失錯(1)
今日ばかりは練習を早々に切り上げ、音楽室を去る。
隅に腰掛けていた衛兵長には目もくれず、アルミナは階段を足早に降りる。視界の隅で、慌てた様子の衛兵長が追いかけてくるのが見えた。
「エメリー嬢……」
「一度家に戻ります。それから、スフェーン邸に人を」
名を読んだ衛兵長に告げる。昇降口を出て、正門へ向かう道をひたすらに歩く。
どうして。
そんな言葉がぐるぐると頭を巡る。どうして、こんな時に。
歌姫が原因不明の病を患うことは、珍しいことではない。多くは「心因性」などと診断される。これまでアルミナには縁の無かったことではあるが。
リシアがそんな病を患ってしまうとは、思いもしなかった。あの、舞台上で誰よりも眩く高らかに歌う歌姫が。
何がいけなかったのだろうか。
指先が冷えていく。
まさか、自身の言葉が、原因なのだろうか。
「エメリー嬢」
一際大きく、衛兵長は声を発する。足を竦ませるように立ち止まる。
「……なんでしょうか」
告げる。その声が震えていることに気付いて、驚く。自分自身のことだというのに。
動揺するアルミナの隣に、厳しい顔つきの衛兵長は追いつき立ち止まる。
「申し訳ございません」
次の瞬間、見事な角度で衛兵長は頭を下げる。一瞬呆気に取られ、口を開く。
「あなたが謝る理由など、無いのでは」
「見誤りました。学業の最中に告げるべきではなかったかと」
なるほど、と頷く。だとしても、やはり謝る必要はない。報告をしろと言ったのは、他でもないアルミナ自身なのだ。
「あなたは、あなたの仕事をしたまでです。悪いのは」
口を噤む。
誰に責任を押し付けようとしたのか、思い浮かんだ顔に愕然としたからだ。
「……失言です。忘れてください」
数拍黙したのち、声を絞り出す。
リシアがこうなってしまったのは女公爵のせいだと、浅ましくも考えてしまったのだ。彼女が手を尽くしたから、リシアは声を失った。では、そのきっかけや動機にアルミナは一切関与していないのだろうか。
大いに関与しているのだろう。何より、女公爵の会合を嬉しく思っていたのだ。これでリシアを表舞台に引きずり出せると、思ったのだ。
「スペサルティン卿にも会わなければなりません。どうにか約束を取り付けて、それから、リシアに謝罪を」
謝罪。何を謝ればいいのだろう。いや、謝る必要はある。でもそれで何が解決するのか。
もう取り返しがつかないことだ。
握り込んだ手が震える。冷静な判断が出来なくなる。そんなもの、元から出来ていたのかも怪しいのに。
「……帰ります。あなたも、役所に戻ってください」
「迎えは。まだ来ていないでしょう」
衛兵長の言う通り、迎えの馬車は歌の練習が終わる頃に来るよう頼んでいる。つまり、今は早すぎる。
「徒歩で帰ります」
「それなら、私も途中までお供します」
衛兵長の言葉を聞いて、見上げる。
「どうせ道すがらです」
真面目な人間だとは思っていなかったが、それとは別に衛兵長は率直過ぎることがある。
だが今は言い返す気力がない。是として、歩き出す。
踏み出すたびに、脳内はリシアの今後で埋め尽くされる。このまま、歌を聴くことなく終わってしまうのだろうか。アルミナの都合ばかりが先立つ。それから、リシアの都合。声が出ないまま冒険者というものになれるのだろうか。もしかしたら彼女の未来に続く道を全て、閉ざしてしまったのではないか。
「衛兵長」
たまらず、尋ねる。
「いかがしました」
「あなたの部下に、声が出ない者はいますか」
「……おりません」
「では、異国の出身でこの国の言葉が話せないとか」
「そのような人間はそもそも衛兵にはなりません。意思疎通ができない者に、統率の取れた行動は難しい」
当然の言葉が返ってくる。
「冒険者でも、連んでいる者達を見ていると共通の言葉は使っています」
とどめのような言葉まで付いてきた。なんとか、言葉を返す。
「そう、ですよね」
息をつく。ため息ではなく、過呼吸を起こしたような息遣いだった。
声が出なければ、指示を出すこともできない。助けを求めることもできない。迷宮は、そんな人間を見逃すほど優しい世界ではないと、アルミナでもわかる。
「どうしましょう」
思わず呟く。ほとんど弱音のような言葉だった。
「いいえ。まずは、行動を尽くすしかありません」
自分自身に言い聞かせるように告げる。衛兵長はそんなアルミナの姿を、黙したまま見下ろしている。
いい気味だと思っているのだろうか。
あまり良い雇い主ではない自覚はある。雇い主といっても、衛兵長がアルミナについているのは王府の指示なのだが。
こんな姿を見せてしまうとは、不甲斐ない。
今度こそ、ため息をつく。




