第三通路(2)
「迷宮のハッカは地上で取れるハッカよりも香りが高くて、鎮静作用が強い。石なんかも、さっき潜ってきた裂け目。あそこの石は薄く剥がれるから加工しやすいんだって…石と言えば、迷宮に棲む蛙から取れる結石は高級回復薬の原料にもなる」
教科書の受け売りである。サビフキガエルの腹をかっ割いて石を取ったことなど一度もない。しかしアキラは結構熱心に、真面目に聞いてくれた。
「へえ。蛙も結石が出来るんだ」
「私達にだって出来るんだし。蛙は近いでしょ」
「そうか。そういえばそうだ」
なかなか和やかな雰囲気ではないか。リシアは安堵しつつ、緩やかな角を曲がる。途端。
「あ」
アキラが動いた。え、とリシアが声を洩らした時には既に、赤ジャージの少女は孔球のクラブで突如現れた影を一匹弾き飛ばしていた。無惨に壁に叩きつけられたネズミ型のそれは地にずり落ち、静かに痙攣する。
「まだ」
ぐんとリシアの傍をすり抜け、クラブを槍の如く突き出す。先端はもう一匹のネズミの腹を捉え、壁に打ち付けた。ネズミの口から鮮血が滴る。
「…これも有用?」
「う、うん…爪をボタンに使ったりする」
クラブを引くと、ネズミは力無く地に落ちた。地上で見かけるネズミよりふた周りほど大きい死体にリシアは駆け寄る。
「突然出てきたから、ビックリした」
「ホラネズミは、複数匹で群れると大きな動物にも襲いかかってくるの…ああ、この袋に入れて。解体は大丈夫」
腰のポーチから厚手の布を縫った巾着を取り出し、開く。アキラが尻尾をつまんでネズミを巾着に放り込んだ。思わぬ収穫だ。精々薬草をもぐだけの筈が、数段上の野生動物の素材を入手できてしまった。
「解体は業者がやってくれるから」
「へえ、便利」
「駆け出しになると、そうもいかないけどね。金欠だろうし」
迷宮科の生徒だから委託出来るのである。普通の冒険者はおそらく、自らの手で腑分けするのだろう。
「お菓子、お菓子」
アキラはごそごそと懐をまさぐり、先程購入した棒菓子を一本取り出す。包装を解きひと口かじる。よくもまあ野生動物を殺した後に菓子など食えるものだ。少しリシアは呆れる。
「…筋がいいんだ。羨ましい」
「ん」
「あ、いや、何でもない」
おそらく迷宮科でも、アキラほどの反射神経を持つ者はそういないだろう。先程のネズミを瞬時に屠った動きは、リシアの目には瞬間移動にしか見えなかった。 助っ人の思わぬ実力に、リシアは肩の荷が下りたような心地になる。
「もっと大物でもいけそうじゃない?」
「膝丈ほどの動物になると、並じゃ太刀打ちできないって聞いたことあるけど」
リシアの提案にアキラは難しげな顔をしてそう言った。しかし欲が出てきたのか、リシアはずかずかと先に進む。アキラの顔が少し不安そうに陰る。
「大丈夫。膝丈ほどもある動物なんてそうそう出ない。そうだね、精々イワクズリくらいだよ」
そう嘯いてリシアはアキラに微笑みかけた。今やリシアは完全に、アキラを信用しきっていた。
第三通路本道を、三人組が行く。迷宮科の制服を身に纏い、名匠の剣や杖を携えた彼らは、先程出会った同苑の生徒の話で通路を賑やかしていた。
「マイカちゃん以外に友達がいたなんて」
「美人だったけど、迷宮科にあんな娘いたんだな」
「なんか怖そうな娘じゃなかった?」
一行の話の中心は迷宮科の落ちこぼれではなく、その不思議な連れだった。普通科のジャージを身に纏い、クラブを携えた女生徒。少し異国風の顔立ちの少女は三人組の興味をそそるのに充分な存在感を放っていた。
「ちょっと混血ぽくてさ、俺、正直ああいう娘好みなんだ」
「あんなデカ女のどこがいいんだよ」
「自分が背低いからって僻まないで」
年頃の少年少女らしく軽口を叩き合う。三人組の笑い声が第三通路に反響し、迷宮の湿っぽい空気を幾分か和らげた。
ふと、痩せた男子生徒が立ち止まった。続く二人も立ち止まる。
「どうした」
「冒険者…珍しいのばかりだ」
迷宮の暗がりに、ホヤランプの柔らかな灯りが点っている。橙色の灯りに浮かび上がるのは三つの影。そのいずれもが異形であった。
「…油断した。お使い帰りにあんなのと会うなんて」
「運が悪かったな。ほら、痛み消してやる」
「大体さ、ケインが帰りは空いてる第三通路で帰ろうなんて言うから…」
「ぐだぐだと煩い」
「いだだだだっ、ちょっとやめてよ!」
「…やっぱり戻ります。二人は先に本部で報告してきてください」
「武器が惜しいのはわかるが一度地上へ出よう。それにハロと荷物を私一人で運ぶのはちときつい」
カササギの尾羽と脚を持ったハルピュイアの少年が一人。
キツネの形質を持ったセリアンスロープの女が一人。
そして…他の二人は勿論、学苑生徒とも似つかない種族の怪人が一人。厚手の外套から覗く黒金の外骨格が、銀細工のような翅が、薄暗い迷宮の中で燈火に照らされ妖しく輝く。フードの下から伸びた触角がひくりと揺れた。
「……!」
「うわっ」
巨躯の怪人の、二つの複眼と三つの単眼が学苑生徒達を捉えた。フードの中から覗くのは一般的なヒトとはかけ離れた顔付き…昆虫によく似た顔だった。
「フェアリーだ…」
大柄な男子がそう呟くと、怪人の背後へ靡いていた触角が前方へ倒れる。その様子を見て、通路の壁に背を預けていたハルピュイアが愛くるしい顔に嘲笑を浮かべた。
「妖精さんだってさ、ライサンダー」
「ドレイクの感性はよくわかりません」
「まあ、翅は妖精らしいぞ。キラキラしてて」
セリアンスロープの謎のフォローを受け、フェアリーの大男はゆっくりと頭を振る。確かに翅は昔絵本で見た妖精のものに似ているかもしれないと思いつつ、痩せた少年は他の二人の先頭に立って、異種族三人組の横を通り抜ける。
「待ってよ、学生さん達」
ハルピュイアが呼び止める。学苑一行は訝しげな表情を作りつつ立ち止まった。
「奥に行くのはやめといた方がいい。でっかいバッタがウロついてるから」
「バッタ?ツチコロギスのことか?」
「モグライナゴじゃないの?」
「まあ呼び方は何だっていいんだよ。なんだか気が立ってるみたいでさ、突然襲いかかられてこの通りなんだ」
ヒラヒラと、というよりもブラブラとハルピュイアは右腕を振る。よく見ると、元は白く細っそりとしていたのであろう前腕はどす黒く染まり腫れ上がっていた。
「痛まないからってあまり動かすな」
嗜めるセリアンスロープの口元は血で汚れている。奇襲された拍子に口内か唇の端が切れたのだろう。唯一無傷のように見えるフェアリーも、何かを気にするように暗い構内の奥を見つめている。
「俺たちは迷宮科で訓練を受けている。虫けら程度に手こずりはしない」
「ふうん」
得意げに告げる大柄な少年を、ハルピュイアは冷ややかに一瞥する。
「じゃあご自由に。そこの妖精が応戦してたから、もしかしたら息絶えてるかもしれないし」
フェアリーが肩の荷を下ろし、軽々とハルピュイアを背負う。その荷をセリアンスロープが拾い上げる。
「後で見にいこう。あいつら死んでるかも」
「滅多なこと言うんじゃない」
不謹慎な囁きを交わしながら、異種族達は去っていく。その異形の後ろ姿をしばし見送って、生徒達は通路の奥へと再び歩を進めた。
「手負いの虫か。仕留めるなら今が好機だな」
「え、倒すの?」
「本職が苦戦してたし、かなりの大物なんだろ。そいつを殺して素材を提出すればこの一年は単位の心配をしなくてもいいんじゃないか」
「なるほど」
三人は顔を合わせ、頷く。
痩せた男子生徒が剣を抜いた。他の二名もそれに続き、それぞれの武器を手に取る。
「リシア達も呼ぶ?援軍としてさ」
「やめとけやめとけ。ロクに迷宮に潜った事がない奴を呼んでも足手まといになるだけだ」
「それもそうか」
一同、笑いあう。
通路の奥の暗闇で、大きな気配が此方を注視した事に、三人はまだ気づいていない。