深みより
ここが潮時だろう。
紫の斑らが毒々しい植物を胴乱に収めて、リシアは通路の先を見つめた。淡水の独特な匂いが鼻につく。数歩先は水没しており、微かな水音だけが響いている。
ここから先はおそらく未踏だ。入念に準備をした一部の冒険者のみが立ち入る事が出来る。今のリシア達には当然、そのような準備はない。
「もしかして、そろそろ戻る?」
察しの良い同行者はそう言って、根掘りを仕舞った。リシアは頷く。
「もう先には行けないみたいだし」
リシアの言葉に、アキラは「そっか」と寂しそうに呟いた。
「結局会えなかったね、二人とも」
「夜干舎のこと?」
そういえば、道中他の冒険者とすれ違う事が無かった。主要な通路から外れた道を通ってきたのかもしれない。
そのぶん、他の冒険者とは違う種類の植物を採集する事が出来ただろう。
「お菓子、渡せるかな」
そう呟いた瞬間、アキラの腹の虫が盛大に喚いた。恥ずかしがる様子もないアキラに少し呆れて、リシアは声をかける。
「……おやつにする?」
「そうしよう」
待ってましたとばかりにアキラは懐から菓子を取り出した。 我慢していたのかもしれない。いそいそと包みを解くアキラを見て、リシアも空腹を感じる。
浮蓮亭の店主から貰った包みを取り出す。紙を何枚か組み合わせて作った複雑な包装だ。どこか工芸品のような美しさも漂わせている。
どうやって開けるのだろうか。
ちらりとアキラの方を見る。どうやら爪を噛み合わせて口を閉じているらしく、それを外すと花弁のように広がる作りのようだ。
よく出来ている。
感心しながら、リシアも包みを解いた。
「しっとりしてる」
早速菓子を食べたアキラが感想を述べる。出来たてのさくさくとした食感が無くなり、油が染みて柔らかくなっている。これはこれで美味しい。
気力が回復するのを感じて、リシアは満足する。
夜干舎の分も食べてしまおうか……と悪い考えが思い浮かび、払う。
「お水欲しくなるね」
そう言って、アキラは持ってきていた水筒の水を一口飲む。
「お茶と食べたい。熱くて渋いの」
「緑茶は?」
「あー、いいかも」
「煎麦茶も合いそうだね、香ばしいから」
菓子を食べながら、そんな会話に興じる。薄暗い、湿った通路に二人の声が響く。
「……戻ったらどうするの?」
「役所に提出したら、一応は依頼完了。でも今戻っても、もう窓口は閉じちゃってるだろうし、提出は明日になるかな。駅に戻ったら解散ってことで」
「わかった」
少し名残惜しそうな雰囲気を感じ取って、リシアは告げる。
「もしかしたら帰り道で会えるかもしれないじゃない、二人に」
アキラは頷く。いつもと同じ無表情だが、今日はどこか心ここに在らずといった雰囲気だ。少し心配になって、アキラを急かす。
「さ、帰ろう」
「うん」
元来た道を戻る。十歩ほど歩いて、足音が自分のものしか聞こえないことに気づいて、リシアは振り向いた。
先ほどと同じ水際で、アキラは立ち止まっている。
「どうしたの?」
怪訝な顔で、水面を見つめるアキラに声をかける。
「うん……」
「調子でも悪い?」
「ううん、違う。ちょっと気になっただけ」
「気になるって、何が」
辺りを見回す。特に、彼女が興味を持ちそうな動植物は見当たらない。
「水」
アキラは水没した通路の奥を指差す。
「なんで波が立ってるんだろうと思って」
そんなの……と言葉を返そうとして、リシアは黙り込む。
暗い通路の奥から、ゆっくりと波が寄せてくる。アキラの足元まで泥水が寄せ、靴の爪先を撫でて帰っていく。
風も振動もない地下の迷宮で起きたにしては大きな波だ。
まるで、通路の奥で何かが蠢いているような……。
「早く帰ろう」
不思議と声が上ずる。
アキラが鋤の柄を取り、身構えた。空いた手がリシアを庇うように伸ばされる。
暗い暗い闇の向こうで、紅い光が一つ、妖しく灯った。
有象無象の冒険者に紛れて、フリーデルは迷宮の深部へと向かっていた。フリーデルとそう変わらない年齢の青年に扇動された一同は、互いに士気を高めるように会話をしながら進軍する。
「先史遺物か……拾った事あるか?」
「いや、ない」
「こんなちっちゃい、使い道もわからないガラクタでも一月は遊べるって話だ。ましてや殺傷力がある物なら……」
ぎらつく冒険者達の目を見て、フリーデルもほくそ笑む。
これだけ人員がいれば、なんとか自律型を倒しておこぼれをもらう事もできるだろう。シラーでさえも自律型を倒し、素材を持ち帰ったことはない。もし自分がそれを成し遂げることが出来れば、周囲の評価は一変するだろう。
「おい学生さん、あんたは自律型と戦ったことあるのか?」
無精髭を生やしたドレイクが、無遠慮にフリーデルの肩を叩いた。その手を払いのけ、「ない」と手短に返す。
「倒し方について学んだりは?」
「自律型からは逃げろとだけ言われている。まあ、そんな注告真面目に守るだけ」
「そんなはずはない」
先頭を歩いていた青年が立ち止まり、振り向いた。最初に挙手をしたドレイクだ。
「学苑では『死に損ない』が教鞭をとっていると聞いた。そんな奴ならコツの一つや二つぐらい教えているだろう」
ドレイクの言葉にフリーデルは不安を覚えた。まるでフリーデルが学苑で学んだ事をあてにしようと考えているようだ。
計画性がない。
それに、ドレイク達のいう「死に損ない」とやらに心当たりもない。フリーデルは憮然として、
「フリーデル」
再び肩を叩かれる。聞き覚えのある声にフリーデルは殺気立ち、振り返った。
「……班長」
「単独で行動なんて、君らしくないね」
いつもより引き締まった顔立ちのシラーはそう言って、ため息をついた。わざとらしいため息に、フリーデルは更に不機嫌になる。暗に、群れないと行動できない臆病者と言われている。そう直感した。
「危険だ」
「なんだ。まるで自分が規律だとでもいうような顔しやがって」
「フリーデル、冷静になれ。規律云々の話じゃねーぞ」
シラーの後からやってきた呆れ顔の副班長が肩をすくめる。
「力不足だ。アンタだけじゃない、アタシも班長も、先史遺物なんて相手出来ない」
「そりゃあ、女のお前には無理だろうね」
毒付く。シラーの表情が一瞬無くなった気がして、フリーデルは高揚する。こんな風に反逆されたことがないから、戸惑っているのだろう。
「なんだ、学生は抜けるのか?」
ドレイクがせせら笑った。
「まあ構わないけどよ。対処方法も知らないようだったし」
馬鹿にしている。
見下している。
侮られている。
周りの言葉が、視線が、表情が、すべてがそう思えてしまう。
フリーデルは剣を抜き、シラーに向けた。
「今すぐ消えろ」
「おい」
どよめきが起きる。副班長が珍しく困惑した表情でフリーデルを見つめている。
「正気か」
「……フリーデル」
一方のシラーはただの脅しだとでも思っているのか、宥めるような声で名を呼ぶ。その声音と表情が、フリーデルの神経を逆撫でた。
視野が狭まる。とうに正常な判断は出来なくなっていた。剣を振り上げ、目の前の不愉快な存在を切り捨てようとする。
遠くで、心地よい悲鳴が聞こえた。




