表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
402/403

休んだ日の夜

 一歩もスフェーン邸から出ないまま、一日が終わった。執事が皿を片付けるのを横目に、手元の紙に筆を走らせる。


 お父様は、と書く前に執事は恭しく頭を下げた。


「お父様は、会合に出ております。お仕事の関係とお聞きしました」


 嘘、と記す。困ったように、執事は目を細めた。


 一歩も家から出なかったが、それでも、今日は激動の一日だった。見舞いと称してスペサルティン家とエメリー家、両家から使いが訪れたのだ。対応自体は父と執事がやってくれたのだが、それでも、気は休まらなかった。


 何を話したのだろう。尋ねても両者とも答えてはくれず、挙句父は「会合」に出かけてしまった。物々しい雰囲気の父を見るのは、久しぶりのことだ。


 アキラの来訪にも驚いた。もっとも、想像出来なかったわけではない。思ったよりも早かっただけだ。


 アキラには心配をかけさせてしまった。酷く、驚いたはずだ。ともすれば不安だろう。今のリシアと同じように。


 身動きも出来ずに紙を見下ろすリシアの前に、食後の茶が供される。華やかな香りは、アキラが見舞いの品として持ってきた茶葉と同じだ。


「喉にも良いと、記されていました」


 杯の傍に、執事は茶房の品書を置く。使用されている薬草は、確かに父が風邪気味の時に摘んでくれる植物と同じ物だった。


「アキラ様は、お嬢様の声のことをご存じだったのでしょうか」


 首を横に振る。そんなことを知る機会は無かったはずだ。情報通のセレスでも、リシアと女公爵の間の出来事は知るはずはあるまい。


 一方で、耳にしていそうな少女の顔が脳裏をよぎる。元友人は、セレスとはまた異なる情報の道を知っている。第六班のゾーイ先輩辺りが怪しい。


 何より、彼女は女公爵の周辺を彷徨いていたのだ。


 お茶が冷める前に口にする。菫青茶房の薬草茶を飲むのは久しぶりだ。父が淹れてくれる茶よりは流石に飲みやすい。


 一口飲み干し、声を出そうと試みる。ただ、空気が喉笛を通った。腹に力が篭らない。体が声の出し方を忘れてしまったようだ。


 変な感じ、と頭の中の妙に冷静な部分が呆れたように呟く。その呟きすら声にはならなかった。


「無理は、なさらず」


 執事が傍で囁く。頷き、残りの茶を飲み干した。暖まった体は、茶のせいだけではない。目を擦り、なんとか執事に微笑みかける。


 美味しい。


 紙にそう記して、見せた。


「アキラ様に、お礼のお手紙を認めては」


 執事の言葉に目を丸くする。少し迷っている間に執事はどこからか便箋を持ってきた。質のいい紙を撫でつつ、筆談用の紙に筆を走らせる。


 どうやって渡そう。


 その文面を見て、執事は困ったように微笑む。


「私がお届けしましょう」


 家、わかるの。


「アキラ様の伯母上……シノブ・カルセドニー教授の住所は存じております」


 なるほど、と頷く。執事の心遣いに感謝しつつ、アキラへのお礼の手紙を認める。


 感謝の後に、謝罪の言葉を付け加える。


 何故謝罪するのか、を記そうとして手が止まる。


 迷宮に行けなくなってごめん。

 一人にしてごめん。

 私がきっかけだったのに。

 目を離したら、何処かに消えてしまいそうだと、思ったのに。


 纏まりのない文章に、更に一文付け足す。


 私がいない間は、迷宮に行かないで。


 これで良い、と手紙を折る。いつの間にか執事が用意してくれた封蝋で止め、熱が冷めるのを待つ。


「お嬢様」


 執事が肌触りの良い布を差し出す。首を傾げた瞬間、熱いほどの雫が頬を伝う。


 鼻で笑う。その音すらも出ない。何が悲しいのかもよくわからないのに、何故涙を流すのだろう。


 ひとまず雫を拭う。声の代わりに出ているのかもしれないと思うほど、とめどもなく、溢れてきた。


「お嬢様」


 再び、執事はリシアをいつもの呼称で呼ぶ。


「アキラ様は、これがきっかけでお嬢様のそばを離れたりはしないと思います」


 その言葉を信じ切ることが出来なかった。


 リシアとアキラを繋いでいるものは「迷宮」だ。リシアが迷宮を離れてしまえば、このか細い縁は切れる。


 それに執事は暗に、こうも言っている。

 冒険者の望みは、既に絶たれていると。


 ただの思い込みかもしれない。被害妄想かもしれない。それでも、もっと気楽に考えられる余裕は、今のリシアには無かった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ