表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
400/421

失錯(2)

 家業の事務所は迷宮近くに所在する。見慣れた馬車が停まっているのを横目に、事務所には立ち寄らず住まいに向かった。


「ここまでで結構です。ありがとう」


 衛兵長に告げる。暫し黙したまま此方を見下ろした後、衛兵長は一礼を返した。


「それでは」


 そのまま、麦星通りの役所へと歩いていく。その背中が雑踏に埋もれた頃に、やっと、息をついた。


 震える。


 こんな姿は、誰の前でも見せたくはない。衛兵長にも、講師にも、友人にも、家族にも。


 自室に戻り、これから成すべきことを再度確認する。まず、スペサルティン卿に会うこと。それからリシアに会うこと。見舞いに行くこと。許されること。


 手紙を認める。これを使用人に渡して、まずは訪問の確認を取る。手紙のやり取りで済むのならそれでいい。女公爵が全てを書き記すかはわからないが。


 本当は、今すぐ女公爵に直接話を聞きたい。何があったのかを聞いて、それから、どうすれば良いのかを聞きたい。


 リシアは治るのだろうか。


 違う、とどこか冷静な部分が声をあげる。


 どうすれば良かったのか、だろう。アルミナが手出しをする必要も、権利も、無かった。アルミナがやろうとしていたことは間違いだった。


 違う、と浅ましくも自己肯定に走る。


 リシアに止めを刺したのは、女公爵だ。アルミナではない。女公爵が、誰に諭されたのかは知らないが、先走ったからこうなってしまったのだ。


 紙にただ、墨が滲む。捨て去り、再度筆を走らせる。なんとか手紙を書き終え、使用人に持たせる。


「スペサルティン公爵邸まで」

「はい」

「それから、見舞いの品を見立てて」


 指示を出した使用人が去ったのを見送り、机に着く。女公爵が即座に返答をくれるかは、正直なところわからない。多忙なはずなのだ。リシアのために時間は割いたが、それは彼女が、女公爵にとっても大切な存在だったからだ。時間を割いても構わない、公爵としての権限を使って迷宮科を廃することも辞さない、それほどまでに思う存在。


 大切なのに、傷つけたのか。


 心の底で嘲笑する。


 でもそれは、アルミナだって同じことだ。


 刻々と、淡々と、時間だけが過ぎ去る。


「お嬢様」


 静かに扉が開く。先程用を頼んだ使用人が、恐る恐る顔を覗かせた。席を立ち、扉まで向かう。


「どうでしたか」

「こちらをいただきました」


 渡したものよりも幾らか紙質が上の便箋を差し出される。封蝋も施していない。おそらく向こうも、急いで認めたのだろう。


 目を通す。


 こちらに任せて欲しい。


 ごく簡潔に言えば、それだけの内容が記されていた。


 手が震える。


 何もするなと、言われていると思った。


「……少し、手紙を認めます。食事は結構」


 そう告げると、使用人は不安げな表情を浮かべる。しかしすぐに頭を下げ、立ち去った。


 再び部屋に閉じ籠る。机の上の紙を見つめ、考える。


 確かに、出来ることなど何もないのだろう。全部全部、無駄だ。リシアの影を追って、こんなところまで来たのに。


 筆をとる。形式ばった挨拶に、謝罪の言葉を並べ立てる。封蝋を流して冷え固まるのを待つ。


 こんなものを送って、リシアは救われるのだろうか。治るのだろうか。アルミナ自身の心は楽になるのだろうか。まとまらない思考のまま、使用人を呼ぶ。先程と同じ使用人が即座にやって来た。


「これを、見舞いの品と共に」

「日取りを決めますか」

「……いいえ。私は、きっと会わない方が良い」


 思い返せば、学苑で最初に会った時から、リシアは怯えていた。彼女からしてみれば、アルミナは過去の亡霊だったのだろう。いつまでも追いかけてくる、歌姫の影。


 使用人を送り出し、部屋の扉を閉ざす。


 リシアは、過去と決別しようとしていた。歌を忘れようとしていた。迷宮科で再起の道を歩もうとしていた。


 その道を無責任にも、踏み荒らしてしまった。アルミナも、女公爵も、友人だと言っていた令嬢も。


 笑う。


 結局、罪悪感から逃げようとしているだけだ。「連帯責任」なんて言葉が思い浮かぶのは。


 走馬灯のように、かつてのリシアの歌声を思い返す。


 あの歌声が永遠に失われてしまったとしたら、どう償えば良いのだろう。


 あんなにも、憧れていたのに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ