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宣言

 鍵盤琴の辿々しい旋律が微かに響いている。


 階下から音楽室の方向を見上げ、踵を返す。アルミナのいない音楽室では、声楽部の生徒がこれまで通り練習に励んでいるのだろう。アルミナと一緒に挨拶に行った時の音楽講師の顔を思い出す。もしかしたら彼女は二人、いや、三人教え子を失ってしまったのかもしれない。


 普通科棟を出て正門へと向かう。待ち人のいない中庭に用は無いが、遠目に一瞥する。


 一瞬、見覚えのある姿が視界に入った。そのまま門へと足を進める。


「待って、アキラさん」


 鈴を転がすような声が、確かにアキラの名を呼んだ。足を止め、振り返る。


 蜂蜜を流したような髪が、風に煽られ乱れる。その合間にどこか異様な光を秘めた瞳が覗いた。


 彼女のことは知っている。黙したまま、立ち尽くす。


「これから帰り、ですよね」


 ぱたぱたと小走りに近寄ってきた少女は、アキラの顔を見上げる。柔和な微笑みが、近い。一歩下がる。


「もしかして、リシアのお見舞いに?」


 続いた言葉により一層、警戒を強くする。彼女がリシアに何をしてきたのか。どんな過去があったのか。詳しくは知る由もないが、それでも、気を許すことは出来ない。


「……リシアの好きなもの、ご存知ですか」


 睨め付けるように見下ろすアキラの懐で、マイカは小首を傾げる。


 好きなもの。そう問われて、愕然とする。リシアは何が好きなのだろうか。浮蓮亭ではいつも日替わりや店主オススメの軽食ばかりだ。以前家にお邪魔した時に、幼馴染の店で売っている焼き菓子をご馳走になったこともあったが、あれは好物なのだろうか。


 そんな考えを読み取ったのか、マイカは一層朗らかに笑む。


「まだ、お友達になったばかりですものね」


 そう告げる彼女は確かにリシアと幼馴染で、親友だった時期があった。でも今は、ほとんど交流がないはずだ。


 シラーと話す時のような、なんとも形容し難い胸騒ぎが起きる。


「一緒に、行きませんか」


 間も置かずにマイカは告げる。その言葉の意味が理解出来なくて、アキラは黙する。


「リシアはよく、菫青茶房のお茶や飴を贈られていたんです。喉に良いからと……あと、麦星通りの焼き菓子も好物です。一緒に買って、お見舞いに行きましょう」


 少女の笑顔は花のようだ。同じ人だと、思えない。


「リシアとは、仲が悪いのでは」


 口をついて出てきた言葉は、想定よりも率直な響きを持っていた。マイカは一瞬目を見開き、苦笑いを浮かべる。


「確かに、今は少し微妙な関係性です。私は第六班に引き抜かれて、リシアを一人にしてしまいましたから」


 そうして上目遣いに、アキラを見つめる。


「アキラさんには、お話ししてもいいかと思って」


 華奢な手指が中庭を示す。


「こんなところでは難ですし、こちらでお話ししませんか。お時間がよろしければ」


 周りを見渡す。下校する生徒の中には、こちらを伺うように視線を送ってくる者もいる。それに道端では邪魔になるだろう。


 意を決して、頷く。


「お話、聞きましょう」


 そう告げて中庭に踏み入る。木陰の長椅子に、ひと足先にマイカは腰掛けた。その前に立つ。隣に座るのは気が引けた。


「アキラさんは、リシアが迷宮に潜ることについてどう思っていますか」


 開口一番、マイカは尋ねる。


 どう、と言われても。


 そんな考えが顔に出ていたのか、聖女は可愛らしく笑う。


「すみません。突然質問から始めてしまって」

「いえ……」


 笑顔がすとんと、憑き物が落ちたように無くなる。


「リシアは、進んで迷宮に潜っているわけではありません。貴女と違って」


 返答に迷う。


 おそらくマイカはとても、大事な話をしようとしている。これまでの彼女とは違う表情を見て、黙する。


「知っていますよね。リシアが昔、歌姫だったこと」

「はい」

「歌を聞いたことはありますか」

「一度だけ」


 オークの旅人と別れる際にリシアが口ずさんだ、あの一度きりだ。


 アキラの返答を目にして、マイカは満足げに頷く。


「とても、素晴らしいでしょう? リシアの歌は」


 笑顔が綻ぶ。これまでの笑顔とは異なる、心底喜ばしいのであろう笑み。


「リシアは歴代の歌姫の中でも、最も名高く語られているんです。童謡も、讃美歌も、流行りの歌も、なんでも歌えてしまう。誰もが心動かされる」


 リシアは最高の歌姫なんです。


 そう囁き、マイカは言葉を切る。


「……今のリシアは、かつてのリシアとは全然違う。まるで別人」


 一転、困ったような笑顔に戻る。


「アキラさんは、以前のリシアを知らないからしょうがないと思います。でも、だからこそ、今のリシアに別の道を与えたいと思いませんか?」


 手が伸びる。花弁の並んだような指先が、アキラの手を握り込む。


「アキラさんにも協力してもらいたいんです。貴女の言葉ならきっと、今のリシアに届く。迷宮は危険だと、リシアのいる場所ではないと、説得しましょう」


 少女の瞳が潤み揺れる。


 暫しその瞳を見つめ、アキラは口を開いた。


「確かに私は、歌姫のリシアを知らない。歌も、一度しか聴いたことがない」


 呟くアキラの顔を覗き込み、聖女は首を傾げる。その瞳を見据え、確かに告げる。


「でも、冒険者のリシアはよく知っている。知識があって、一生懸命で、仲間のことを第一に考えてくれる頼れる冒険者。それが今の……貴女の知らないリシアだ」


 手に絡んだ指先が慄いた。重力に従うように力を抜き、解く。


「迷宮科の生徒になったことは、リシアが選んだ道なんだ。今のリシアを否定する貴女の言葉を、私は」


 言葉を呑む。惑う。


 決心する。


「許すことはできない。だって私は貴女よりもずっと長く、迷宮の中でリシアを見てきた。リシアのことは、貴女以上に知っている」


 信じられない物を見るような瞳を見下ろす。


「貴女はリシアを、思い通りにしたいだけ。どうして今のリシアを、認めてくれないの」


 紅い唇が一瞬引き締まる。次いで、涙と共に言葉が溢れた。


「アキラさんは、間違っている。リシアと迷宮に潜ってきたのなら、あそこがどう言う場所か知っているはず。それでもそんなことを言うなんて、無責任です!」

「私がついてる」


 宣言する。


「リシアと迷宮から生きて帰ってくる。私にはそれが出来る。覚悟がある」


 これまでの経験が言葉を押し出す。嘘偽りのない言葉が、聖女を押しつぶす。


「私は今のリシアに寄り添える」


 お互いの手を交互に見る。繋がることなく、垂れ下がる手。


 その手を取る気は、今のアキラにはない。アキラが取るべき手は、今此処には居ない友人の手だ。


「お話、他にありますか」


 尋ねる。


 聖女は返す言葉もなく、ただ震えていた。

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