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熱冷まし

 大家さんに声をかけるのを忘れた。


 扉を閉めた途端、アキラは思い出す。少し迷って、階下に向かう。扉の隙間から寝息が聞こえるのを確認した後、再び家に戻り、鍵をかける。


 食卓の椅子に座り、突っ伏す。途方もなく混乱している。青天の霹靂というやつだ。


 リシアとのひとときは、表面上は和やかに終わった。筆談を交わし、お茶をいただき、「お大事に」と「心配かけてごめんね」という応対を最後にスフェーン邸を後にした。


 肝心なことは何も聞けなかった。


 何故声を失ったのか。学苑にはまた来るのか。これからどうするのか。アキラが力を貸せることはあるのか。


 指標を、失ってしまった。


 出会ってからずっと、リシアはアキラを先導してくれた。リシア自身を探しに行った時を除けば、常に彼女がそばにいた。


 声を失った今、リシアは迷宮に潜ることができるのだろうか。彼女が居なくなったら、アキラはどうすれば良いのか。


 腹の虫が喚く音を聞き流しながら、悩む。


 思考が乱れる。


 観念して、食事を探す。スフェーン邸の食事の味も、今はさっぱり思い出せない。戸棚からパンを引っ張り出して、齧る。


 元々、リシアに頼り切りの迷宮行だった。リシアが迷宮に行かなくなったら自然と縁は切れる。


 浅ましいことに、一番脳の処理力を使っているのは、その点についてだった。


 炭水化物がゆるやかに思考を燃やす。とてもではないが、冷静とは言えない方向に。


 手の中のパンがひしゃげていることに気づいて、慌てて口に押し込む。


 静かな部屋の中では、思考が反復し増幅されるだけだ。財布と鍵を取り、家を出る。同じ通りに面したパン屋に向かう。幼馴染の顔を見て、冷静になろうと言う魂胆だ。


 赤い西陽が肌を焼く。水鳥の看板が大きく近付くにつれ、店頭の様子も遠目に見えてくる。


 幼馴染ではない、見覚えのある姿が扉を引き開けて出てきた。


 複眼と目が合う。


 一瞬立ち止まり、会釈をする。外骨格で覆われた冒険者も此方に会釈を返した。


「こんばんは」

「こんばんは。お買い物ですか」

「以前と同じ、パンのお使いです」


 良い匂いの漂う籠を掲げながら、ライサンダーは答える。


「今日最後の焼きたてパンです」

「そういえば、そんな時間ですか」

「今ならまだ店頭に残っていますよ。私も少し、自分の朝食用として買いました」


 アキラに負けず食いしん坊な妖精の言葉を聞いて、少しだけ口角を緩める。


「いいことを聞きました」


 何か、観察をするような視線を感じた。途端妖精が問う。


「こんなことを聞くのも失礼なことですが、何かありましたか」


 固まる。走馬灯のように、スフェーン邸での出来事が巡る。


 他言はいけない。


 そう判断して、首を横に振る。


「いいえ、何も……」


 観察するような、訝しむような視線は変わらない。


 口ごもり、再度考え込む。


「……言えません」


 言葉選びを失敗したかもしれない、と思いつつ、それ以外に伝えられることはない。この妖精には、足を挫いたときのように隠し事も出来ない。


 アキラの返答に暫し沈黙を返した後、ライサンダーは体の何処かから声を漏らした。


「申し訳ありません。返答に困るようなことを、聞いてしまって」


 再び口ごもる。


「お気になさらず」


 そんな言葉を返すことしか出来なかった。「言えません」意外に最適な返答も、今更思い付かない。アキラもまた申し訳なく思う。


 ふと、おぞましい考えが脳裏をよぎった。


 リシアの代わりに夜干舎を頼ろうという、浅はかな思いつきだ。


 それは出来ないと即座に、頭からかき消す。


「これは、気休めにしかならない言葉ですが」


 どきりとする。言葉の硬さにも、声音の柔らかさにも。


「私達で解決できそうなことであれば、相談してください。あまり、無理はしないでください」


 ライサンダーは来た道を少しだけ戻り、パン屋の扉を開く。お礼を告げつつ、パン屋に入る。


「それでは」


 閉まる扉の向こうで妖精はそう告げて、川沿いの道を去った。

 隙間が閉ざされる前に、追いかけるように言う。


「ありがとうございます」


 ただの言葉なのに、いくらか気が楽になった。つまり、解決するかは別として、相談相手が出来たことに安堵したのだ。


「いらっしゃーい、さっきのヒト知り合いなんだ」

 勘定台を挟んで幼馴染が笑う。既にパンを二斤、用意してくれている。


「うん」


 頷く。幼馴染は目を丸くした。


「なーんか珍しく素直し甘い対応」

「そう?」

「だって大抵は『そうでもない』としか言わないじゃん。リシアちゃん以来じゃない、そんな対応」


 そう、だろうか。思い返し、確かに幼馴染の言う通りの応答が多かったことを思い出す。


「遠目から見ても暗いから気にしてたら、さっきのヒトも気にしてたみたいでさ。さっきまで『様子がおかしいですね』って話してたんだ」


 幼馴染は腕を組む。


「長い付き合いの私と同じくらい、アキラの顔色がわかるなんて……」


 その言葉を何故だか照れ臭く思いつつ、籠に焼きたてのパンを入れていく。


「これもお願い」

「まいどあり」


 幼馴染はパンを紙袋に詰める。その手を休めることなく、告げた。


「困ったことあったら、言ってよ」

「……うん。ありがとう」


 ライサンダーと同じように、ただいつもと様子が違ったというだけで幼馴染も心配してくれている。


 アキラを気遣ってくれる人間は多い。自分も同じようにリシアの支えになれたらと、アキラは思った。


 例え力及ばなくとも、味方であると伝えられたら。それだけで、リシアは先程のアキラのように気が楽になるのだろうか。


 二の足を踏む。少しだけ慎重になろうと、冷静な部分が囁いた。

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