異変(1)
現在、小迷宮内部には二つの大空洞が発見されている。洞口付近と迷宮を少し下ったところにある大空洞はどちらも拠点として使われている。そのうちの一つ、迷宮深部の大空洞までシラー達は探索を進めていた。
地中に出来た空洞はゆうに百人は収容できる。ちゃっかり商会印が焼き付けられた長椅子が並び、多くの冒険者がたむろする拠点はこの小迷宮の最前線に近い故か、どこか緊張した空気が満ちていた。
班員の顔に少し疲れが見え始めたことに気付いて、シラーは立ち止まる。
指示を出される事を予知したのか、班員はシラーを取り囲むように集まった。
「少し、休もうか」
そう告げた途端、緊張の糸が切れたように班員は脱力し、思い思いの行動を取り始める。
シラー自身も少しばかり肩が重い。手頃な長椅子を探し、荷物を降ろして座り込む。五分きっかり計る事ができる愛用の砂時計をひっくり返して、水筒の水を一口含んだ。
休憩は五分間と決めている。その間、シラーにはやる事がある。周囲の観察だ。
シラー達迷宮科の生徒には、あまり迷宮の最新の情報が入ってこない。本来なら学苑がそういった情報収集をしてくれるべきだと思うのだが、学苑にも国にも最新情報を流してくれる冒険者のツテはないようだった。未だに冒険者との連携が取れていない、つい最近迷宮が見つかって迷宮産業に手を出し始めたこの国の欠点だ。講師のエリス氏などが元冒険者の人脈を使って細々と情報を得ているが、その範囲にも限りがある。
よって、迷宮科の生徒は自分達で情報収集をする必要がある。多数の集会所を巡ったり、時には冒険者から直接話を聞く事もある。観察もまた、情報収集の一環だ。冒険者の様子、会話を事細かく注視する……要は盗み見盗み聞きである。だが得られる事は多い。
「班長」
隣に聖女が腰掛けた。後頭部で尻尾のように纏めた金髪が、さらりと流れ落ちる。口中の水を喉に流し、シラーは微笑む。
「何か用かな、マイカ」
「班員の皆さんの調子を聞いてまわっているんです。疲労の具合を見るのも、大切な仕事ですから……具合はどうですか?」
「少しお腹が空いてきたかな。夕食が待ち遠しいよ。その前に、地図を完成させなきゃいけないけどね」
「ふふ、空腹はいけませんね」
朗らかに微笑んでマイカは革帯に取り付けた小物入れを探った。油紙に包まれた飴が一粒、差し出される。
「軍粮精かな」
「一粒でも元気が出ますよ」
「ありがとう」
砂糖と乳脂を煮詰めて作った飴は、気力回復にうってつけだ。ありがたく飴を受け取り、紙を剥いて口中に放り込む。舌にまとわりつくような甘味が広がり、頭を冴えさせる。
「美味しいね」
「良かった、焦がしすぎたかなって思ったんですけど」
「お、何食べてんだ?」
副班長が洞穴中に響くほど快活な声をかけて、マイカを挟むように長椅子に腰掛けた。少し怯えたような素振りを見せるマイカに、副班長は人の良さそうな笑みを向ける。
「悪い、驚かせたか?」
「い、いえ。副班長もいかがですか?」
おずおずとマイカは飴を差し出す。
「おー、ありがとなあ。やっぱ探索には甘いもんだな」
そう言うが早いか、副班長は飴を噛み潰した。情緒もなく飴が副班長の喉を通るのを見届けて、マイカは立ち上がる。
居心地が悪くなったのだろう。副班長に悪気は無いのだろうが、あまり場の空気を読まない所が彼女にはあるのだ。
もっとも今は、その性質がありがたい。
「副班長は大丈夫そうですね。他の方々の様子を見てきます」
「うん。頼んだよ」
小さく会釈をして、マイカは他の班員に話しかけに行った。
「何話してたんだ」
「仕事熱心な彼女のご報告を聞いてたんだ」
「ふーん。やっぱりマメなんだな、医術やってる奴って」
シラーの皮肉を知ってか知らずか副班長は素っ気ない返事をする。そして、飴でも足りなかったのか小物入れから干腸詰を取り出し齧り始めた。
無言でシラーは手を差し出す。それを見て慣れたように、副班長は干腸詰を一切れ渡した。
「やっぱり塩気かな、僕は」
「甘いのも悪くないぞ。そういえば、さっきの飴貰ったのか?」
「うん。断るのも悪いし」
舌に残った甘味を上書きするように、腸詰を咀嚼する。あまり誰かに言うことはないが、甘いものは苦手なのだ。
水で腸詰を腹に流し、周囲を見渡す。
小迷宮の調査は難航しているようだ。
瀝青出版の地図売りが持った冊子の厚さと表紙から、シラーはそう推測する。小迷宮が発見されて大分日が経っているというのに頁は少なく、表紙に「決定版」の文字が無い。未踏地が未だあるということだ。さらに言えば未だ第七版である事が、先日訪れた時からから碌に調査が進んでいない事を示していた。
「ヒドラに手間取るかね、本職が」
首を傾げる副班長の言葉に、同意の笑みを浮かべる。




