おそらくその先も水没しているのだろう。
濁った水面に目を落とす。そこに、ぷかぷかと浮かぶナニカを見つけて、シラーは目を凝らす。
革紐を通した、小さな板切れだった。記されているのは冒険者登録番号と所属組合、出身地、名前……冒険者が持つ回収札だ。
瞬時に、あの虚ろな目をしたドレイクの死に顔が脳裏をよぎる。だが彼が見つかったのは、休憩所を越えた通路の先だったはずだ。
なら洞口方面の通路に、何故これが。
回収札が大きくたゆたう。
曲がり角の先から、漣が寄せてきた。




